学芸大学生の憩いの場、第二むさしのホールこと『カフェ前』から『プール門』へと続く道。
さんさんと輝く太陽の下、運動部が気勢を上げ、キラキラ光る汗を拭うグラウンドと目と鼻の先。
木が茂り、湿った空気がまとわりつく薄暗い道。そこに、その木がある。
腰を曲げた松の木。群生する他の松と変わらない。
意識しなければ、何の変哲もない、普通に植えられた松の木。
しかし根元を見てみよう。そこに他の松には見られないものがある事が分かるだろう。
道路にはみ出たその一株の松を囲み、守るようにせり出した道の路肩。
しかし学芸大学に関係する人間の中で、この敷居が何を意味するか知らない者はいない。
道に乗り出した邪魔な木を何故切り落とさないのか。
その理由が、この松が『崇りの松』と呼ばれる所以である。
学芸大学の敷地内の道が、異常に広いことに気づいた者は少なくないだろう。
一説によれば、この施設はもともと教育機関などではなく、国の軍事施設だったという。
うわさは大学の生徒によって語られ受け継がれていく。
道が広いのは戦車がそこを通るため、敷地を囲う塀が極端に高いのは内部で行われている作業を外部に漏らさないためであると。
そしてこの『祟りの松』は、その時代からの因縁で今もこの場に立っている、と。
その昔、施設を国立大学として改修をしたときのこと。
道路を広げるために行った工事で、作業をしていた一人が原因不明の死を遂げた。
このときは、周囲の人間も悲しみこそすれ、死因については深く考えなかったという。
そして数日後、今度は二人の死者が出た。他殺や自殺でもなければ、病気でもない。
しかし一人目と同じような死に方で。今度は、周囲の人間も慄いた。
伝染病や食中毒などいろいろなものが疑われたが、しかし原因はわからないまま。
唯一判明していたのは死亡した三人の共通点、
すなわち、敷地北部のはずれ(今のグラウンド付近)の道路の拡大作業をしていた人間だ、ということ。
その場を調べるということで数日間も工事を中断して行った調査でも、人間の死因となるものは何も見つからない。
結局、死因調査はただの偶然という結論で幕を閉じた。かくして工事は再開され、
結果としてその後何年にも渡って、繰り返し死者を出すことになる。
被害者多数、死亡率百パーセント、死因は、道路の拡大に邪魔な、ある一本の松の木を切ろうとしたこと―――。
工事は中止、『祟りの松』は放置。これが今から何十年か前、作業員たちに出された指示であった。
これが、『カフェ前』から『プール門』に続く道が、他の道に比べて狭いことの理由である。
この『祟りの松』のうわさを聞いて回っている途中、我々調査団は恐るべき情報を入手した。
なんと何年も放置されていたあの『祟りの松』を、伐ろうと計画している人間がいるという。
これが事実ならば、またも我々はあの松に人間の血を吸わせることになるかもしれない。
我々はそれを阻止すべく、その人物に会うことにした。下にあるのは、その人物の写真である。
なおプライバシー保護のため、顔の一部は隠し名前も『S』と仮名する。
調査団は数日の交渉の末、ついにその人物『S』氏と会うことが出来た。
写真からもわかるとおり、まだ若い青年であった。
彼からは、真面目そうな外見に似つかわしくないくらいの『松』に対する怒りと強い意志が受け取れた。
我々は彼に『祟り』を回避させるため会談することで、その祟りが引き起こした悲劇を知ることになった。
彼の曾祖父は、学芸大学の工事に携った人間であったという。
彼の曾祖父は当時まだ新人で、不幸にも『祟りの松』の恐ろしさを知らなかった。
ある日彼はその松のうわさを先輩から聞いた。
彼はそのとき、祟りの話をまったく信じなかったという。
一人の同僚を引き連れて松に向かってしまい、そして、このときも『松』は容赦をしなかった。
同僚は死に、『S』氏の曾祖父は数年間も悶え苦しみ、
「ゆるしてゆるして」とうわ言のようにつぶやいて死んでいったという。
『S』氏は、曾祖父の敵を討ちたい、と静かに言った。そしてその翌日、我々が止めるのも聞か
ず、『祟りの松』に向かって行った――。
その後どうなったかは、無論言うまでもないことであろう。何事もなかったように青々とした葉を
付けている『祟りの松』を見ると、我々は怒りを覚えずにはいられない。犠牲者の冥福を、心から願ってやまない。