モンゴル通信vol.011 「誕生日のすてきな過ごし方」

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ハダグ。馬頭琴と一緒に飾ると素敵だよと教えられた。

 誕生日のすてきな過ごし方

 誕生日の過ごし方はいろいろあると思う。レストランで家族や恋人と過ごすという方法もあるだろうし、友人や職場の同僚とともに思う存分騒ぐという楽しみ方もあるだろう。どこか風景の美しい場所を訪れて静かにのんびり過ごすこともできる。けれど、外国で暮らしているとき、どのように誕生日を迎えたらいいのかと尋ねられたら、ちょっと戸惑うかもしれない。

 僕は幸運なことにモンゴルにいる日本人の友人に祝ってもらうことができた。それぞれのスケジュールの都合で、僕の誕生日当日ではなかったが、それはとてもあたたかで素敵なイベントだった。いろいろな心のこもったもてなしを受け、幸せな気分になることができた。その記憶は心の中にそっとしまっておきたいと思う。モンゴルで出会ったかけがえのない友人たちとのよい思い出として。それに加えて、日本や日本以外で生活する友人からもメッセージを受け取った。それらにも感謝したい。

 けれど、僕がここに書こうとしているのは、それとは別に、モンゴル人たちから祝ってもらった誕生日についてである。なにしろそんなことは生まれて初めてだったからだ。これからここに書くことは、必ずしも 'モンゴル的な' 誕生日の祝い方とはいえないかもしれない。僕はそんなものがはっきりと存在するのかどうかさえ知らない。 '日本的な' 誕生日の祝い方が様々であるのと同様に。とはいえ、モンゴルの人たち、とりわけ子どもたちが誕生日を祝うという行為を大切にしていることは、祝ってくれた僕の学校の学生たちの様子から知ることができた。また、それはとても印象的なものだった。

 同僚教員のアリオンボルドさんから、「Taki(僕はモンゴルでは、たいていこう呼ばれている)、クラスの学生たちが、君の誕生日に、君の家を訪れて誕生日のお祝いをしたいって言っているよ」と話しかけられたことから話は始まった。二週間ほど前のことだ。僕はちょっとびっくりしてしまった。というのもクラスの学生は全部で16人もいる。そんな大勢を家に招いて、それなりに満足して帰ってもらうにはどんなことをすればいいのか想像がつかなかったからだ。ホームパーティが好きなタイプでもないし、そんなことは、まずできないと思った。でも、せっかくの学生たちからの申し出を断ることも、どうにも寂しいことのように思えた。例え不十分なものだったとしても、学生たちと一緒に教室以外の場所である時間を過ごすことは、僕にとっても意味のあることのように感じられた。
 「いったいどんな風にしたらいいでしょう?」とアリオンボルドさんに相談すると、まあ、簡単に食べ物を用意して、あとは、楽しくわいわいやればいいんだよ、とあまり参考にならないようなアドバイスをくれた。

 お菓子や飲み物や、簡単な食事が楽しめるようなものを準備するために、前日に抱えきれないくらいの買物をして台所に立った。やってみれば、雑作もないことだった。僕は舌の肥えた、こうるさい食通の客を迎える訳ではないのだ。料理をすることは嫌いではないけれど、人数によって作ることのできるものは限られている。

 とにかくそのイベントは月曜日(それは僕の誕生日だった)の午後、僕の家で開催された。当然といえば当然なのだけれど、案の定、学生たちがどっと押し寄せた。結局、全部で13人の学生とアリオンボルドさんが来た。すてきな部屋ですねぇ、などと子どもの割に心得たことを学生たちが言ってくれるので、僕もそれまでの妙な緊張感から解放された。

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フールグ(左)。蓋を外して香りを楽しむ。右は詰め替え用の粉。
これらを'ダーリン'という専用袋(背景)に入れて保管するのだそうだ。

 彼らは僕に素敵なプレゼントを用意してくれていた。それはちょっと想像していなかったのだが、モンゴルの伝統的なものだった。大切なお祭りに使うものなのですよと、説明をされて受け取ったのは 'ハダグ(хадаг)' と呼ばれる、ちょうどマフラーのような形の布と、 'フールグ(хөөрөг)' と呼ばれる嗅ぎ煙草だった。'ハダグ' は旧正月のお祝いなどで、ものを贈呈するときに使われるのだそうだ。'フールグ' については、男性には、大切な場面に、お互いに嗅ぎ煙草の香りを披露する習慣があるから、持っているといいんだよとアリオンボルドさん。僕が知らないところで気の利いたプレゼントを選んでくれていたようだ。いずれにも伝統模様が描かれていて、僕のようなデザインを仕事にするものにとっては、興味の惹かれるものでもあった。

 全ての学生が(14歳から23歳の学生がいる)終始笑顔で楽しんでくれたようだ。スパークリングワインや大きなホールケーキも彼らが持ってきてくれた。決して十分ではないお小遣いを出し合って準備してくれたのだと思うと、なんだか心の中でずしりと何かが動かされるような気分になった。携帯電話のカメラでひたすら写真を撮り続ける者もいれば、女の子にばかばかしいいたずらを繰り返す男の子もいた。飲み慣れないスパークリングワインを飲んでトイレから出てこられない学生もいた。小さなチェス盤に熱中する二人もみんなの会話だけは耳に入っているようだった。

 このようにして、夕刻が近づき、彼らは帰っていった。彼らは帰る前に '大掃除' をしてくれた。皿やカトラリーをきれいに洗い、床を箒で掃いて、ゴミの一部は持って帰っていった。思っていたよりも遥かに礼儀正しい連中だった。

 全ての教室で、このように教師や学生がよい関係を築いている訳ではないと思う。僕は偶然にも感じのいいクラスに配属されただけだ。それはとても幸運なことだったと思う。クラスが違えば、僕の見る 'モンゴルの光景' そのものが違ったものになっていたはずだ。
 次回は、教室の他の誰かが祝われる番になる。それが誰なのかを僕はまだ知らないが、誰であれ、その学生は幸せな気分に浸ることができるのではないかと思う。また、そうであってほしいと思う。

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部屋で記念撮影。最前列に座る右に仲良く座る二人の男子は名うてのチェス狂だ。

▼すてきな誕生日ですね。桐山さんへのメッセージよろしくお願いします。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。