欧州巡検の報告 ヨーロッパ地誌ゼミでは2005年以降,欧州巡検を実施しています.
日頃,文献や論文を用いて研究している私たちにとって,
ヨーロッパを訪ねて現地の様子を肌で感じる貴重な機会になっています.
このページでは,欧州巡検のルートや調査報告を掲載しています.



第6回巡検(2014年) 『中欧都市の景観とエスニック集団』
―ウィーン,ブラティスラヴァ,クラクフ,アウシュヴィッツ―

 今回の巡検は,ヨーロッパの民族を考えるためにアウシュヴィッツをめざしました. また,民族に関する過去の記憶や痕跡を求めて中央ヨーロッパの都市を訪ね,残された景観を観察しました. オーストリアの首都ウィーンでは,迫害されたユダヤ人関連の景観をめぐり,また外国人地区ブルネン小路を訪れ,彼らの社会的地位について考えました.
 ウィーンの東60qに位置するスロヴァキアの首都ブラティスラヴァに向かい,ドイツ・ハンガリー・ユダヤ・スロヴァキアの多文化景観を確認し, ポーランドの古都クラクフでは,20世紀前半まであった巨大なユダヤ人社会を理解するために, カジミエシュ・ユダヤ人地区を歩きました.
 アウシュヴィッツでは,第一・第二収容所をできるだけ時間をかけて見学しました. 特にガイドによる一連の説明を受けたあとフリーで歩いた時間は,過去を考える貴重な時間になりました. 再びウィーンに戻り,ウィーン南方60qにあるハンガリー最西端の町ショプロンに足を伸ばして, この小さな町で起こったユダヤ人の悲惨な過去に触れました.
 なお,ウィーンのビアガーデンとホイリゲで食文化にも触れました.

(写真上:アウシュヴィッツ・第一収容所ガス室)
(写真下:ブラティスラヴァ・国立劇場)

 アウシュヴィッツに出かけた感想はこちら! 

まぼろしの第5回巡検(2011年) 『中欧都市の景観を読む』
―独仏国境地帯から旧東ドイツ,そしてウィーン,ブラティスラヴァ―


 今回の巡検は,中央ヨーロッパの都市をめぐりながら,EUによる地域統合にかかわる都市の変化を観察し,人の暮らしの変化に触れる企画でした. 歴史的景観の観光資源化,外国人居住地区の形成,再開発とジェントリフィケーションなど都市理解のためのプログラムが盛り込まれました. ハイデルベルク大学のモイスブルガー教授より綿密な手配をいただき,参加予定学生11名とハイデルベルク大学学生の交歓会の企画も準備されました.
 しかし,出発直前の3月11日に東日本大震災が発生! 残念ながら巡検は急遽,取りやめざるをえなくなりました.

 実現しなかった巡検のプランをあげておきます!

第4回巡検(2008年) 『中欧都市の景観とエスニック集団』
―ベルリンからウィーンを経てブダペストへ―

 今回の巡検は,中央ヨーロッパの都市を理解するために, 特徴ある景観と都市内部に住むエスニック集団をつぶさに観察することを目的にしました. ドイツの首都ベルリンとオーストリアの首都ウィーン,さらにハンガリーの首都ブダペストにおいて, 都市に残された歴史的景観とその整備事業,観光地化に向けたエスニック文化の商品化の様子を見る一方, そこに居住してきたユダヤ人とロマ(ジプシー)の暮らしと運命を,現在の景観から読み取ることをめざしました. また,残されたユダヤ人関連の施設(シナゴーク・墓地など)やトルコ人・ロマ人の居住地区の様子を観察しました.
 一方,それぞれの都市の特徴をつかむために,ベルリンでは旧東西ベルリンの景観の違いにも目を向けました. ウィーンでは,観光客でにぎわう旧市街地と外国人地区のコントラストに注目しました. ブダペストでは,社会主義体制から市場経済化が進む旧市街地の変化を確認しました.
 世界的に知られる中央ヨーロッパ有数の観光都市において,そこにひろがる美しい町並みと, 厳しい状況に置かれている(置かれていた)エスニック集団との厳しいまでのコントラストを, 景観にしたがって理解する巡検となりました.

(写真上:ベルリン・フンボルト大学本館)
(写真下:ベルリン北郊ザクセンハウゼン強制収容所跡)

 詳しい巡検報告はこちらをご覧ください! 

