

《東京学芸大学教育支援ボランティアin鳴子への参加》
教育支援ボランティアin鳴子出発【学長】東日本大震災が起きてから半年以上がたちました。震災後、東京学芸大学の学生たちは、いろいろな所でいろいろなボランティアを自主的にやっています。ただ、大学としては、やはり教育支援のボランティアをするのが東京学芸大学らしいということで、春からいろいろ企画してきました。
今日は、宮城県の沿岸部からの被災者の方たちを受け入れた鳴子温泉で、教育支援ボランティア活動に参加した三人の学生たちに来てもらいました。天気が良いので、コミュニケーション・ホールのウッドデッキ・テラスでお話を聞きます。
今回の活動は、正式には「東日本大震災東京学芸大学教育支援ボランティアin鳴子」で、今年の7月15日から9月の30日まで、1週間ずつ11班に分かれて、約千人の被災者が避難された鳴子温泉で、子どもたちの学習支援などをを行うというものです。各班は大体10人くらいで、金曜の朝に大学のバスで出発し、次の金曜の夜に帰って来るという日程でした。大学の事務職員たちも、学生さんを送り出すために、部局を超えてチームを組んでサポートしました。鳴子ではいくつかの小中学校などに、学生たちが割り振られて活動しました。
このボランティアには、1年生から大学院生まで幅広い人たちが、大体100人くらい行ってくれたのですが、今日は1年生と2年生、それから留学生の方に来ていただきました。まず皆さんから、将来の希望も含めた自己紹介と教育支援ボランティアをしてみようと思った動機を話していただきましょう。たまたまなんですけれど、皆さんは6班、7班、8班と順番に現地に行ってますね。その順序で、6班の田中さんからお願いします。
【田中】A類理科2年の田中沙季です。なんか今の大学生活が自分の思う通りに進められてないというか、どうしたらいいか迷っていた時に、たまたま大学のホームページでボランティアの話を見て、何もしないよりは、何か自分からアクションを起こしてみたいなっていうのがあって、参加しました。将来についてはまだ迷っているのですが。
【小田島】A類社会科1年の小田島学と申します。将来は、小、中、高どれにしようか迷っているんですけれど、社会科の先生になれたらと思っています。今回ボランティアに参加させていただいた理由は、父が岩手県出身、母も青森県出身で、東北とは何かと縁があるんですよ。今回このような大惨事になったのを見て、自分に何かできないかなと思っていた時に、ちょうどこの鳴子のボランティア募集っていう案内を見たので、応募させていただきました。

【学長】お父様のご家族とかご親戚は被災されてないですか?
【小田島】幸いにも被災しませんでした。
【学長】でも、東北には関心をもっているのですね。では最後に、9月になってから鳴子に行っていただいた郭さん。留学生が行ってくださったのは大変嬉しく思います。
【郭】北京師範大学からの交換留学生で郭璟群(かくけいぐん)と申します。出身は中国の福建省です。今回ボランティアに参加させていただいてすごく嬉しいです。1年間の留学経験でいろいろなことを学びたいということと、自分が被災地の方々に何かできることがあるかなと思って応募しました。将来の希望はジャーナリストです。
【学長】学芸大には今年の4月にいらしたの?
【郭】はい。
【学長】では震災が起きたことを知ってからいらしたのね。日本に行くのをどうしようか迷いませんでしたか?
