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日没

夕暮れと大学

  他の地域のことはよく分からないが、イギリスには既に、冬がかなり近くまで忍び寄ってきている。夜明けが遅くなり、日の暮れるのが早くなった。日が暮れる光景はとても美しい。南北に渡って黄金色の光が太陽から放たれる。その光は次第に勢いを弱め、次には群青色の空に黄色の明かりが灯ったような風景に変わる。その移り変わりを私は静かに見届ける。外気は時とともに急激に冷たくなっていくが、それを我慢して眺める値打ちがあるように思える日さえある。

  けれども、決して毎日そのような美しい景色を見届けることができる訳ではない。イギリスに雨降りの日が多いことはよく知られていることだが、空が厚い雲に覆われているような日には決してそのような斜陽を眺めることはできない。そして、そんな日が意外に多い。加えて、この時期の雨はひどく冷たく、心の中まで寒々しい気分になる。

  私が通う学校の建物は、広大なキャンパスの中にあって、とりわけ人気(ひとけ)のないところに建っている。そのような場所には十分な灯などなく、学校を後にする頃にはたいてい日も暮れ、辺りは寂しげな雰囲気を湛えている。広い芝生の敷地も、太陽の明るさがなければその美しさを楽しむことはできないし、さきほど降った雨のせいか、芝も水気を帯びている。舗装された小道から外れて歩くようなことがあれば、たちまち靴がひどく濡れてしまう。

  大学院の授業が本格的に始まって、一ヶ月と少しが経つ。グラフィック・デザインの講義棟はキャンパスの西方面にあって、それなりに瀟洒にできている……と私はここへ来るまで、そう信じていた。イギリスにデザインを学びにきたのだし、最新鋭のコンピュータやその他の機材が大きな美しい建物の中に並んでいて、例えば、専用のカードキーとか、そういった現代的な道具を使って部屋の中に入るのだと思っていた。膨大なデザインのアーカイブが書庫に保管されていて、インターネットで自由にアクセスできるのだろう。4階建てくらいの天井の高い、極めて次世代的でクールな設計の棟の上階から、中世文学や農業を学んでいるような学生が遥か地上を歩いていくのを眺める。そんなとき、我が物顔になって、連中を鼻で笑うような人間にだけはなってはいけないよな、などと実に道徳的な決意さえ私はしていたのだった。

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デザイン棟の外観

  ところが、そのような大きな期待は、講義が正式にスタートする先日に儚くも崩れ去った。まず、私がデザイン棟を訪れようとして入っていった比較的大きな建物は、デザインの棟ではなかった。レセプションにいた警備員のような堅い顔をした女性に呼び止められ、「見慣れない方ですが、どちらを訪問なさるのですか」と問われた。「訪問も何も、僕はこれから、デザインの講義を受けにいく、学生なのですが」と答えると、彼女は、あら、デザインの建物ならあちらですわ、と俄に作ったような親切そうな表情で外を指差した。指の先には、小さな建物があった。私が先ほど、牛舎とか豚小屋とか、その手の畜産学のような学問の関係者だけが出入りするための古い建物なのかと思って無視していたものだった。

  女の指示にしたがって、建物を出た。隣には平屋の小さな、いまにもこれから取り壊し工事が始まりそうな建造物があった。さきほど、牛や豚の鳴き声が聞こえないのを不思議に思っていたが、近づいてよく見ると、そこには タイポグラフィ&グラフィック・コミュニケーションコースの建物だと書いた小さな表札がある。英単語というのは、たいしたことのないものでも、なんだか仰々しい感じがあって、ときどき現実とのギャップにショックを受けることがある。私が日本の家庭に育ち、日本の教育を受け、日本の社会システムに文句も言わずに従順に生きてきたからこその、特異な感受性から来るものなのかもしれないけれど、とにかくときどき英単語の本来持つ意味と私の持っている単語に対するイメージに落差があって、それを埋めるのに一苦労する。この表札も決して、嘘を言っている訳でも、大げさに言っている訳でもないはずなのだが、このバラックをそのような名で呼ばなくてはならないのには、なんだか納得のいかない気もする。いや、人を外見で判断してはいけないのと同じように(そのように学校で習ったはずだ。)、教育の質をその建物で判断するのは愚劣である、と心に言い聞かせて、私は意を決し、中に突入した。そこには一筋の廊下が伸びていて、左右の壁にはこまごまと変な小物が飾ってあった。近くの空き地で拾ってきたような薄汚い古い看板とか、そういったものだ。無知というのは恐ろしいものである。それはもしかしたら、非常に歴史的に価値のあるものかもしれないのだから。私はデザイン史に詳しい訳ではないのだから、これらを見て多いに学ばなくてはいけないのだ。

  そこを女性の職員が通りかかった。今日から講義があると聞いて、ここにやってきた訳なのですが、と慇懃に私が尋ねると、女性は、あら、それは明日からなのですよ、ごめんなさいね、情報の伝達がきっとうまくいっていなかったのね、と私に心から同情するような表情でそう話したあと、すたすたと奥のほうへ行ってしまった。10月の初旬のことだった。まだ寒い季節ではなかった。

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デザイン棟の内部

  それから、一ヶ月と半分が過ぎる。先に書いたことに象徴されるように、私の間抜けぶりは、今も相変わらずで、おまけに周囲の英会話に慣れた早口で威勢のいい学生たちとの付き合いに疲れ、ときにそれは、私に軽い頭痛を催すほどであるが、それでもひとまず生き延びている。もちろん、ふつう、その程度のことで死んだり深刻な病気になったりするようなことはない。けれども、例えば、6時間ほどほとんど休みなく行われるセッションを終え、疲れて辺りの薄暗いその牛舎を出ると、空がとても綺麗に見えることがある。昨日がそうだった。そういう空は、私に何かを語りかけているように見える。もちろん、本当は、空も雲も夕暮れの太陽も、何も語りかけようとはしていない。私だけがそう思い込んでいる。自然界とは、もともとそういうふうにできている。けれど、そんなふうに勝手気ままやっているのも悪くないと思う。日没の時刻が変わってしまえば、もうそれに出くわすことさえないのだし。

Vol.010の原稿が届きました!充実した時間を過ごされているようですね!
それにしても美しい夕焼け!^ ^!私も疲れたときは西の空を眺めに行きます。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。2003年に東京学芸大学卒業。会社勤務の後、11年よりモンゴル・ウランバートルにてグラフィックデザイン教師として活動。13年からは英国の大学院でデザインを学んでいる。

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