南ティロール地方最南端の町サルールンにて

  北イタリア・南ティロール地方(South Tyrol)はドイツ語を母語にする人々が多く住む地域です。 その最南端の町Salurn(イタリア語でSalorno)は,それ以南のイタリア語圏の地域との境界に位置し, ドイツ語・イタリア語それぞれを母語にする人々が共生する社会をつくっています。 この巡検では,この町に宿泊しながら南ティロール地方の景観や文化を観察しました。 今回の私たちの訪問が町の広報誌に紹介されましたので,ここにその内容を掲載します。

  巡検は,サルールンSalurnのユースNoldinhausを拠点にして行われました。 このユースに宿泊したことから,私たちの滞在に関する記事が地元紙 Die Salurner Klause に掲載されました。 下の画像をクリックしてください!

訪問を紹介する記事

記事の内容 (本文ドイツ語,加賀美訳出)

  ユースホステル Noldinhaus ―日本人も泊まる―

 2007年3月2日から7日まで,学生とともに地理の巡検で南ティロール地方を訪れ, サルールンにあるユースホステルNoldinhausに泊まりました。 南ティロール地方は二言語境界地域という点でとても興味深く,すぐれた農業・観光地域です。 しかし,日本ではあまり知られていません。
 学生たちにとって南ティロールは初めての訪問でしたが,文化の重層性が特徴の地域社会はもちろん, すばらしい風景やシュペック,チーズ,ワインの味にすっかり魅了されたようです。 Noldinhausの皆さんには多くの心遣いをいただき,たいへん感謝しています。
今回,サルールンをこうして訪れたのは,私自身,1984年にインスブルック大学の地理学巡検で南ティロール地方をまわり, Noldinhausに滞在した経験があったからです。当時,この町の祭りTorbogenfestにも参加して, ドイツ系とイタリア系という二つの文化の存在を知りました。
 1988年にも,調査研究のために再度サルールンを訪ねたのですが,そのときはNoldinhausが満室でした。 しかし,ありがたいことにMaria Pichlerさんとその母親のIrmaさんが,自宅の部屋を提供してくださいました。 それ以来,私は友人や家族ととともに何度もサルールンを訪れ,そのたびにPichlerさんのところにご厄介になってきました。
 Pichlerさん宅にうかがうたびに,地元の皆さんや司祭館,教会や役所を紹介くださり,おかげで多くの資料を得ることができました。 とても感謝しています。そうした情報をもとにして南ティロール地方とサルールンについての記事を日本の雑誌にまとめましたが, そこに載った写真はどれもサルールンの人たちを写したものでした。
 このような経緯をたどったサルールンは,まさに第二の故郷といってもよいでしょう。 今回,またこの町で南ティロール地方についてさらに多くのことを知ることができました。
            東京学芸大学 加賀美雅弘

  Maria Barbi Pichler の加賀美さんとのつながり

 加賀美さんがサルールンを訪ねてきたとき,Noldinhausは満室でした。当時の調理人Rinaさんから声をかけられ, 私たちが引き受けることになりました。以来およそ20年,手紙のやり取りで続いています。 最初は学生として,その後は大学の教員として,彼は何度も南ティロール地方に来ています。
 1990年には東京から4人の農業関係者と一緒に南ティロールの農家を訪ねる研修 (訳注:長野県下伊那郡上村主催 ヨーロッパ研修旅行「チロルの山村」1990年4月実施)で来られ, 私たちの宅に皆さんで滞在しました。
 この旅行ののち,加賀美さんは日本の雑誌に中央ヨーロッパについての論文を書き, 特に中央ヨーロッパの少数民族集団に注目し, 南ティロール地方のドイツ語を母語にする人々を事例についての考察され (訳注:加賀美雅弘(1996):中央ヨーロッパの地域統合と少数民族集団.地理41巻5号,pp.47-57), 雑誌の表紙に娘のKarinと私が載りました。
 1993年には再び南ティロール地方を訪れ,そのほぼ全域をくまなくまわり,私たちの客人となっています。 そのときにはブドウの収穫も手伝ってくれました。さらに1995年にはご家族とともに南ティロール地方を旅行し, 私たちのところにも立ち寄っています。
 2007年3月に再び南ティロール地方を訪れ,Noldinhausを拠点に滞在しました。今度は4人の日本人学生と一緒でした。 Cavaleseのチーズ工場やTraminのワイン醸造所,Meranの温泉,TrientのCastello del Buonconsiglio, BozenのOetzi博物館を訪れたようです。
 このような特別の知人を得るきっかけとなったNoldinhausには,厚くお礼を申し上げます。
                       Maria Pichler