titleback.png

vol_019_bar.png

P1150152.JPG

読書室に置いてあるタイポグラフィ関連の本の例。
‘Notes on the Design of DTL Valiance Cyrillic’ 著者: Hanna Hakala、発行: Dutch type library

タイポグラフィ恐怖症

タイポグラフィはデザイナーにとって悩ましい領域の一つである。少なくとも私には、近寄りがたく小難しく、そして明文化されていない法律のようなルールが、その業界にはいくつもそびえたっているかのように、これまで見えていた。私は長い間、タイポグラフィを知ることが、どのような意味を持つのかついて考えるたびに、もやもやした霧の中にいるような感じがしていたものだ。そう考えているデザイナーは実は私だけではないはずだ。

一つの忘れ得ぬエピソードがある。私がまだ二十代の半ばの頃であった。あるタイポグラフィの専門家と称する偉い人に会ったことがある。男性はその業界では知名度も高く、専門書籍を何冊か出している。その人物から名刺を頂いたので、若輩ものの私もグラフィックデザイナーと肩書きのついた名刺を渡した。すかさず男性はこう言った。「きみ、いいかい、この名刺のタイポグラフィにはいくつかの問題点があるねえ。ふふふ」。そんなことを薄暗い低い口調で言い、彼はすたすたと立ち去った。ぎざぎざのついた長い脚を持つ小さな黒い不気味な虫が、私の背筋を素早く静かに駆け上がっていくような恐怖を覚えた。一緒にいた知人がこう言って私を慰めてくれた。「あの人はいつもあんな風に言って、人をあざ笑うのが好きなんだ」。

そのときから、タイポグラフィという分野は、どことなく恐ろしい世界なのだと確信するにいたった。このトラウマから脱出するには、デザインの業界から足を洗うか、その種の怪しい言葉に反論できるだけの知識を身につけるしかないと考えたほどだ。「タイポグラフィ」には、その業界の人のみが知る、或はその業界の仲間内だけで内緒にしている暗黙のルールが存在し、それを解さない愚か者を容赦なく罵倒・嘲笑するような怖い人が大勢いるのだと理解することになった。実際、この業界の一部は、好事家のハイブローな趣味として扱われている側面があるようにも思う。伝統を重んずる領域には、良きにつけ悪しきにつけ、そういう風習がある。そして、いつの時代もそういった伝統を熱心に守ろうとする人と、壊そうとする人がきっといるのだ。

それから何年か経ち、私はいま、偶然にもタイポグラフィと名のつく学部にある大学院のコースでデザインを少し学んでいる。タイポグラフィに関するトラウマを消し去りたいという動機でここへ来た訳ではなかった。いくつかの興味を整理したら結果としてそうなってしまった。恥ずかしいことに、学部名は大学に入ってから知ったのだった。ところが、偶然にも今になって分かってきたことは、タイポグラフィは考えていたほど恐ろしいものではないということだ。

少なくともここしばらくの間に、タイポグラフィという言葉が私を覆っていた分厚い靄が、少しだけ晴れてきた。多くの考え方や意見、理解の仕方があることを私は当然承知しているし、私のいまの理解が大多数の人から賛成されるものだとは限らないことも覚悟している。むしろ、この機会に、それが議論のきっかけになれば、それは生産的で建設的でもある。だから異なる考えを歓迎したい。そんな気分で、今日はこのトピックをこの場に書くことを選んだ。正直に言えば、この種のトピックは書くのに勇気がいるものなのである。

ごくシンプルに私独自の言葉で書いてみると「タイポグラフィは、読むという行為をスムーズにするためのデザイン、または、その行為や学問である」ということになる。実はこれは、世界中の、デザイナーでない人を含めた皆さんへのメッセージとして。私は、タイポグラフィはグラフィックデザイナーだけの専門用語ではなく、ドキュメントを作る人、扱う人すべてにとって必要な知識であると考えるようになった。文章にはいつも構造があり、それに従って、書体やサイズ、そしてその位置などが選択される。これに一貫性を与えることでタイポグラフィが始まる。会議の議事録にせよ、プレゼンテーションスライドにせよ。つまりかなり広い分野の人々が直面する問題なのである。

タイポグラフィの根幹にあるのは以下の二つだと私は思う。

・明快な構造の設計
・一貫性

例えば、書籍には様々な目的があり種類がある。辞書、マニュアル、文学、カタログ、児童向け絵本…。それぞれに適切な構造が存在し、作者、編者の意図に従った構成や特徴が存在する。だからこそ、一点一点にデザインが必要とされ、タイポグラフィの知見が必要とされる。文章が、もっとも合理的に読まれる方法を見つけることがタイポグラフィなのだ。タイポグラフィについて学んでみると、なるほどいくつかの知っておかなくてはならないルールがある。X-height だとか Small caps といった専門用語を知ることになる。ただし、それは、誤解、誤読を防ぐために作り出されたものであり、文章の理解を最適化するための運用に欠かせない教訓に基づいている。実用性を追求した結果の産物であり、タイプフェイスのデザインであれ、レイアウトや文字の組み方であれ、読みやすさがいつも問題なのだ。

もっとも、正確に言葉の定義を知るには辞書を読むのが賢明だ。辞書を紐解くと幾種類かの説明が載っている。ケンブリッジ辞書、オクスフォード辞書、それに三省堂の辞書の解説をここでは引用しておきたい。ただし、デザインという言葉を皆さんがどのように定義するかによって、解釈はずいぶん異なるだろうと私は思う。


• The design of the writing in a piece of printing or on a computer screen (Cambridge Dictionaries Online)

• The style and appearance of printed matter. (Oxford Dictionaries)

• 文字の書体や配列のデザイン。(三省堂ウェブディクショナリー)

タイポグラフィ恐怖症を完全に克服することは今でも私には簡単ではない。ただ、これがデザイナーだけのテーマではない考えてみると恐怖から少し逃れられる気がする。

▼「文字は人なり」。タイポグラフィの世界は、人間社会の縮図のような。細かいルールが、テーブルマナーでの振る舞いのようにも感じられます。タイポグラフィの世界、奥が深いですね。

bo_pagetop.pngbo_pagetop.png

vol_020.pngvol_020.png

vol_019.pngvol_019.png

vol_018.pngvol_018.png

vol_017.pngvol_017.png

vol_016.pngvol_016.png

vol_015.pngvol_015.png

vol_014.pngvol_014.png

vol_013.pngvol_013.png

vol_012.pngvol_012.png

vol_011.pngvol_011.png

vol_001-010.pngvol_001-010.png

vol_index.pngvol_index.png

portrait.png

桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。2003年に東京学芸大学卒業。会社勤務の後、11年よりモンゴル・ウランバートルにてグラフィックデザイン教師として活動。13年からは英国の大学院でデザインを学んでいる。

mogal_barbo.pngmogal_barbo.png