第3回巡検(2007年) 『アルプス山岳地域の自然と民族』
―インスブルックからブレンナーを経て南ティロールへ―

 アルプス山岳地に位置するティロール地方は,第一次世界大戦後の国境線の変更によって, オーストリアとイタリアに分断された地域になっています. イタリアに属するティロール地方南半部(南ティロール)では,20世紀前半の全体主義体制が跋扈したなかで, 強硬なイタリア化政策に対する激しい抵抗運動が行われました. 現在は,南ティロール自治州として大幅な自治が認められており,二言語地域として独自の地域運営が行われています. この巡検では,オーストリア側の中心都市インスブルックとイタリア側の中心都市ボーツェン(ボルツァーノ)およびトレントを訪れ, 異なる発展を遂げた両国の都市の比較を通して,民族問題について考えることができました.
 現地では,インスブルック大学の地理学研究室やボーツェンのドイツ系ギムナジウムを訪問し, 現地の実情を理解できる内容となりました. その他,気候保養地メラーン(メラーノ)でのプロムナード散策や, トローデン村の酪農家とCavaleseの硬質チーズ(Grano Trentino)工場の見学も行い,アルプスの自然を感じることができました.

(写真上:気候保養地メラーンのクアハウス)
(写真下:トローデン村の酪農家での見学)

 巡検行程はこちらをご覧ください! 

 滞在した南ティロール地方最南端の町サロールノSalorno/Salurnの地元広報誌Salurner Klauseに,巡検訪問が紹介されました! 

第2回巡検(2006年) 『中央ヨーロッパとエスニック集団』
―ベルリンからアウシュヴィッツを経てワルシャワへ―

 東西冷戦の終結とともに,中央ヨーロッパは大きな変化を遂げつつあります. 特に都市は,社会主義の時代の独特の景観を保つ一方で,歴史的な町並みの整備に取り組んでいます. また経済発展をめざした新しい街づくりも模索しています. その一方で,人の移動の激化とともに,多くのエスニック集団が共存を求める地域でもあります. この巡検では,東西に分断されていたベルリンやドレスデンなど旧東ドイツの都市がドイツ統一とともに大きく変わりつつある点, また社会主義体制下にあったポーランドのクラクフやワルシャワで起こっている変化に注目しました. その一方で,かつてのユダヤ人社会,1990年代以降に急増している外国人などエスニック集団と, 彼らをめぐるヨーロッパ社会に目を向けることも,巡検のポイントとしました.
 ベルリンでは,依然として東西の都市整備の状況に大きな差があること, ドレスデンの旧市街地の復旧工事が目覚ましい勢いで進んでいること,クラクフの旧市街地の整備とともに, ユダヤ人の遺跡の観光商品化が進んでいること,ワルシャワでは旧市街地の整備とともに, グローバル化の影響を受けた高層ビルが林立する新しい景観が生じていることなどを確認しました. ベルリンのトルコ人集住地区やアウシュヴィッツ強制収容所を見学し,ヨーロッパにおける民族とは何か,について考えました.

(写真上:復元が進むドレスデンの宮殿跡)
(写真下:破壊跡を残すベルリンのユダヤ人墓地)

 巡検行程はこちらをご覧ください! 

第1回巡検(2005年) 『中央ヨーロッパの風景を読む』
―ウィーンからハンガリー,クロアチアを経てヴェネツィアへ―

 冷戦構造崩壊後,急激に変わりつつある中央ヨーロッパの様子を,都市や農村の景観を手がかりにして理解しようとする巡検でした. 景観は,人々の暮らしはもちろん,地域の政治や経済,社会,文化の特徴をヴィジュアルなかたちで捉えることができるため, 地域観察には欠かせないポイントです. この巡検では,まずウィーンで市内巡検とともにロマ(ジプシー)の若者たちとの交流をしました. ついで郊外の保養地バーデンの景観を観察。そこから東に向かって,ハンガリー国境地帯に広がる ノイシードラ湖の湿原では営巣する野生のコウノトリを鑑賞.そして,ハンガリーの首都ブダペストの都市景観を堪能したあと, 南下してバラトン湖周辺の観光景観を観察しました.
 巡検の舞台はハンガリー南部に移ります.南部はヨーロッパ有数の赤ワインの産地. ヨーロッパでもその名を知られたワイン醸造所GEREを見学・試飲。近隣の町ペーチの歴史的景観を楽しみました. さらに南下してクロアチア東部の町ヴコヴァールで戦火の跡を見た後,首都ザグレブの歴史的景観を見学. ここから隣国スロヴェニアのカルスト地形とピランの港町を訪ね,そして一路イタリアへ. アドリア海きっての港町トリエステで歴史景観を堪能しました。さいごに,世界的観光地ヴェネツィアへとたどり着きました.

(写真上:ウィーンの観光名物フィアカー)
(写真下:スロヴェニアのプレジャマ城)

 巡検行程はこちらをご覧ください!