擬人化エージェントによるカウンセリング・システム
構築の試み −“bot-mama”について−
 
東京学芸大学 藤野 博
 
1.はじめに
 
 コンピュータやその他の電子通信手段を媒介とするカウンセリングやソーシャル・サポートの試みは今日多様な形態で試みられている。カウンセリングにおける媒体のそのような変化は、従来のダイレクトな面談とは異なる様々な効果を生むことが指摘されている。しかし、コミュニケーションの媒体は変わっても、システムの両端に人がいる、すなわち、最終的には人と人との間で営まれる活動であることに変わりはない。それでは、人でなく、コンピュータ自身にカウンセリングを代行させることはできないだろうか? 実はそのような構想は最近出てきたアイデアでなく、意外に古くから考えられていた。まずは、そのあたりの歴史から眺めてみよう。 
 
2.コンピュータ・カウンセリング研究事始め
 
 コンピュータにカウンセリングを代行させる。このアイデアが生まれたきっかけは1960年代に遡る。それは、MITの人工知能研究者であったWeizenbaumが開発したELIZA(イライザ)と呼ばれるコンピュータ・プログラムに端を発する。ELIZAは自然言語による対話システムであり、ユーザがキーボードから入力した文字列に対し、文字列で応答する。このシステムの大きな特徴は、“クライエント中心療法”、または“非指示的カウンセリング”などと呼ばれるロジャーズ派のカウンセラーをシミュレートするようプログラムされている点であった。なぜそのような特殊なシチュエーションが選ばれたかといえば、カウンセラーがクライエントに具体的な指示や助言を与えず、もっぱら聞き役に回るカウンセリングにおける応答スタイルが、コンピュータにユーザとの会話を維持させるシナリオとして都合がよかったからである。ELIZAプログラムを利用すると、たとえば次のように会話が進んで行く。利用者:「最近、眠れないんです」→ELIZA:「眠れないんですね。そのことについてもう少し詳しく話してください」。このように、システム自身は具体的に答えず、ユーザに発言を続けさせるようなメッセージのみを返すため、会話が続けられるという仕組みである。しかしごく単純なプログラムであるため、すぐにあきられるだろうと考えた開発者自身の予想に反し、ELIZAと会話した人達は皆、あたかも人間と会話をしているような錯覚に陥り、そのシステムにはまったという。このような、応答するコンピュータ・プログラムに対し親しみが生じる現象は“ELIZA効果”と呼ばれている。
 
3.コンピュータ・カウンセリングの現実と可能性
 
 このELIZAプログラムはすぐに精神医療領域からの注目も受けることとなった。このコンピュータ・プログラムを発展させれば、将来自動化された形の精神医療が可能になる、と真剣に考えられたのである。そのようなELIZA実用化構想の代表的な論者にColbyがいる。彼はELIZA的なコンピュータ・カウンセリングのシステムを開発し、それがやがて臨床で使用できるようになるだろうと考えていた。もしそれが可能になれば、コスト、マンパワー、時間的制約からの解放などの点で精神医療に革新的な変化がもたらされるはずであり、それはクライエントの利益につながるとColbyは考えた。しかし、このアイデアは結局、実現することはなかった。今日そのようなシステムが臨床現場で実際に使われていないことを振り返って見るだけで、その失敗は明らかである。
 ELIZA型のカウンセリング・システムが実現しなかった理由としては、精度の高い自然言語処理システムの構築の難しさに加え、クライエント中心療法が効果を生むための要件とされている“共感”をコンピュータ上で実現することの難しさがあろう。そのためには、他者の“心を読む”、“意図を理解する”ことが不可欠であるわけだが、それはコンピュータにとって至難の技であり、ヒトが日常生活で何気なく行っている“以心伝心”のコミュニケーションがコンピュータにはできない。ヒトのそのようなコミュニケーションのあり方に重要な役割を果たしていると今日考えられるようになった“共同注意”などの活動は人工知能/ロボティクス研究の側からも最近になって注目されるようになった。
 ところで、ELIZAの実用化を構想したColbyはその後方針を転じ、エキスパート・システム・ベースのカウンセリング・システムの設計に着手することとなった。共感型システムから問題解決型システムへのパラダイム・シフトといえる。ELIZA型では会話の主導権がユーザにあり、それゆえ、筋道だった会話維持の困難に直面することは避けられない。そもそも利用者の発言意図を理解することは原理的にできないため、たとえ表面的にかみあった話をある程度続けられたとしても、共感型のカウンセリングはそもそも成立しない。これに対し、エキスパート・システムでは、システム側の主導のもとにやりとりが進められてゆく有利さがある。選択肢を提示し、答えを選ばせてゆくことで、確実にゴールに至る。専門家の知識をフルに活用し、問題解決に至る援助をするのがエキスパート・システムの特徴である。カウンセリング方法論の多様化の中で、認知療法、認知行動療法などと呼ばれる問題解決型カウンセリングが注目されるようになったこともこのパラダイム・シフトの背景にはあろう。Colbyは、具体的な問題解決が志向される認知行動療法ベースのカウンセリングなら、エキスパート・システムが十分利用でき、効果をもつのではないかと考え、うつ病のカウンセリング・プログラムを開発した。これに類似したプログラムは他にも作られ、一定の治療効果が報告されている。
 