【郭】私は迷わずに来ました。でも周りの人には行かない方がいいって言われました。
【学長】でもやっぱりご自分の意志を通して来てくださったのね。ありがとうございました。
《鳴子での活動》
【学長】私も皆さんの活動記録を読ませていただき、9月には鳴子の学校なども訪問しましたが、皆さんが鳴子でどういうことをしてきたのか具体的にご紹介ください。
【田中】私が行ったのは8月19日から26日の間で、鬼首(おにこうべ)小学校と鳴子小学校を中心に行きました。鬼首小では夏休みの課題をしに来る子どもたちの学習支援で、子どものわからない所を教えていました。鳴子小では学童保育みたいな感じで、児童クラブに遊びに来てる子どもたちと一緒に遊んだり、プールに入ったりしてました。鳴子に住んでいる地元の子どもたちが中心で、直接的に被災した子どもたちと関わることはあまりなかったかと思います。
学習支援
【学長】今回、鳴子で受け入れる側の学校などが、どの子が被災した子か地元の子かと区別しなかったんですよね。学校の先生たちも子どもたちをそういうように扱って、普通にすることが大事だという考え方だったんでしょうね。それに後半は、被災した子は仮設住居に転居するなどして減っていたそうですね。
それでは、小田島さん。
【小田島】私は8月26日から9月2日ですが、最初、鳴子中学校に行きました。その日は運動会だったんで、デジカメで写真を撮る係を担当して、日焼けしちゃいました。29日の月曜日に始業式があって、次の日がテストだったんで、教室を試験監督らしい姿で歩き回ったりしました。
その後はデイサービスセンターに行って、お年寄りの方とお話させていただいたり、鳴子小学校へ行きまして、放課後の児童たちと触れ合ったりしました。
【学長】あちこちまわったんですね。みんなデイケアを経験したんですね。介護等体験に役立つと書いている人もいっぱいいましたね。
では郭さんはどういう活動をされましたか?中山小学校の全校児童と
【郭】私は9月2日から9日ですが、子どもたちと一緒にいる時は、ほとんど遊んでいました。私は日本人じゃないのでたぶん学習支援は難しい。平日朝はデイサービスに行って、お年寄りと話したり、手伝いをしたりしました。それから中山小学校に行って、授業が早く終わった1、2年生と一緒に鬼ごっこをしたり、みんなでドッヂボールをしたりしていました。
【学長】中山小には、東京都から震災対応で派遣された先生や、学芸大出身の先生もいらっしゃいました。鳴子地域自体の子どもの数が少ないので、学校が終わってすぐ帰ってしまうと、地域で遊ぶ相手がいないから、学校でみんなで遊ぶ時間をつくっているのだそうですね。最後は親御さんが迎えに来るの?
鳴子公民館長西條勲さんと勘七湯社長高橋聖也さんと学生ボランティア
【郭】子どもたちはグループでみんな一緒に帰ります。
【学長】私も鳴子をまわったときに、予想以上に遠い小学校があってびっくりしました。田中さんの行った鬼首小がいちばん奥にありますが、皆さんは、そこには公民館長の西條さんに車で送っていただいたんですね。近い所は、歩いたり自転車で動いていたんですか。山の上にあるのは何小学校でしたっけ。
【小田島】鳴子小学校です。
【田中】あそこは、がんばって自転車で登り切りました。
【郭】あと「こけし祭り」に参加しました。ほんとうにおもしろくて、こけしのハリボテに入る人の付き添いをしました。自分が少しでもできることがあって嬉しかったです。
【学長】そうでしたか。それは郭さんのチームだけが経験できたことですね。
今回は教育支援といっても時期が夏休みだったので、支援に行ったのか、支援されに行ったのかわからないと、多くの学生さんが感想を書いていました。それでも、私が鳴子にうかがって各学校の校長先生などにお会いした際には、来てくれてとてもよかったと感謝されました。もう来年は、被災者の方たちはいないかもしれないけど、また来てくださいって言われました。
鳴子とは限らなくても、こういう活動を何らかの形で継続することが大事だと思います。そういう意味で、交代で大勢の学生がボランティアを体験したのはとてもいいことだったと思っています。先生になる人も、ならない人も、中国に帰る人も、みんなこれはなかなか体験できないことだったと思います。
