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教室では、毎週、制作してきたものを壁に貼り、教師からフィードバックを受けることになっている。

グラフィック・デザインへのガイダンス

私は、いまある大学院のグラフィック・デザインのコースで、その中でも特にインフォメーション・デザインと呼ばれる分野を学んでいるで、その中にあって取り立てて目立つこともない、何の変哲もない東洋系の学生である。結果的に専攻したのはインフォメーション・デザインだったが、学生になってしばらく経った今、改めて考えてみると、どのような種類のデザインであれ、私は、何かの形でデザインを学び直さなければならなかったのだな、との感慨に耽る。というのも、これまで、グラフィック・デザイナーを名乗って仕事をしてきたにも関わらず、あまりに多くの知らなかったことを学ぶ機会がその大学のプログラムには組み込まれていて、課せられたプロジェクトを進めるたびに、これまでに私が手がけてきたデザインの数々が、いろいろな意味で欠陥を持っていた、と認めなくてはならず、また、そのことに気付かずに安穏と生きてきたことが、私をとても不愉快な気分にさせるのだ。もちろん、学んだことの全てを今後の仕事に活かせるとは限らない。たぶん、無理だろう。けれども、今、ここで劣等生ながら学んでいる瞬間は、私のデザイナーとしての人生に於ける、数少ない非常に大きな価値観の転換点だといっていいかもしれない。例えば、デザインに、ある種の哲学のようなものがあるとしたら、その類いのことを教え込まれている、あるいは、それを学ぶための特訓を受けさせられている、という印象がある。

大学の教員はそれほど親切でもなく、我々の前にその姿を見せるのはほとんど完全に講義や実習といったときに限られ、しかも、そういったときでさえ、ふいに消え失せることがある。送ったEメールが無視されることもある。私は、大学で学んでいるという「体裁」をとっているが、学ぶ機会を与えられつつも、学ぶのは、学生次第、と言われている気がして、そういった張り合いのなさを割り切るようにもなった。手とり足とり教えてもらえるのは、うんと若い学生までだとみなすのが私には正しいことのように今では思える。

デザインはアートと何が違うのですか、という質問に、個人的にはこのように考えてきた。アートは、1000人の鑑賞者の中に一人でも、その人の人生を変えるような体験をする人がいたなら、それは成功だ。一方、デザインは1000人の情報受信者がいたら、1000人全員が勘違いせずに、それに込められた情報を理解できなくてはならない。デザインとアートはそもそも社会的な役割が違う、と考えてきた。そして、その考え方には異論もあるだろうけれど、インフォメーション・デザインという分野に限っていえば、それほど的外れな考え方ではないと今でも思う。アートについてはこの際どうであれ、インフォメーション・デザインの役割はかなり具体的であるようだ。

あるいは、グラフィック・デザインは建築設計やプロダクト・デザインと違って、デザインのミスが人の命を奪うようなことは決してない、安心感のある仕事だと思って仕事をしていた。けれども、私は現在のコースを履修するプロセスで一つ気付くことがあった。教師が直接、私に言って聞かせた訳ではないけれども、それとなく、私に諭すように、イギリスのデザインにどことなく見え隠れする空気、もしくは態度が語りかけ、私に分からせようとしてきたことは、「グラフィック・デザインもその使い方を間違えば、人の人生を狂わせてしまうことがあるのだ」ということだった。

分かりやすい例でいえば、医薬品の説明資料がそれだ。私はいま、課題の一環として糖尿病患者のために処方された薬品の服用方法を題材にデザインのプロジェクトを進めているのだが、インシュリンを注射する方法の説明に何らかの欠陥があれば利用者には致命的な結果をもたらしてしまう、ということに気付く。資料をみながら、必要な情報を抽出するプロセスの中で「この情報を恣意的に省略したなら、実際にはどんなことが起きるのだろう」などと想像すると少し恐ろしくなる。薬品に関連することに限らなくても、歴史的に見れば、ポーランドの、グラフィック・デザイン運動として有名な、‘The Polish school of posters’ は、第二次大戦後の社会情勢や体制に対する批評をグラフィック・デザインやイラストレーションの方法で積極的に行った興味深い例である。ナチスやソビエトのプロパガンダ活動にもグラフィック・デザインは効果的に活用された。思想統制に利用されることもあれば、政治批評にも積極的に使われてきた。踏み込んで書くならば、市民は、グラフィック・デザインを読みとり、そしてそれによって、血は流された、といっても過言ではない。外国の例をみるまでもなく、日本にもそうした例を私たちの歴史に見つけることは難しいことではない。あるいは、この昨今にさえ、と書くとそれは、本当に書き過ぎになるだろうか。

情報を正確に伝達する、もしくは、それまでその情報へのアクセスが困難だった人々に対し、どのように伝達しうるのかを検討する、といったプランに最大限の労力が注ぎ込まれ、ストイックなまでにデザイナー固有の‘個性’のようなものを排除していくプロセスは、私には、むしろ爽快で、広告を中心に成立している日本のデザイン業界とはコンセプトの段階から一線を画す点で興味深い。私は、そういった個性的な「表現」が尊重される領域に関心を持つことができないまま、今を生きてきた。これからもたぶん、表現とか個性といった言葉を避けながら生きていくことになりそうな予感がある。にじみ出るものくらいはあるかもしれないが、これといったスタイルや表現方法に確たるものを築いてこなかったし、そういうことに抵抗もあった。もちろん、私は、イギリスのインフォメーション・デザイン業界のへ熱烈な信者になりたいとは思っていないが、日本では決して感じたことのない、独特の雰囲気が、その大学教育の中には立ちこめていて、何か可笑しささえ感じる。例えば、ほとんどの人がフルティガーやヘルベティカといった、社会的に標準中の標準とされる書体を用い、レイアウトも、皆、似通ったグリッド・システムに沿って行っているように私には感じられる。でも、それのどこが悪いのだろう?という気にもなる。個性や特殊性を追い求めることが、デザインの真の姿かと問われた時、それは違う、あるいは、それは、違う場合がある、と今、私は言える気がする。

グラフィック・デザインが人々の人生や命に関わることが、あり得ることは、私には少し恐ろしいことである。そういった案件に携わることがあるのはもちろん、ごく一部のグラフィック・デザイナーではあるにせよ、仮に医療に関係するのであれば、その責任を理解し、政治的なものであれば、やはり、その意味や責任を自ら咀嚼しておく必要はあるだろう。

自身が選んだ専門分野を、過大に評価することや過小に評価することはできれば避けたいと思うが、せっかく選んだ道に敬意を以て臨みたいとも思う。その際に、私は、今、期せずして学び直しているデザインの土台になるような部分を、もう少し辛抱強く時間をかけて理解する必要があるように感じている。意外に、実務の中では、概念的なことを振り返る機会は少ない。このように文章にまとめようとすると、複雑なうえに億劫になって益々できなくなる。今回の文が、まるで迷路に踏み込んでしまった少年のようにもがき苦しんで書いてしまったのが滲み出ているとしたら、やはりまだ「特訓」が全然足りないのだと思う。

▼お久しぶりです!現在、イギリスで論文を手がけている桐山さん。グラフィック・デザインの学びとは?この「問い」は、大変重要ですよね。これからデザインを学ぼうとしている方、ぜひ桐山さんに質問を!

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。2003年に東京学芸大学卒業。会社勤務の後、11年よりモンゴル・ウランバートルにてグラフィックデザイン教師として活動。13年からは英国の大学院でデザインを学んでいる。

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