先生の専門は何ですか?
教育政策と教育実践です。教育政策の1つに授業時数の問題があります。2020年から小学6年生の1日あたりの授業時数は平均すると5.8時数になります。1980年代における平日の授業時数は5時数でした。これから1日5.8時数になったときの子どもの生活にはどのような課題があるのか。判断のための材料を増やすには教育実践の歴史をふりかえることが大切と考えています。
そのような研究を始めたきっかけは?
いまは教育や子育てに関する研究をしていますが、これまでは、ずっと教育・教員・子育てという言葉とは、心理的に距離の遠いところにいました。それには私の生い立ちが関係しています。両親はそれぞれ一生懸命に私を育ててくれたのですが、父の仕事が安定せず、夫婦喧嘩が絶えない家でした。子どもとしては不安な毎日をすごしていたはずなのですが、それを小・中・高の教員に相談したことは一度もありません。優しくていい先生が多かったのですが、教員というのは「ただ教科書の勉強を教えてくれる人」と決めつけているところがあったように思います。 1998年に東京墨田区で同和教育の実践を重ねていた雁部桂子さんと岩田明夫さんを訪ねました。そこでの岩田さんの言葉が、「教員にとって大切なのは、子どもとどうつきあうかだと思う。学校では元気な姿を見せている子どもが、家庭の中では生活の重さの中で生きている。僕は、学校で元気な姿を見せている子どもとつきあうのではなくて、生活の重さの中で生きている子どもとつきあって生きていきたい。そう考えて今日までやってきました」というものでした。私は驚きました。それから教育・教員という言葉のイメージが少しずつ変わっていきました。
では子育てにも特別な思いがありそうですね。
私には父と子がすれ違ったまま離れて生きていくことになるイメージはあったけれど、父と子がいっしょに生きていくイメージがありませんでした。私は父親になれるのだろうか。そうした不安を打ち消したかった私は、雁部さんと喫茶店で雑談をしているときに、こんなことを言いました。「(生まれてくる子について)矛盾とたたかえる子どもに育てたいな」。そのとき雁部さんの表情がすこしきびしいものになりました。「大森さん、それは違います。やさしい子どもに育てればいいんです。やさしい子どもは矛盾ともたたかうようになりますよ」。この言葉がずっと耳に残っています。親がやってはいけないことがあります。親が子どもといっしょに生きるのではなく、価値観を押しつけてしまうこと。それが普遍的な価値観であっても、押しつけるのはだめだということなのだと思います。
"教員"についてはあまり豊かなイメージがなかったにも関わらず東京学芸大学を志したのはなぜですか?
そうですね。平板なイメージしかなかったですね。高校の時に登山家を目指していたので、教員になれば夏休みがあるから登山をしていくにはいいかなあ、と思ったことが進学の決め手になりました。実際には夏に休むのは子どもたちなのですが。
今の教育に一言!
教育よりは学習が中心になるといいなと思います。教育にも歴史的な意味はあるのですが、あまりに教育が過剰になってしまうと子どもたちが息苦しくなるのではないでしょうか。大きくて深い、既存の学問だけでは解けない問題を意識的にとりあげて(つまり教員が一方的に教え込むことができない問題をとりあげて)子どもや学生や教員が一緒にトライしていくべきだと思います。
学生に伝えたいことはありますか?
3年前に進行性大腸癌の手術をしてステージ3Bでした。治療のなかで気がついたことがあります。病気になって人生が終わるんじゃないということです。これは健康な人にも当てはまることですが、自分の身体の状態もしっかり見つめながら、毎日を楽しむことが大切だと思います。2011年に東京電力福島第一原子力発電所の事故が起こって、福島県は18歳以下38万人を対象に甲状腺検査を始めました。首都圏の自治体の一部でも子どもの甲状腺検査が始まっていることをふまえ、いま教育実践研究支援センターでは3・11後の健康について学ぶために、学生と子どもの甲状腺検査事業を企画しています。どこで生活してきた人も受けられること、医師による検査結果の説明をその場で受けられることが特徴です。みんなで3・11後の健康について認識を深めて、それを未来の子育てや教育の土台にしていけたらと思います。
取材/小林慈樹、虫谷涼香