《被災地をまわってみて》
【学長】大学が計画したことではないんですけれど、鳴子でお世話になった方々に、どの班の人もみんな被災地に連れていっていただいたんですよね。その様子を少し話してくださいますか。皆さんは南三陸町に行ったんですね。今度は小田島さんからかな。
【小田島】南三陸に防災庁舎の有名な場所がありますよね。あそこで車から降ろしていただいて、そのあたりを見回すと、だいぶ片付いてはきていたんですけど、あちこちガレキが散乱してる状態でした。防災庁舎を残すか残さないかっていう議論があったそうですね。その前に献花台みたいのがあって、そこにこんなの残したくないっていう強い意志が手書きで書かれた紙が置いてあるのを見て、ほんとうにつらかったんだなと思いました。その後で気仙沼に向かっていただいたんですけど、やっぱり南三陸と同じように復興の途中で、ガレキも散乱していた状態で、まだまだ先は長いのかなと思いました。まだ鳴子に行ったばっかりの日曜日だったので、この後のボランティアを頑張ろうと思うきっかけにもなりました。
石巻市の被災した学校【学長】私も2回ほど仙台と石巻に行って被災地を回りましたが、震災前の景色を知らないわけですよね。なにもなくなってしまった所や、ガレキがかなり片付いている所を見ると、もとからこんな景色だったのかと錯覚してしまうような気がして、違う、ここには人が住んでいたんだって自分に言い聞かせました。皆さんを案内してくださった方たちは、もとの風景を思い描きながら案内していると思うので、そこがだいぶ違うだろうなって思います。
郭さんは、どう感じましたか?
【郭】南三陸町のガレキの状況を見てほんとうにショックを受けました。テレビでは見ていましたが、実際に行くと全然違う感じでした。でも私は外国人だから、みんなと比べて悲しみよりたぶん感動の気持ちが多かったです。たとえば、案内してくださった聖也さんに被災地のことを教えていただきました。みんなすごく我慢して、笑顔で過ごしているけれど、それは悲しみがないことではない、他の人に悲しみを残さないように笑顔でがんばって過ごすんだと言われました。それを聞いて日本人はほんとうに性格が強いって感じました。
【学長】聖也さんというのは、皆さんが泊めていただいた勘七湯の社長の高橋聖也さんですね。全面的にほんとうにお世話になり、南三陸町にも車で連れて行ってくださったとうかがっています。
【郭】あとは、南三陸町の歌津中学校の運動会を見学しましたが、壁に貼ってある紙に書いてある言葉を見て、すごく感動しました。「世界の皆さんに感謝」。ほんとうにあれを見て、胸が熱くなって自分が来てよかったなと思いました。子どもたちも元気に親たちと運動会をやっていて、あれにも感動しました。
【学長】ありがとうございます。では田中さんも。
【田中】私の班は、南三陸と気仙沼に行ったんですけど、ちょうど被災地に行く日が、勘七湯に泊まっていた最後の被災者の方の出発の日だったんです。その方がたまたま忘れ物をしたので、せっかくだからそれを届けようということになり、届けた時に仮設住宅を見せていただきました。こういう所でこのあと生活していくんだということを、目の当たりにしたという感じでした。私は専攻が理科なので、震災後に授業で何回か津波について勉強しましたが、現地に行ってみると、自分が津波に出会ったら冷静な行動をとるのは絶対無理だなと思いました。知識だけあっても無駄なんだなと感じて・・・。
【学長】まったく無駄ですか?
【田中】無駄ではないと思うんですけど、でもなんか知識だけじゃ全然だめだなってすごく思いました。被災地を見れば見るほど、実感がわかないっていうか、ほんとうにそこであったことは自分には想像できないなってすごく感じました。知れば知るほど、私には到底想像できないことが起こったんだなって、どんどん感じるようになりました。
【学長】こんなに写真や映像が残っている災害はないんじゃないかというくらい、私たちは映像を見てますが、でもやっぱり行ってみると違うんですね。さっき郭さんも言っていたけれど、何がいちばん違いましたか?
