モンゴル通信vol.012 「モンゴルの旧正月、ツァガーンサル。」

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ヘウィン・ボーウ。俗に「スリッパ菓子」とも呼ばれる。上には飴や角砂糖が乗せてある。

 モンゴルの旧正月、ツァガーンサル。

 モンゴルはいま 'ツァガーンサル' という旧正月を祝うための休暇に入っている。今年は2月22日が新年の始まりだった。2月26日までが公式の休日とされ、27日から通常のスタイルに戻る。辺りの銀行やスーパーはいっせいに店を閉め、僕の通う学校も休みだ。水を打ったようにビジネスのムードが一斉に静まり、代わりにお祝いのムードに変わる。モンゴルの人々にとって、旧正月を祝うことはとても大切な行事なのだそうだ。1年間の中で最も大切な行事だと言っていいのかもしれない。冬はツァガーンサル、夏にはナーダムというお祭りがあって、この二つの期間はちょっと独特の雰囲気に包まれる。ナーダムに関してはまたその時期に様子をお伝えするとして、今回はツァガーンサルについて書いてみたいと思う。

 ツァガーンサルのあいだは、離れて暮らす両親や兄弟、友人の家を訪問しお祝いをするのが慣例である。地方出身の人々は首都から飛行機やバス、自家用車を利用してはるばる数百キロメートルの距離を帰省するようだ。日本の正月や盆の風習に近いものだといえる。

 多くの人々がデールと呼ばれる伝統衣装に身を包むのもツァガーンサルのムードをぐっと引き立てている。デールには様々な色があって、原則として好きな色の生地を選べばいいらしいのだが、女性にはウルトラマリンブルーなどの鮮やかな濃いブルーや真っ赤なものが好まれ、男性にはグリーンやベージュのような色が選ばれるという。僕もこの期間にいろいろなデールを目にしたがブルーのデールはとても美しかった。孫と街を歩く老人から椅子に座って談笑する若い女性まで、多くの女性が輝いて見えた。この光景はモンゴルの文化的な資産のひとつだと言ってもいいと思う。女性の佇まいばかりを目で追うのではなく、デールの生地についても触れておこう。生地には光沢のあるものからキャンバス地のようなざっくりした質感のものまで幾種類かあるようだ。また、それぞれに様々な模様が刺繍されていて、炎のようなものや植物のようなものが緻密に、実に見事に描かれている。際だった色のコントラストを楽しむものから、微妙な色の違いを見せるシックなデザインのものまであって、種類は無限と言っていいほどだ。今さら僕が改めて言うほどのことでもないが、伝統的な美術感覚はどの国のものであれ、素晴らしいなと思う。

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手前の大きな塊が羊肉。奥に積み上がっているものはビャスラグというモンゴルチーズ。
その脇にある皿にのっているのがボーズである。

 僕は幸運なことに4軒ものモンゴル人家族を訪問させてもらうことができた。どの家庭でも外国人の僕を快く、そして丁重に歓迎してくれた。そんな温かい振舞に感激することになった。モンゴルの人々の脈々と受け継がれてきたホスピタリティはほとんど全ての人の心に息づいているのだと思う。

 訪れた家庭の一軒はモンゴルの伝統住居「ゲル」だった。僕の学校の学生の自宅である。ウランバートルの都市部のゲルを訪問するのは初めてのことだった。中に入ってみると電子レンジや冷蔵庫、テレビなどの電化製品が入り口側にこぎれいに配置され、コンピュータもデスクの上に置かれていた。少なからず意外な組み合わせに思えたけれど、彼らが都市で現代的な生活を送っている以上、それはごく普通の道具にちがいない。伝統家屋に対する僕の先入観にそういったものが組み込まれていなかっただけに過ぎないのだ。いずれにしても、ゲルの中に通されると、改めて、ここはモンゴルなんだなあと実感してしまう。

