「化学教育ジャーナル (CEJ)」第8巻第2号(通巻15号)発行2005年 4月11日/ 採録番号 8-10/2004年12月 6日受理
URL = http://www.juen.ac.jp/scien/cssj/cejrnl.html
Avogadro

物理化学実験-アボガドロ定数の測定-

A new experiment program of physical chemistry

- Determination of Avogadro constant -

生尾光a,*,江沼直樹b,寺谷敞介c,長谷川貞夫a,宍戸哲也a小川治雄a

a東京学芸大学教育学部自然科学系分子化学分野

b現在都立日野高校,c東京学芸大学名誉教授

Akira Ikuo a,*, Naoki Enumab, Shousuke Teratanic, Sadao Hasegawaa , Tetsuya Shishidoa, and Haruo Ogawaa, aDepartment of Chemistry, Faculty of Education, Tokyo Gakugei University, bHino High school, cEmeritus professor of Tokyo Gakugei University

* ikuo@u-gakugei.ac.jp

1.緒言

 化学の基本概念である物質量とその定数、即ちアボガドロ定数、は化学の根幹をなすものであり、物質の定量の基となる。本論文は教育学部の学生を対象に試行したアボガドロ定数の測定実験を学生実験プログラムとして提唱するものである。
 物質量の基本概念であるアボガドロ定数は、現在、いくつかの方法によってその誤差を1 ppm以下に抑えることを目指した努力が続けられている(1,2)。ケイ素の良質な単結晶を用いたX線密度法はその一つの方法である。この方法では、体積測定の精度を上げるために試料を真球にした上でレーザー光干渉計により直径を測定し、質量の測定を経て密度を算出する。X線干渉計による精密な格子定数決定および同位体組成比を正確に測定することで目的に到達する。
 これらの測定原理が学生に容易に理解でき、かつ、この基本定数を身近に感じることができるように実験プログラムを設計するには、学生実験に向けて精度良く、かつ、容易に測定できるよう工夫が必要とされる。対象試料としては高校の化学の授業においてイオン結晶の代表として頻出し、身近な物質である塩化ナトリウムを選んだ。一般に、水溶液から大きな塩化ナトリウムの結晶を成長させることは困難を伴う(3)。大平は、るつぼで溶融させた塩化ナトリウムからの結晶成長を試み(4)、その結晶を劈開させた直方体の体積を測定することで密度を求め、アボガドロ定数からイオン半径を見積もる実験を提案した(5)。塩化ナトリウムの溶融および引き続く作業を順次行うには、制約された学生実験の規模および時間から、安全に、かつ、時間内に実験を進めるための周到な教育的技術が必要となる。山本は、これを克服すべくメキシコの天日塩を劈開させることにより密度を測定し、イオン半径を与えてアボガドロ定数を求める実験を試みている(6)。天日塩の劈開による測定資料の調製は、比較的容易で再現性のある結晶破片を取り出せる利点を持つ。
 大学の物理化学実験においてX線回折測定およびそのデータ解析は重要な基礎技能として位置づけられる。一般に、粉末X線回折装置は台数や測定機器に制限があり、個々の学生に対応するに充分な機会を提供することは困難である。測定したデータを学生自らがパソコン上で再現、再加工操作ができるようになれば高い学習効果が期待できる。しかしながら、一般的に電子データの保存形式が回折装置により異なり、汎用のパソコンソフトで処理することには困難を伴う。本プログラムでは、X線回折装置からの出力データを電子ファイルとして保存し教材として活用すべく、X線回折データ表示ソフトNAZCA(7)を開発した。これにより、本学情報処理センターのサーバー上に置いたX線回折測定データを学内のいかなる端末教室からでも自在に読み取り加工が可能となり、いわゆる個別学習対応型のプログラムを提供することができた。

2.実験の位置づけと対象

 系統的な分子化学分野のカリキュラム体系にあって、3年前期の専攻に関する科目として3つの専門実験(物理化学実験、無機分析化学実験、および有機化学実験)が設定されている。物理化学実験はそのうちの一実験科目である。専門実験は、これまで履修してきた化学の基礎科目を基に応用展開する授業として位置づけられている。また、この3つの専門実験は卒業研究を行うために必要な科目であり、4年次の卒業研究に活かされる化学的技能、能力を養う授業でもある。物理化学実験は、本報告のアボガドロ定数の測定の他に安息香酸のアルミナへの吸着(8)や塩化カリウムの溶解熱測定による水和数の決定、そしてジフェニルピクリルヒドラジル(DPPH)およびペリレンのESRシグナル測定等の実験テーマが設定・運用されている。受講対象は、本学教育学部における理科教室または自然環境科学教室に所属する学生のうち分子化学分野に配属されている学生(教育系:初等教育教員養成課程・理科選修、中等教育教員養成課程・理科専攻、教養系:環境教育課程・自然環境科学専攻)であり、平成16年度の受講生は合計32名であった。