【小田島】防災庁舎の話なんですけど、鉄筋が曲がっているのは、テレビではよく見えてなかったので、波の力で鉄筋まで曲がっちゃうんだっていうのは、行ってみて感じたショックですね。
【学長】そういう細かいところで、実感をもてた感じですね。鳴子では被災された方のお話は聞きましたか。一時期千人以上の被災者が滞在されていらしたそうですが、奥の鬼首のほうからだんだん減ってきたという話を聞きました。鳴子小学校の校長先生が、南三陸町の出身だったんですよね。
【小田島】宿で、校長先生からお話をうかがう機会がありました。4月に鳴子に赴任されてきて、それまでいらした県庁で地震を経験されたとか、南三陸にいらっしゃる奥様と2、3日連絡がとれなくて不安だったという話とかもされました。
【学長】宮城県の学校では今年も4月に異動があって、何人かの方が震災後にここに来ましたとおっしゃってましたね。今回の活動を全体的にお世話いただいた公民館長の西條さんも、石巻のご出身だそうです。
《BumB東京スポーツ文化館での体験》
【学長】田中さんは、4月から東京の夢の島にあるBumB東京スポーツ文化館にも行ってくれていたんですね。BumBというのは東京都の施設で、被災地の子どもたちを受け入れ、小学生から高校生の子どもだけで合宿しています。その子どもたちに対する夜間の学習支援ボランティアも、学生にしてもらっています。そちらの活動のことも紹介して下さいますか。
【田中】4月の29日からのはずだったんですけど、休日なんかがあって、5月の2週目くらいから行ってました。曜日ごとに担当者を決めていて、私は金曜日担当で、ほとんど毎週、8月まで行ってました。夜の7時半から9時までが勉強時間で、その時間帯に勉強している中学生・高校生に学生が教えるというのがタイムスケジュールなんですけど、実際には、その時間帯に強制的に勉強するわけじゃないんですね。勉強してもいい自由時間のようなもので、子どもは全部で20人くらいいるんですけど、来るのは多くても10人くらいでした。少ないと2人とかで、学生は4人で行ってたんですけど、学生のほうが多い時もありました。途中から最初の30分だけはそこの勉強スペースに行こうという約束をBumBの先生が決めたみたいなんですけど、子どもたちはいればいいという感じで、来て新聞読んだり、マンガ読んだり、絵書いていたり自由なことやってました。ちゃんとした学習支援っていう感じではないような気がして、自分は何のために行ってるんだろうっていうのをすごく思いました。
【学長】そういう子どもたちの反応はあるかもしれないけれど、いつもコンスタントに誰かが来ているということ、何となく外の人が気にしているっていうこと自体には意味がないのかな。
【田中】私は学習支援っていう名目で行っているから、ギャップを感じるだけで、行くこと自体は無駄じゃないと思っているんです。子どもといろいろしゃべれるし、恋愛相談を受けたりとか、被災した当時の話を聞いたりとかしたので、行ってること自体はけっして無駄じゃないって思ってます。
【学長】BumBの子どもたちは福島での経験などを話したりもするんですか。
【田中】します。でも多くを語るわけじゃなくて、断片的に、たとえば早く帰りたいけど、帰れないしってポツッと言ったり、同じ学校に通ってた子でも、向こうにまだ住んでいる子もいて、自分はこっちに来てるけど向こうの子は大丈夫なんだろうかと言ったりします。そういうのを聞くと、「あぁそうか」って思ったりします。だから行くこと自体は無駄じゃないと思います。
【学長】鳴子の活動もちょっとそういうところがありますよね。大学がするのだから学習支援でなければいけないっていうことを、あまり押しつけてはいけないのかなと思います。自分たちの中で枠組みを決めてしまって、こういうことをしなきゃいけないってするのでなくて、向こうのニーズが何なのかというところのほうが大事だと思いますね。うまく言葉で表現できなくても、どこかに何らかのニーズがあるんだと思うんですよね。これからボランティアを見直していくときの、手がかりかもしれないですね。
コンスタントに行っていると、子どもたちと顔見知りになりましたか?
