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りす

 ガラス窓の向こう

  目を覚ますのは朝の4時くらいだ。小鳥のさえずりがあちこちから聞こえてくるからなのかもしれない。いく種類かの鳥の声が重なって私の住む小さな部屋に流れ込んでくる。もうすでに外はほんのりと明るい。遮光カーテンを開けなければ光が入ってくることはないけれど、目覚めとともに、思わず開けてしまう。夜中に雨が降ったのか、窓辺に生い茂った草花の、雨の滴がいまにもこぼれ落ちそうになっているのが見える。窓を開けるとひんやりとした空気が入る。日本の、とりわけ私の故郷の同じ時期に比べるとずいぶん気温が低い。もう7月初旬だというのに、と思う。

  この一階の小さな部屋へはつい数日前に引っ越してきた。どこか外をぶらぶら歩いてきて部屋に戻ると、いつも窓の外を眺める。すぐそばにレンガ造りの赤くて大きな二階建ての建物が見える。民家なのかどうなのかまだ知らない。その建物と私の部屋の間には小さな野原のような場所があって背の高い木々も生えている。人が歩くことは稀だ。そこへは朝は小鳥たちが、昼間にはリスたちが、そして夜は、漠然としたただの暗闇がやってくる。念のために書くが、昼間にリスが走り回っているのは本当なのである。それも生活習慣病を患ったような太りすぎのリスが。いつも、木の上のほうから素早く静かに降りてくる。しかし目の前で、一心不乱に木の実を貪るような姿は、愛おしいというより、少し卑しく見える。

  近所を散歩した。広大な学校のキャンパスを一回りするのにおよそ一時間かかった。私には見慣れない町並みだ。この街にはレンガ造りの古そうな家が多くて、大きな窓がついているのも印象的である。おびただしい数の自動車が道路を走り抜けていく。そういえば、自転車で行く人も少なくはない。住宅地の道路の両脇にはぎっしりと車が停められていて、一旦そこに停めてしまったら、よほど運転の上手な人でない限り前後の車との接触を避けられないだろうな、などと余計な心配をしてしまう。私のような不器用な人間にはおそらく不可能なことのように思える。小学生くらいの男の子が民家から学校へ出掛けるところが見みえた。彼は深い紺色のスーツにネクタイを付けた姿で顔を垂れ歩いている。これは制服なのだろうか。他にも多くの幼い生徒を見かけたが多くがスーツを着、女の子はズボンの代わりにスカートを履いていた。緑豊かで長閑な住宅街を抜け、学校の大きなグラウンドが見える場所を歩くと、二階建てバスが私をのそのそと追い越していく。二階建てバスは有名な赤い色のものだけではなくて、ねずみ色のものや他の色のものもある。二階に腰かけている乗客は皆遠くを眺めている。

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二階建てバス

  思うところがあって、英国にやって来た。勉強をするために、である。大学にいる。三十歳をとうに過ぎて何を今さら、勉強もないでしょう、とお思いの人も多いに違いない。私自身、勇んでこちらに来てしまった今でさえ、このちょっとした人生の選択がよかったのか確信を持てずにいる。とりあえず来た。来る前も来た後も、そうしたつまらないことを何度も繰り返し考える。以前からよく分かっていたことだけれど、どうやら私はあまり強い心の持ち主ではないみたいだ。いずれにせよ、どのような形であれ、予定された一連の勉強が終わってしまわなくてはその結論は得られないのだから、今、それについて深く考えることはちょっと不毛だ。後悔をしたくなければ、後悔をしないように生活することしか、今の私には道がないような気もする。多くの人たちから、そろそろ結婚は?とか、英国に行くなら、青い目の人に出会うという人生も悪くないぞ、などと励ましとも冗談ともとれる助言をいただいた。ちなみにまったくの蛇足だが、ここにはアフリカ系や中東系の人、そしてアジア系(とりわけ多いのは中国系である)といった目の青くない人も大勢暮らしていることに気付く。それがどうした、ということでもないのだけれど、実際のところ、そういう場所なのである。

  私は最近の二年間をモンゴルのある学校で教師として過ごした。実を言うと、とりわけこのことの背中を押したのは、そのモンゴルの学校で目にした古い言葉であった。『学ぶことに遅すぎるということは決してない』。ある教室の後ろに、この文句が大きく貼付けてあった。若い学生の集まるその学校には少し不似合いな気がしたし、別段珍しくもないありふれた言葉だったが、どういう訳か当時の私の心にはとても必要なフレーズであるかのように見えた。そして、それを半ば呪術のようにして自身を洗脳していった結果、今、私はここにいる、ということなのだ。

  今朝も外は曇り空で覆われている。昨日、あるイギリス人がこう言った。「困ったことがあれば何でも相談してください、ただし、天候についてはご勘弁を。なんと言っても、ここはイギリスですからね」。英国人がほとんど誇らしげに話すその特有のアクセントに私はまだ馴染めないでいる。

  なにやら、不思議な陽気さと理屈の分からない重苦しさの両方が奇妙なバランスで共存している。それが、私のこの国に対する最初の印象であった。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。2003年に東京学芸大学卒業。会社勤務の後、11年よりモンゴル・ウランバートルにてグラフィックデザイン教師として活動。13年からは英国の大学院でデザインを学んでいる。

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