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絵本におけるデジタル表現の可能性絵本BOOK END 2008

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『スーアの森のキーコ』(第8回絵本学会大会・作品発表作品、正木賢一/作・画、2005)

■アナログとデジタルの狭間で

 2005年の第8回絵本学会大会で発表した『スーアの森のキーコ』は、スキャニングした手描きのアナログ素材を基にコンピュータで制作しました。その際、実験的ですが、イラストレーションと写真との融合を試みています。形やテクスチャーの面白さでストックした写真データが膨大にあるのですが、以前から、そうした写真素材を絵本表現に活かせないだろうかと考えていました。そのアイデアを一番反映できたのがこの作品で、そこには写真そのもののイメージから得られるインスピレーションや、きれいな風景だなと感じた撮影時の記憶など、雑多で断片的な要素が詰まっています。
 制作手順としては、まず、デジタル化した写真画像をコラージュしながら画面全体を構成します。 絵画で言えば下地やマチエール(matiere 質感)作りに近いと思います。そこに様々な手描き画像を重ねていき、変形したり着彩しながら、最後にキャラクターを配置していく。つまり、フリーハンドの痕跡は残しながらも、最終的にはデジタル上でエフェクト(efect 特殊効果。描画の状態を変えられる)をかけて完成させます。
 デジタル環境では、同じ絵を使って何通りものパターンを試すことができるし、作業履歴のデータもあるので、いつでも前の状態に戻しながら作業を進めることも可能です。当然ながら、紙やキャンパスに描く場合、こう簡単にはいきません。重なりあう色々な素材を瞬時に入れ替えたり混ぜ合わせたりできるので、CG作業は大変スピード感にあふれています。また、テクスチャーや手で描いたノイズを、どういう順番に重ね合わせて作るかという順列組み合わせが無数にできるのもデジタルの強みです。
 1枚の絵は、多いもので50以上ものレイヤー(layer 階層。仮想の透明なシート上に画像を別平面として配置し、何層にも重ねることができる)からできています。デジタルの特徴でもあるこのレイヤー構造からは、対象物を一度分解して再構築するという発想が生まれます。平たく言えば印刷や版画の分版作業ですね。
ただデジタルの場合は、重なりあって見えてくる図像をレイヤーごとに加工・管理し、リアルタイムでシミュレーションできます。上に塗り重ねていくアナログ的手法と違って、デジタル環境では常に流動的で同時並行な作業が続きます。 だから、デジタル作品は紙などにプリントされないかぎり完成したという実感は少なく、作業中はいつも途中段階の状況にあって何だか時間軸を失った浮遊感を覚えます。
 私自身のことですが、最近、じっくりと時間をかけて一枚の紙に直接絵を描くということがだんだん減ってきました。もともとデッサンが苦手なこともありますが、形や色、構図をその都度シミュレーションしながら納得いくまで試行錯誤できるデジタル表現に合理性を感じているからでしょう。物質的な縛りも少なく、ある意味で可塑性に富んでいるので、いくらでもとことんつきつめて考えることができます。たぶんその辺がデジタル表現における一番の特徴かなと感じます。
 コンピュータを使い始めた十数年前、メモリーを大量に使う表現には限界があって、やりたいことを十分にできないフラストレーションがありました。ところが現在はコンピュータの性能も飛躍的に高まって、当時やってみたいと思い描いていたイメージをほぼ実現できるようになっています。この点もデジタル制作に拍車をかけました。
 一見するとデジタルは冷たく固いイメージを持つ方が多いと思われますが、それはゼロからデジタルで作り上げていく場合によく見られる傾向であって、アナログ素材から展開したデジタル表現では、そんなことはありません。それとアナログに見られる偶発的要素も、CGの世界に存在します。先程も触れましたが、短時間に膨大なシミュレーションをこなせるデジタルの方が、偶発的な造形に遭遇するチャンスが多いとも言えます。そういう意味からも、デジタルな手法は、新しい表現の拡張性に役立っています。ただ、自分ではデジタルかアナログかの違いをそれほど意識しているわけではありません。描いていて気持ちよいかどうか、作り手にとってフイット感のある表現かどうかが大切ではないでしょうか。

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『スーアの森のキーコ』(正木賢一/作・画、2005)