4.新たなコンピュータ・カウンセリング・システムの構想とその意義
 
 ELIZA型のカウンセリング・システムの実用化は、2001年を迎えた現時点においてさえも現実味はきわめて乏しい。一方、エキスパート・システム型なら十分実現は可能である。しかし、カウンセリングにおけるエキスパート・システムの問題点をあげるなら、システム主導で会話の自由度も乏しく、いかにも機械的で人間的な温かみに欠ける、という点であろう。コンピュータ上に親しみやすいキャラクターをもったエージェントが日常化した今日(註:人物的な特徴をもったエージェントを人工知能研究の領域では“擬人化エージェント”と呼ぶ)、もっとユーザ・フレンドリーなシステムがあってもよいのではないか。エキスパート・システムの問題解決を志向する知識提供機能は活用し、そのうえにELIZA効果を意図的に付加することで、より人間的な知識提供/問題解決型のカウンセリング・システムが作れるのではないか? 長期的展望としてはそのあたりを視野に入れた。そのうえで短期に実現できる目標として、今回は会話を楽しみながらその過程で専門的知識(今回のプロジェクトでは“障害”と“不登校”)についてもある程度知ることができた、というレベルのいわば対話型の簡易知識提供システムを目指した。そのため、今回はエキスパート・システムとしての側面よりは、対話型のELIZAシステムの再評価と利用方法の再検討に比重が置かれている。ただし、これまでのELIZA型システムがカウンセラーとしての権威のもとに「聞き役」に徹するのに対し、本システムで働くエージェントには障害や不登校などについて少しだけ知識のある若い母親という役割を与え、ユーザと対等の立場で会話に参加するという、“ピアカウンセリング”のモデルを適用した。その点が、コンピュータ・カウンセリング・システムの設計に関し従来のELIZA型とは異なる新しい発想であるといえる。
 
5.本システムの仕様
 
 “bot-mama”と名づけた本チャット・システムの仕様について次に解説する。本システムはPerl言語によってプログラムされたCGIスクリプトから成っている。Perlは文字列処理に優れているため、Web上でチャットを構築するのにもっともよく使われる言語である。基本的には“人工無能”chatterbot,註:構文解析などを行わず、文字列マッチングのみで機能する自動チャット・プログラムの俗称。“人工無脳”ともいう)で使われるキーワード・マッチングやランダム・メッセージ出力などのノウハウを活用したが、それに加え話題維持のためのスクリプトを実装した。プログラムはおおよそ以下のような流れで動作する。ユーザのログイン(入室)→挨拶→日常会話→専門知識の提供→日常会話→ユーザのログアウト(退出)。また任意の場所で、ユーザの発言に含まれる専門知識に関連した特定のキーワードに反応し、質問への応答という形で情報を表示する。以下、その流れに沿って具体的に説明する。
 