3.実験の方法

 実験プログラムはスキーム1の手順により進められた。

  

スキーム1. 実験プログラムの流れ

   *1測定データの解析は資料1,2を参考に進める

3.1.試料の調製

図1. 天日塩結晶

 無定型の天日塩(図1)に千枚通しをあて木槌でたたくと結晶面が劈開し平滑な面が現れる。この面を下にしてさらに同様の操作を繰り返すと第二面が劈開する。岩塩型結晶は立方格子なのでこれ以降の劈開面は第一あるいは第二面に直交すると予想される。その予想される面にそってカッターの刃を当てて木槌でたたくことにより直方体の試料を得る(6)(図2)。ここでいかに平滑な面を出すかが次に行う密度測定の精度に係わってくるので慎重な調製が望まれる。

図2. 劈開後の測定試料

3.2.密度の測定

 ダイヤル式副尺を備えたマイクロメータ精度のノギス(ミツトヨ製ダイヤルノギス)を使用することにより、劈開試料の縦、横、高さを小数第2位(0.01 mm)までを測定する (図3)。試料を平行六面体と見なして縦、横、高さから体積を求める。次に、電子天秤によりその質量を測定することで、塩化ナトリウムの密度を算出する。

図3. マイクロメータ精度のノギスと劈開試料

3.3.X線回折測定とファイル変換

 天日塩の劈開の際に生じた破片を乳鉢にて粉砕しX線回折測定用アルミホルダーに充填しRINT-1300(理学電機製)により回折測定を行う。測定データは先ず、UNIX-MSDOS変換ソフト(理学電機製)によりMS-DOSのテキスト形式のファイルに変換される。その後、このテキストファイルは、教材として活用すべく今回開発したX線回折データ表示ソフトであるNAZCA(7)により、バイナリー形式のファイルに変換され、本学の情報処理センターが管理する教材用ディスク領域に保存される。これにより、X線回折データの解析に必要なデータ情報は、いかなる端末教室からでもNAZCAを介しアクセスされることが可能となる。このことは、X線回折装置設置場所にとらわれずに、学生は学内の何処からでも自在にX線回折情報を読み取り、その加工を行うことが容易に出来るようになったことを意味する。

3.4.データの解析

 アボガドロ定数は、試料の密度と単位格子の密度が等しいとして、密度と単位格子の長さ、単位格子中の原子数、結晶を構成している原子のモル質量から算出することができる。本実験プログラムでは、天日塩の劈開により調製した試料の密度測定および、X線回折測定による格子定数の決定からアボガドロ定数を算出することになる。以下に本学の情報処理センター端末教室において行った操作を記す。
 先ず、学生は教材用ディスク領域からX線回折データファイルやNAZCAを各自の作業領域にコピーしてNAZCAを起動する。自らが測定したX線回折データファイルを読み込むことによりPCのモニター上にX線回折パターンが表示される。画面上のマウスポインタに連動して画面下端のステータスバーにピーク強度と回折角2θ が最小目盛り0.01度まで表示される (図4)。

図4. PC上のNAZCAによるX線回折パターン

任意の領域をマウス操作で設定することによりその回折ピークを拡大することができ、容易に精度良く回折角を読みとることができる(図5)。

図5. NAZCAによるX線回折ピークの拡大

得られた回折角データから結晶型および格子定数を資料を基にした演習により求める。計算には各自の端末にインストールしてある表計算ソフトExcel(Microsoft Co.)を使用する。求めた格子定数と単位格子中の原子数、先に測定した密度、そして式量からアボガドロ定数を計算する。

4.実践および結果

4.1.劈開試料からの密度

 メキシコの天日塩を劈開させることにより、比較的容易に、かつ視覚的に美しい平行六面体の試料を調製することができた。一般に、岩塩型結晶において陽イオンと陰イオンが三次元的に引き合って強固な結晶を形成しているが、強い外力によりその配列がずれることで斥力が生じて劈開すると考えられる。学生が調製した劈開試料の測定データを表1に示す。

表1. 試料測定の結果

これらの密度の平均値は2.13 g cm−3となった。この値は文献値2.16 g cm−3 (9)と比べて小さいものとなった。これには、結晶を劈開した際に生じた突起等を含めて測定したために体積を大きく見積もってしまうという可能性が含まれている。
 そこで、密度測定の比較のためマイクロメータを使用して3個の劈開試料を再測定した。マイクロメータには試料に適当な圧力を加えるテンショナー機能がある。その機能を使用して測定した結果はノギスを使用した場合と誤差範囲内で一致した(表2)。このことは、劈開による試料の調製により、測定精度に充分な平滑な結晶面が得られていることを意味する。