【田中】そうですね。行くと、「先生来た!」みたいに言ってくれるし、けっこう元気な子もいるし、くっついて来る子もいて、中高生を対象にしていたんですけど、何人かは顔見知りもいました。
《ボランティア体験の意味》
【学長】皆さん、いろいろな経験をしてみて、支援のあり方や、被災地を見て実感したこととか、ボランティアで学んだこと、これからの自分にとってこの経験をどう活かすかとか、何でも結構ですので感想を聞かせて下さい。
【小田島】子どもと触れ合えたことがいちばん学んだことだと思います。それと先輩方からいろいろ教えられたこと。1年生なので正直なところ、まだ何も学校の先生について知らないので、先輩方からいろいろ教わったっていうのがひとつの勉強になりました。
【学長】教育実習の序の口をちょっと先取りしたって感じですね。1年生は、これから秋学期に「教職入門」の授業が始まりますが、先生の経験を少し先に勉強させてもらったみたいなものですね。
【小田島】助けるどころか、助けられたという感じです。
【学長】鳴子の地域そのものとか、いろいろな人たちにお世話になったことに関しては何かありますか。
【小田島】たとえば小学校で関わった子どもの親御さんから、突然道端でお土産をもらってびっくりしたことがあります。2、3日しか会ってないけれど、お土産をもらうまで仲良くなっていたんだなって感じました。親御さんのことは知らなかったのですが、子どもが話をしてくれたんでしょうね。
【学長】あの町自体に子どもがだんだん少なくなっているし、高齢化も進んでいて、学生を見れば学芸大の学生だろうというように町の人が思っていたという話を聞きました。
郭さんは、中国に帰ってから、ボランティアのことを話してくださいって言われたら、どんなことを話しますか?
【郭】鳴子の人たちや子どもたちは、どんな人に対しても、どんなことに対しても感謝の気持ちをもっていて、それはすばらしいと思いました。たとえばどこの温泉も自然が私たち人間に残してくれたものだから、どこの温泉がいいとか悪いとかでなくて、すべて大切にすべきだと教わりました。それでほんとうに私たち人間はもっと感謝の気持ちをもって、自然からの宝物を大切にするべきだと思うようになりました。
あとは、初めて日本人の若者たちと深く関わりました。ほんとうにいい友だちができてよかったと思います。
【学長】日本語の授業を中心に受けていると、留学生だけで集まることが多くて、日本人とほんとうに友だちになるチャンスが少ないですか。サークル活動はしていますか?
【郭】サークルには入ってますが、いつも会うわけではないので深くは仲良くなれない気がします。鳴子では1週間の間、みんなが苦しみも悲しみも嬉しさも一緒に過ごしていたから、急に仲良くなった気がします。
【学長】そうですか。それぞれのチームがうまくやっていたのでしょうね。チームによってそれぞれ個性があったと、西條さんや高橋さんからもお聞きしました。田中さん、BumBと鳴子両方含めて感じたことをどうぞ。
【田中】単に勉強した知識でなくて、それプラス実際に現場を見て自分が感じたことを伝えていきたいと思います。ああいうことを勉強したけど、自分はこう思ったとか、こういうふうに感じたとかを、機会があったらみんなに話していけたらいいなと思います。
それから鳴子は、さっき郭さんも言ってたんですけど、ほんとうに初めて会った9人が1週間共同生活するっていうのは、たぶん後にも先にもないんじゃないかなと思います。その経験が私にはすごく大きかったかなって思います。
【学長】何があったかだけでなくて、一人ひとりがそれをどう受けとめたかっていうことが大事ですね。チームの話が出たけれど、友だちはできましたか。東京に帰ってきてからも付き合いが続きそうな人ができましたか?
【学生一同】できました!