■絵本的映像作品への試み

 絵本は場面ごとに描くという発想があると思うのですが、デジタルで制作していると必ずしもそうではありません。次はこんな場面になるという、時間軸に沿って絵が動いているようなインスピレーションがまず浮かびます。アニメーション世代の私は映像文化を身近に育ってきているので、活字よりも映像メディアの影響を強く受けていると思います。絵を描いていても、こういう風に動いたら面白いなとか、そこに音を付けたらどうなるか、そうした発想の方がイメージとして湧きやすいのです。
そんなこともあって、近頃、自分に相応しい表現は絵本なのか、アニメーションなのかなどと考えを巡らすことが増えて、そのうち、その中間領域が存在するとしたら、それは何だろう?という問いに関心を寄せるようになりました。絵本とアニメーションをどんな観点で線引きするかという問題もありますが、どこまで動かしたら面白くなるのか、どこまで動かさなくても表現として魅力を失わないのか、そんな表現上のせめぎ合いが次なる課題となったのです。
 仮にその中間領域を「絵本的映像」と名付ければ、その原点として私は『まんが日本昔ばなし』(TBS放送 1975年1月〜1994年9月)を思い浮かべます。それまで体験したアニメーションに比べ必要最小限の動きしかなかったにも関わらず、夢中になって観ていた記憶があります。
物語そのものの面白さもさることながら、 おそらく絵本的映像の動きと朗読、音声などが入り交じって相乗効果になっていたのでしょう。物語というコンテンツの重要性も踏まえ“絵本的映像表現の独自性とは何か?”が私にとって今一番ホットなテーマです。
 そこで、実際に 『スーアの森のキーコ』を題材にした映像作りを始めました。もともとこの絵本の原画は一枚の絵として結合されていないため、デジタル上でキャラクターや背景などの画像を個別に動かすことが比較的簡単です。また、最終的な作品化として必ずしも紙メディアにこだわってないので、むしろディスプレー上のRGB(光の3原色)の方が自分のイメージに近いともいえます。さらに音や動きを与えることができるので、紙ベースの絵本化に比べてデジタル表現による絵本的映像化の方が、 私の場合、展開しやすいと実感してます。ちなみに、印刷よりも画像の解像度が低くても良いので、映像化する際のトリミングや拡大縮小も自由度が増して大変合理的です。
 作り手としての私は、この絵本的映像作品の制作を通じて、特に子どもたちに向けた遊びや好奇心、ファンタジーを生み出す引き金となるようなメッセージを発信していきたいと考えてます。従来型の絵本メディアだけにとどまらず、表現活動の幅を広げられたら嬉しいです。

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絵本『スーアの森のキーコ』をもとにした映像作品の制作画面。
デジタル化によって動画・音声・インタラクティブ機能を同時に編集することが可能になった。

■デジタル表現と絵本メディア

 マルチメディアを通して発信される絵本の特性は、音と動き、双方向性(インタラクティブ性)にあります。大きく分けると、CD-ROM、DVD、携帯型ゲーム機などで再生するパッケージ型の絵本と、ネットワーク環境を通じて配信されるオンライン型の絵本が挙げられます。サイトにアクセスしてストリーミングまたはダウンロードするオンライン型の『インターネット絵本』には、携帯電話で利用できるコンテンツもあります。
 こうした紙媒体以外のデジタル系絵本は、アナログの絵本として出版された原画をスキャニングしているものが多く、その表現は、電子化された紙芝居のようなものから、アニメーションに近い映像作品まで、実に多様です。中には専用ビュアーを使って擬似的にページをめくりながら閲覧できるものもあります。また、物語の要素だけでなく、ゲーム性や学習要素を付加した内容も増えています。
 今後、デジタル表現が増えていく中で、そのメリットを最大限に生かした新しい表現とは何か、それは絵本表現を考えていく上でも大きな課題となります。おそらく視覚表現の拡張性が、聴覚や触覚など他の感覚とも結びつきを深めて、ますます高まっていくことでしょう。しかしその一方で、受け手としては出てきたものをただ楽しむだけなので、それがデジタルであるかアナログであるかはそれほど重要ではありません。
やはり、作り手のメッセージ性と表現手段とのマッチングが大切なんでしょうね。
 私個人的としては、“絵を通して物語る”手段は必ずしも絵本だけではないと感じてます。マルチメディアを活用することで、作り手は絵本という概念や構造に縛られることなく表現性を広げることも可能だし、ネットワーク環境へ展開すれば受け手にとっても作品に触れるチャンスが増えると思います。そうなれば、紙かそれ以外のメディアか、絵本かアニメーションかという選択肢の問題よりも、何を伝えたいのか?という中身の問題に意識が傾くことでしょう。当然、従来型の絵本が持つ魅力を無視してまで新たな表現性を求める必要性はありませんが。
今やデジタル抜きに表現を語ることが難しくなりました。絵本の世界でも同じことが言えますが、現実はどこか物質的で触覚的な付加価値のある紙媒体が絶対視されているように思えます。では、触れないからデジタルは良くないのでしょうか。デジタルは非物質的であるものの、紙同様表現を支える大切な一素材です。デジタル技術が進化したことで、それまでの文化が崩れるわけでもなく、むしろ、これからの絵本文化を発展させていく間口が広がったと私は考えたいです。

『絵本BOOKEND2008』(絵本学会機関誌、朔北社)より転載