@ログインと挨拶
 ログイン時の名前(NAME)がユーザ名ファイルのデータと一致しない、すなわち初回訪問の場合「はじめまして!NAMEさん」、一致する、すなわち再訪の場合「こんにちは!NAMEさん」と挨拶メッセージを表示する。
A日常会話
 日常的な会話では、挨拶に続いていきなり本題に入るより、まず時候や天候、最近の出来事など何気ない話題をめぐってひとしきりターンが続くのが自然である。本プログラムはこの自然な日常会話らしい展開を極力実現しようと努力した。まず、従来の“人工無能”同様、キーワード・マッチングとランダム・メッセージによる応答をするようプログラムした。キーワード・マッチングとは、たとえば「今日は寒いね」というユーザの発言に対し、エージェントに「ほんと冷えるわ〜」などと答えさせる。日常会話用辞書に登録されたキーワード(ここでは“寒い”という文字列)にマッチし、それに対応づけられた返答文が出力されるといった仕組みになっている。また、このようにキーワードにマッチしなかった場合は「ちょっと待って・・・えっと・・・なんだっけ?」などのような応答パターンをランダムメッセージ・ファイルからピックアップし、出力する。そのような形で会話の維持を図った。
 しかし、コンピュータにユーザの発言と完全にかみあった応答を維持し続けさせることは、どのようなプログラムによっても現状では不可能と考えられる。いわゆる“フレーム問題”を回避できないからである。また、これまでの“人工無能”でよく使われているキーワード・マッチングやランダム・メッセージのみによる会話進行の手法に頼った場合、とりとめのない、あるいは的外れな発言の繰り返しの中でユーザの会話へのモチベーションの低下が生じる。そこで、多少強引ではあるが、時々、エージェント主導で3ターンほどの対話を進めて行くという手法をとることにした。グライスの言う会話における“協調の原理”から、ユーザが基本的に相手から切り出された話題にのった応答をしてくれることを想定してスクリプトを作成した。この3ターンの自己完結型会話スクリプトは、ランダム・メッセージと同じく、ユーザの発言がキーワードにマッチしない場合に出力される。このスクリプトはたとえば次のように進行する。
(i)「もし、1週間ヒマがあったら、何したい?」というような話題を切り出す。
(A)「いいかもね・・・わたしなら、」のように、ユーザの入力に関係なく(i)に関連する発言を返し、話題の維持を促す。
(B)「やっぱり旅行したいな。列車がいい。駅弁たべて、温泉はいって。」のようにやはりユーザの入力に関わらず同じ話題を続ける。
 また、エージェントのキャラクター・イメージ画像も9パターン用意されており、セリフの内容に合わせ、笑い顔、困り顔など表情を変える。キャラクターの個性を明確に打ち出したことも本システムの特徴のひとつである。具体的なヴィジュアル・イメージとともに自分のプロフィールを会話の端々で述べることによってエージェントに個性を持たせた。相手に関する知識の量は会話が円滑に運ぶための決め手となるからである。
B専門知識の提供
 そのような何気ない日常会話をひとしきり続けた後、専門知識に関わる話題を提示する。これも基本的に自己完結型スクリプトにより、たとえば(@)「近所に自閉症の子がいるんだけど、みんな親が悪いっていうの!ヘンじゃない?」、(A)「だって・・・自閉症は脳機能の障害で、親の養育や家庭環境が原因じゃないんだから。」、(B)「それにね、いわゆる遺伝病でもないらしいから、偏見をなくすべきよね。」のような一連の関連する発言がユーザの応答内容と関係なく3ターンほど続けられる。先にも述べたように、エージェントは障害や不登校の問題に少しだけ詳しい母親という設定にしており、専門家としての権威のもとにカウンセラーが語るのでなく、想定されるユーザ層と同じような立場から対等な目線で平易に語りかけるようなシステムを目指した。
 このような数ターンの知識提供に続き、また日常会話に戻り、さらにその後再び知識提供へ、という形でルーチンが続く。また、そのようなスクリプトに沿った進行以外に、たとえば“自閉症”など計14領域に関する専門的なキーワードが入力された場合、それに応答させ上述の自己完結型スクリプトを呼び出し、知識提供も行う。
Cログアウト
 「さよなら」などの特定のキーワードに反応し、お別れメッセージを出力する。最終的には退出ボタンによってログアウトが完了する。
 本システムはざっと以上のようなアルゴリズムに従って動作するよう設計した。
 
6.今後の展望
 
 今回は、残念ながらシステムとユーザの質問-応答によって問題を掘り下げて行く形の真の意味でのエキスパート・システムを構築するまでには至らなかった。本システムは構造化された知識ベースの活用は全く行っておらず、スクリプトと文字列マッチングのみで動作する。すなわち、いわゆる“人工無能”であって“人工知能”ではない。今回は、欲しい情報を必要に応じ的確に提供できるような実用化の側面よりは、むしろ楽しみながらユーザがエージェントと会話を続けてゆけるようなシステムの可能性を探るための試行を主目的としている。その点でピンポイントで必要な情報が提供され、問題が解決されることを求めるユーザのニーズに適うものとはなっていないかもしれないが、そこを現時点での目標とはしなかった。
 構造化された知識ベースを活用する本格的なAIに基づくエキスパート・システムの組み込みは今後の課題といえる。それはXML技術によるナレッジ・マネージメントの方法論の利用などで可能となってゆく部分もあるだろう。しかし、とくにヒューマン・サービスの分野において“擬人化エージェント”を利用したユーザ・フレンドリーなカウンセリング・システムを今後さらに構築してゆくにあたっては、従来のエキスパート・システムのような情報検索のノウハウだけでなく、人間の自然なコミュニケーションに関する認知科学的研究の成果の活用が不可欠ではないだろうか。今回の試みはそのためのパイロット・スタディと考えており、その方向に向けて投じた一石のつもりである。
 なお本システムは、メディア・プランナーの金子弘行、プログラマーの村井芳浩との共同作業によって実現したものである。役割分担としては、藤野がシステムの基本設計を、金子がエージェントのキャラクター設計および会話スクリプトの制作を、村井がプログラミングを担当した。
 
 【謝辞】 “ほっとママ・プロジェクト”の開発リーダーである東北大学大学院教育学研究科・菅井邦明教授、渡部信一助教授三菱総研情報通信研究部・比屋根一雄氏、飯尾淳氏のご理解とご支援によって本システムの実現は可能となりました。謹んで感謝をいたします。
 
 【参考文献】
  [1]ジョセフ・ワイゼンバウム,秋葉忠利訳(1979)コンピュータ・パワー 人工知能と人間の理性.サイマル出版会.
   [2]Colby KMWatt JBGilbert JP (1966) A Computer Method of Psychotherapy:             
    Preliminary CommunicationThe Journal of Nervous and Mental Disease142(2)148-152
   [3]シェリー・タークル,日暮雅道訳(1998)接続された心 インターネット時代のアイデンティティ.早川書房.
   [4]岡田美智男ら編(2000bit別冊 身体性とコンピュータ.共立出版.
 
e-mail : hfujino@u-gakugei.ac.jp