【小田島】たぶんうちの班がいちばんよかったと思うんですよ。1年生から院生まですべての学年がいて、みんな仲良くしてました。先輩方から積極的に話しかけて下さったり、料理で大根のかつらむきを教わったり、マジックをしていただいたりとか。男女5人ずつの10人で、その点でもバランスがとれていました。
【学長】それはいい経験でしたね。往きのバスはどんな雰囲気だったんですか?

【小田島】まだちょっとお互い手探りって感じで、男女が分かれて座ってました。帰りは真逆で、みんなわいわいがやがやしていて。あとは、リーダーを務めて下さった院生の方と、4年生の女性の方に、劇を交えてプレゼントを渡そうっていう、ユーモアがある班だったので帰りは楽しかったです。
【学長】そうですか。郭さんのグループはどんな感じでしたか?
【郭】ほんとうにみんな仲が良くて。日本人は集団生活の時はいつも他の人のことを先に考えて、自分のことは後ですね。リーダーは自分のことは後にして、先に皆の意見とかを聞いていました。私は初めて日本人の友だちと、中国と日本に関する問題を深く話しました。以前はいろいろなことを日本人に直接聞きたかったけど、なかなか口に出せなくて。でも今回は日本人から逆に私に歴史的な問題とかを聞いてきたり、日本人が中国の人に悪いことをしたことについて遠慮なく言ってとか。ほんとうにこういうふうに話すことができて良かった。
【学長】貴重でしたね。では田中さんは。
【田中】うちのグループは、個性的な人ばっかりで、けっこう集団生活が苦手というか、できない人が多くて、聖也さんにもこの班は…って言われちゃうくらいでした。だからリーダーの方はすごく苦労されたんじゃないかな。
【学長】勘七湯のご主人の高橋聖也さんも、公民館の西條さんも、みんなの顔と名前を覚えているんですよね。ああすごいなあと思いました。先生みたいでしたね。
《今後の人生に向けて》
【学長】最後に、私は、この大震災は日本にとって原発の問題も含めてものすごく大きなことで、単に大きな災害があったということだけでなくて、日本社会の価値観が大きく変わるひとつの転機なのではないかなという気がしています。20歳前後でこれを経験した皆さんは、今後人生にとってどんな意味をもつと思いますか。
【小田島】私は海の近くに住んでいるので、津波のことはすごく考えさせられました。
【学長】私自身も災害については高をくくっていたようなところもあったので、経験ってすごく大きいなって思いました。中国も大きな地震がありましたね。
【郭】はい。私の地元は福建省で台湾の近くだから時々揺れます。でもすごく小さいです。
【学長】郭さんの場合は地震をダイレクトに経験していないけれど、その後の日本の様子を見てきましたね。それがご自分の人生にとってどういう影響がありそうだと思いますか。
【郭】自分がほんとうに幸せだと思いました。被災地の方々と比べて、自分は今まで生きてきてほんとうによかったと思います。また被災者の状況に対して、もっと関心をもつべきだと思います。あと、これから自分が社会に何ができることがあったら、ちゃんとやりますと思うようになりました。
【学長】やはり、この目で見ていると違うなという感じを私はもっています。えこひいきするわけではないんだけど、行ったことのある場所には自然に関心が強くなって、その後どうなったかな、あそこの人たちはどうしているかなと思ったりしますね。それから、今おっしゃったように、私たちが普通に生きていることの大事さみたいなことを、改めて実感する必要があるのかなと思います。では田中さん。
【田中】福島の原発の話とか、放射能の話でも、専門家によって言うことが違うし、政府の言うことも違う。たくさん情報がある中で自分は何を良しとするのか、たくさんの情報の中から正しいものをピックアップするための知識が必要だということを、今すごく感じています。自分の専攻は理科だし、津波のことも含めて、もっともっとちゃんと勉強しなきゃいけないなっていうのをすごく感じました。
【学長】皆さんの経験が、今後の人生で活かされていくことを期待します。きょうはどうもありがとうございました。
【学生一同】ありがとうございました。
最終グループの帰着
〔対談日:2011年10月4日〕



