南浦涼介 先生
Vol.6
日本語・日本文学研究講座 日本語教育学分野

先生の専門は何ですか?

 そもそも「専門」って、何ですかね?(笑)日本語教育を学生教育ではいっしょうけんめいやっています。ただ、「教育」は色々な分野をまたぐものです。なので、「あなたの専門の学問」という感覚で教育学部や教師の仕事を捉えるのは難しいかもしれません。
 ちなみに、日本語教育というのは、外国人に対して日本語を教えていく分野です。日本の学校の現場でも最近とても重要課題になってきましたね。教師を目指している人の多くが生徒に対して『日本語を話す日本人の子ども』を前提に考えていて、外国から来た子どもや日本語以外の言語を話す子どもへの教育を想定していないことが多いんですね。だからそういう子がいたら、ついついお客様の様な扱いをしてしまう。けれど私たちはそうした子どもたちも含めて「この社会で生きていく人」として育てていかないといけませんよね。そうした外国につながりを持つ子ども達が、学校の教室にいるだけ、とか、社会の中にいるだけ、「所属してる」だけじゃ、やっぱりどこかお客さんですよね。「参加できていくこと」が大事なんです。教室の中でも、社会の中でも。そのためにどうしたらいいのか、どんな教育が必要なのか、っていうことを日本語教育に込めてやっています。

先生のテーマである「ことばの教育」とは?

 なんで「国語教育」とか「日本語教育」じゃなくて「ことばの教育」かということですね。そうですね、「国語教育」だと、どうも「日本語を話す日本人」を前提としているところがあったし、「日本語教育」だと「外国人」を前提にしているところがありますね。でも外国につながる人々の存在を考えれば、私たちの学校や社会を構成する人は、日本語が「第一言語」になるとはいえなくなってきています。
 さらに言えば、日本で生まれて、母親が中国人で、日本国籍を持っているけれど家では中国語の子どもも増えてきています。その子どもにとって、「日本語」の学びって、「国語」教育か「(第二言語としての)日本語」教育かはなんとも言えないですよね。それから、みなさんも僕も、上手いかどうかは別として少なくとも一つは他の言語を学習していますよね。絶対、単一言語話者じゃないですよね。それに、私たちは中国語を見るとなんとなく意味を推測できませんか?少なくともアメリカ人よりは理解できると思います。そうなると私たちの言う「外国語」は本当に「外」国語なのか?とも考えられるわけです。
 人間は、そういうふうに複数言語を実はいろいろと学ぼうとしている。もちろん子どもも、私たちもね。だから国語や日本語、外国語という境目をなくし、様々な言語を活用していけるようにならないかなと思い、もう全部ひっくるめて「ことばの教育」として、私たちの中に入れていこうよ、と思って使っています。
 そういう意味では、最初に専門は日本語教育と言いましたが、「ことばの教育」っていう意味では、言語間にできるだけ境目は作りたくない。教育っていう意味では、言語だけじゃなくて、社会への参加も視野に入っています。しかも、それを「調査する」みたいなことではなくて、「学生への教師教育」を通してやっている。だから、「専門は〇〇学です」と一括りには語りにくいんですよ。

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学問に興味を持ったきっかけ

 実は大学生の時は学校教育の中の社会科教育に所属していて、卒論は考古学ゼミでした。あと、大学時代ボート部と体育会の役員をしていたんです。で、3年生の時に、体育会の企画でタイのチェンマイ大学と交流戦をすることになり、初めて海外に行きました。その時にお世話になった先生の仕事が日本語教育だったんです。それが外国人に日本語を教える仕事があるということを知るきっかけになりました。その時は小学校の教師を目指していたので関係ないと思っていたんですが、4年生のときに卒業した後何をするか考えた時に、すぐに小学校の教師になるのではなくて、教師を目指す人を日本語教師としてタイに派遣するプログラムがあり、それに参加することにしました。1年で帰ってきて、臨時採用の中学校でした後、縁があってまたタイで日本語教師をしていました。
 その後、帰国して学校の先生を目指すことにして、滋賀県で講師登録をしました。その際に日本語教育ができると書いたら大津市の中国帰国者の子どもの多い小学校とブラジルから来た子どもの多い中学校から連絡があって、そこで非常勤講師をすることになりました。その際に日本語指導に時間を費やしてしまったら他の教科の勉強がどんどん離れてしまうという矛盾に出会ってしまったんです。それで、日本語と教科を混ぜた授業をやっていたんです。「社会が一番苦手」って子どもたちが言うので、日本語を教えながら社会の授業をしてたんです。でも、僕はなぜブラジルから来た子どもに対して日本の歴史をわかりやすく教えているんだろう、と。これは根の深い教育問題だと思いました。学校教師をめざしながら日本語教師をやっていた自分の、ライフワークになると思いました。で、大学院でこの問題を扱おうと決めて社会科教育に籍を置きながら、日本語教育の講座にも出入りして、研究していきました。

ご趣味は?