表2. ノギスとマイクロメータによる測定の比較

 実験室における密度測定はアルキメデスの方法が一般的である。飽和食塩水と25 ml用のメスフラスコを用いた排除体積比0.09〜0.13における3回の測定より導出された密度は2.166 g cm−3であった。これは前述の文献値2.16 g cm−3 (9)と良い一致を示した。密度を精度良く求めるには従来のアルキメデスの方法が適しているといえる。学生実験では、比較的容易に、かつ再現性ある測定値を得ることが要求される。これより、本実験プログラムで行った天日塩の劈開を利用した密度測定は、アルキメデス法に比べて簡便である上に、得られる劈開試料が比較的平滑な平行六面体であることより、イオン結晶の美しい構造を実感することができるため、学生実験に適していると考えられる。

4.2.X線回折測定とアボガドロ定数

 NAZCAを用いて低角側から10個のX線回折ピークの回折角を読み取った。それらの回折角に測定グループ間での差異は認められなかった。即ち、得られた回折角はNAZCAの読み取り精度内で一致した。典型例を表3に示す。読み取った角度2θを表計算ソフトExcelに入力し、資料. 1に従ってθ(ラジアン)に変換した上でsin2θを計算する。資料. の演習より、sin2θの公約数を導くことで面指数が決定できることを学習し、消滅則から面心立方格子を確認して面指数を導く。回折X線の波長をCuKα1と CuKα2の平均値1.542Åとして格子定数5.645Åを得る(10)。

表3. NAZCAにより読み取ったX線回折ピークとその解析a

a 解析は資料1,2を参考に行った。b最低角のsin2θ, c ミラー指数

 劈開試料から得られた密度とX線回折から得られた格子定数より、アボガドロ定数を求めると6.11 x 1023 mol−1であった。この値は6.02 x 1023 mol−1より大きい値となった。アルキメデス法により求めた密度から得られたアボガドロ定数は6.022 x 1023 mol−1であった。精度良くアボガドロ定数を測定するには、密度測定を精度良く行う必要がある。すなわち、結晶の質量が実験に用いた電子天秤で1 mgまで測定可能なことから、結晶の体積を精度良く測定することが結晶密度の精度を上げることに繋がる。直方体では、その辺や角が欠落するので体積を精度良く決定するのが難しいが、球体の体積はその平均直径から精度よく計算できる。実際の研究レベルの実験では直径約94 mm、真球度0.4μmのシリコン結晶を用いて光波干渉計による測定から0.34 ppmの体積測定精度を得たとの報告がある(11)。そこではX線干渉計による格子定数の絶対測定の試みと相まってアボガドロ定数の測定精度を向上させる努力が続けられている。これらの事実を学生に伝えることで本実験プログラムにおける体積測定の重要性を理解させ、物理定数測定の深遠さに触れることができる。

5.おわりに

 物理化学実験では学生が実験のレポートを教員に提出する際に口頭による内容の報告を義務付けている。口頭試問による本実験プログラムの終了後、学生に対して個別にインタビューを行いこの実験プログラムで一番面白かった点を答えさせた。その結果、ほとんど全ての学生が天日塩の劈開の実験が面白かったと回答した。なかには実際に教員になった際に演示をしたいと言う学生もいた。この実験操作や原理は教育学部の学生に容易に理解でき、結果として美しい直方体を得ることができ、感動を伴った体験となったものと推察される。また、何人かの学生はX線回折データから格子定数を導き出す一連の演習に強い興味を覚えたと回答した。本実験プログラムを通じて、アボガドロ定数を導き出すことが体験でき、それによりこの基本定数を身近に感じることができたものと考えられる。以上、本実験で行った天日塩の劈開による容易で再現性のある試料調製と、個別対応のX線回折データを精度良く読みとるプログラムNAZCA(7)を組み合わせることにより学生実験向けのアボガドロ定数を求める実験プログラムの提供が可能となった。

引用文献

(1) http://www.nrlm.go.jp/section/Bussei/flpwd01.htm

(2) 朽津耕三, 田中 充, 化学と教育, 46, 636(1998).

(3) 大平健二, 東京都高等学校理科教育研究会・理化部会研究発表集 録,
39, 40(1999).

(4) 大平健二, 化学と教育, 48, 514(2000).

(5) 大平健二, 全国理科教育大会研究発表論文集, 60(2001).

(6) 山本勝博, 科学教育研究, 27, 186(2003).

(7) 江沼直樹, 東京学芸大学大学院教育学研究科総合教育開発専攻
(情報教育コース)修士論文(1998).

(8) 小川治雄, 井出裕子, 生尾 光, 長谷川貞夫, 寺谷敞介, 東京学芸大学紀要
第4 部門, 52, 13(2000).

(9) 化学便覧基礎編I改訂2版, 丸善(1975).

(10) “X線回折の手引き”改訂4版, 理学電機, p.5(1989).

(11) 中山 貫, 藤井健一, 応用物理, 62, 245(1993).


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