 一番奥に置かれた大きなソファに通され、そこに腰掛けるよう勧められた。ここが最も尊重されている席だということがすぐに分かる。前に置かれたテーブルにはヘウィン・ボーウというスリッパのような形をした焼き菓子を積み上げた飾りと、巨大な羊肉の塊が皿に載っている。焼き菓子については、例えが悪いとお思いになる読者もいるかもしれないが、これはモンゴル人も俗に「スリッパ菓子」と呼んでいるので問題はないようだ。そして、それは実際にスリッパそっくりに作ってあるようにさえ見える。羊肉の大きさは、おそらく他の国の人が想像するよりも遥かに大きなものだ。こんなに大きなものを彼らはいったいどうやって食べ切るのか不安になるくらいである。すでに煮込んであり、ナイフで切って食べることができる。

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モンゴルの仏具。ゲルには必ず奥に仏具用の棚が置かれている。
仏の絵や米などとともに飾られているのは羊の頭部。初めて見て非常に驚いた。

 訪問客は一家の主人をはじめ、家族全員とあいさつを交わすことが習わしだ。両腕を前に差し出して、新年おめでとうございますと声をかけあい、互いに両方の頬にキスをする。そのあとで、嗅ぎ煙草を互いに振る舞う。僕もその伝統に従って以前学生にプレゼントされた嗅ぎ煙草を使った。

 自己紹介などを終えて、食事の段になると、まずスーテイ・ツァイと呼ばれるミルク入りの茶をすすめられる。その後に例の巨大な羊肉が振る舞われ、サラダなどが用意される。そしてしばらくすると、蒸したての 'ボーズ' が供される。ボーズは餃子のような食べ物で羊肉や牛肉が詰め込んである直径4センチほどの大きさだ。訪問客はボーズを大量に食べることが礼儀とされている。大量というのは4つや5つのことではなく、20個から30個くらいのことを指している。どうしてそんなにたくさんのボーズを食べるのか理由は分からないが、とにかく訪れた全ての家でたくさんのボーズを振る舞われた。それが文化というものなのだろう。そこに理屈などはない(いや、本当はあるのかもしれないが)。そして、その間に何度かウォッカや馬乳酒を勧められる。ウォッカはだいたいアルコール度数が39〜40度の「熱いお酒」だ。これを小さなグラスで何杯も飲む。僕はウォッカが苦手だが、目をつぶって、きつさを堪えてぐっと飲んだ。熱い液体が僕の喉をすっと通り過ぎるのが分かる。僕の体質だと、2杯も飲めば、顔から手の指先まで、すぐに真っ赤になってしまう。これでもずいぶん強くなったのだが。

 大切そうに主人が持ってきた箱の中には彼らの昔からの写真アルバムが入っていた。ずいぶん古いものから、ごく最近のものまで、歴史を追うように整理して並べられている。これは30年ほど前の写真ですよ、とか、これはこの息子が生まれたばかりのころの写真なんですよ、などと丁寧に説明してくれた。ウランバートルの中心地の光景が少しずつ変化していることがその写真から分かる。外国に来ると、こういったごく個人的な写真にも興味が沸いてくるから不思議だ。それにはこの主人の人柄もいくらか影響していたのかもしれないけれど。

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モンゴルの楽器、アマン・ホール。口で演奏する。

 お別れにプレゼントをもらった。これはモンゴルの伝統的な楽器なんですよ、と言って手渡されたのは、金属でできたとても小さな品物だった。それが楽器だと言われなければ、そうとは分からないような形だ。アマン・ホールと呼ぶらしい。口を使ってこうやって演奏するんですよ、と簡単そうに主人は説明してくれるが、僕にはそう簡単にはコツがつかめない。主人が手に取ると、空気の震えるような不思議な音が鳴った。人の声のような、そうでないような。その形に似て、素朴な音だった。結局、僕は音が鳴らせないまま、その家をあとにした。あとで、誰かに尋ねればなんとかなるだろう。

 彼らは、わざわざ家を訪問してくれてどうもありがとう、と本当にうそのない表情で僕らを見送ってくれた。温かい家族だ。そして、僕は帰り道のあいだ、ずっと考えた。見知らぬ外国人にさえ、これほど丁寧にもてなすという彼らの行為や習慣が、どれほど僕の心に深く焼き付いたかということを。僕はこれらのことに、ごく個人的に多くを学び取らなければならないのだということを。

▼暖かい家族と過ごすモンゴルでの旧正月。素敵ですね!桐山さんへのメッセージよろしくお願いします。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。