 DIYはけっこうします。研究室内の棚も私が作ったんですよ。でも、仕事と趣味って、切り分けたらだめだと思っています。遊びの中で仕事をして、仕事の中で遊ぶっていう感覚が大事だと思います。前にいた地方の大学では、教養科目で「地方と仕事」をテーマにした雑誌をつくる授業なんかもしていました。趣味で知り合った珈琲豆の焙煎と出張喫茶をして、地方からクリエイティブに仕事を展開している友人を巻き込んだ授業で。朝一の授業で学生たちがみんな眠そうだったのもあって、知り合いを授業に招いてコーヒーを淹れながらお話をしてもらって、そこから「なんで地方でそんな仕事が成立するのか」から「地方と仕事」を考える時間を作ったりしていました。また機会があればしたいですね。僕は難しい概念の授業でも、常に授業を面白くしたいというのが基本にあります。だから、様々な要素を集めながら授業や教育に生かせるものは何でも生かすというスタイルでやっています。そのためには、仕事と遊びは切り分けないほうがいいんです。教師の仕事って、そういうところが楽しいんですよ。

東京学芸大学の授業内容について

 授業は幅広いです。日本語教育の教育方法の授業から、日本語の専門的な内容、日本語と政治の関係の話まで持っています。だからいわゆる「専門」の授業でも、「方法」を意識してやっていますよ。例えば、「現代社会と日本語」という授業では、社会言語学を教えています。でも、そこでも例えば「私たちはそんな中国人に出会ったこともないのに、なぜ中国の人は語尾に『~アル』をつけると思っているのか」という問いから探求する授業にしたり、「戦前、日本語教師は『植民地の同化政策の担い手』だったのか『現地の文化交流の担い手』だったのか」を議論させる授業にしたり。専門的な内容であっても、教育方法の授業であっても関係なく、「今学校で必要とされている能動的な学びを生み出すための仕掛けと展開」を学生たちが体感できるようにしています。

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学生に伝えたいことはありますか?

 1つ目は、どういう変化を与えていくか?そのための実践を考えるということです。そうすれば、いろんな子がいるとなった時に「授業」という枠を超えて戦略を持っていろいろな手立てが打てるようになり、変化を作っていけるようになります。
 2つ目は、教師の世界は面白いことを考えていけるクリエイティビリティが大切!ということです。今の時代は教員の働き方改革やクレーム対応について言及されるように社会の歯車的な意味としての教員の話が目立っていて。確かにリスクマネジメントももちろん大切です。が、クリエイティブに何かに挑戦してよりいいものを作っていこうとする冒険的な視点を持っているからこそ、リスクマネジメントだって必要になるんだと僕は思います。これから教員を目指す学生たちが、教職がクリエイティブな仕事であるということを忘れてしまったら自分たちの子ども像に入ってこない子どもたちが現れた時に対応できなくなってしまいます。クリエイティビティがないと授業も面白くできません。だんだん教科書やカリキュラム、学習指導要領の「ユーザー」になってしまいます。私たち教師は「ユーザー」ではなく、「メーカー」になっていかなければならないと思うのです。教科書や指導要領は、素材の1つ。それをどう使ってどうアレンジするかは自分たちだという視点を持って臨むと、クリエイティビリティの発揮しどころが見えてきますよ。

先生からひとこと!

 大学の価値観が変容しているいま、専門について掘り下げて学ぶということもわからなくはないけれど、教員を目指す学生にとって大切になってくることは「自分の専門をひとつと決めつけないこと」だと思っています。専門性に閉じ籠らず、あらゆることを見たり触れたりして「人を育てる」という仕事の面白さに気づいていってほしいのです。
 関西弁には「オモロイ」という概念があります。「オモロイ」という言葉には"面白い"という意味のほかに「ウワーッ、変わってんなぁ、オモロイなぁ」とか「ウワーッ、何でなんやろか、オモロイなぁ」と、「ウワーッ」と知的好奇心のままに自分を広げ深めていくパワーがあります。是非この「オモロイ」という感覚を教員には持っていてほしいと願っています。教育実践を展開する上で大事なのは、まさにこの「オモロさ」のヒミツを教師がわかっているかどうかです。まずは教員側の人間が「オモロがれる」ようにならないといけませんよね。そのためにも学生達には「オモロがれる自分」を育てていってほしいです。それが、幅広い外へ向かう力をつくり、やがて「複数の強み」をもった分厚い人になっていくはずです。ことばも、専門も、「複数」が価値を持つ時代なんです!

取材/米田百花、虫谷涼香

南浦涼介 先生

Profile

南浦涼介 先生

1979年生まれ、山陰生まれの阪神間育ちの西日本系多摩在住人。博士(教育学)。滋賀大学卒業後、タイでの日本語教師、小中高等学校での講師、フリーター、塾講師などを転々として、広島大学大学院で学び、2010年に山口大学で小学校教員養成と社会科教員養成の仕事をする。2016年から現職(東京学芸大学 A類国語教育選修日本語教育コース准教授)。外国につながりを持つ子どもたちの日本語教育を中心に、「多様な人が」「多様なことばを用いて」「この社会に強く生きていく」ための方法を、実践的に研究的に模索中。
研究室ウェブサイト:みなみうらぼ。Twitter:@minamiurya