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アビーロードの横断歩道をなんの変哲もない角度から撮影。危なっかしい通行人が後を絶たない。

横断歩道で交通事故に遭わない方法

ビートルズが発表した作品のなかでもとりわけ有名なアルバム「アビーロード」のジャケットは、横断歩道をメンバーが渡っている写真が印刷されている。このアルバムはいまなお売れ続けていて、評価も高い。ローリングストーン誌のウェブサイトは「500枚の偉大なアルバム」の14位にこの作品を挙げている(註1)。解説には、1969年の夏に収録曲が録音された、と書いてあるから45年も前のことだ。ちなみに13位はヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコの「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」という作品だ。こちらは、ポップ・アートと呼ばれる芸術運動の分野で有名になったアメリカ人アーティスト、アンディ・ウォーホルがジャケットを描いた。1967年の作品である。ジャケット・デザインだけの話をするなら、あのアンディ・ウォーホルの作品のすぐあとに、単なる横断歩道が僅差で肉薄しているのだから、横断歩道もあながち侮れない。主観的なことを言わせてもらうなら、横断歩道も、渡る人によっては、芸術の域に達するのである。私の住む家のすぐ近くにある「アッパー・レッドランズ・ロード」の横断歩道は、私が毎日渡っているのに、ちっとも芸術的価値が上がっていく様子がない。大変嘆かわしいことだが、いつか有名になるのかもしれない。危険を知らせる黄色の点滅等が24時間作動しているだけだ。「アビーロード」のジャケットでは、ポール・マッカートニーが裸足で歩いているのに気がついている人もいるだろう。発売当時、熱心なファンの間では裸足で歩いていることの意味について、深い議論が交わされたという。マニアの話はよく分からないが、私も「アッパー・レッドランズ・ロード」を裸足で歩いてみれば、何か奇跡が起きるのかもしれない。

「アビーロード」のジャケット写真がいつ撮影されたのかは知らないが、それもだいたい1969年の頃だろう。それにしても、45年も前の音楽が未だに伝説のようにその価値を伝えていることは驚くべきことであるが、それとともに、この横断歩道が訪問者の絶えない観光名所となったことも特筆すべきことだ。なにしろ横断歩道なのである。いくらあのビートルズの「アビーロード」だと言っても、横断歩道にはかわりない訳で、私はそんなものに興味はない、という態度で今まで生きてきた。いくらなんでも、そんなものをわざわざ見に行くなど馬鹿馬鹿しい。未だにビートルズの曲をけっこう好きこのんで聞いている私にとって、ビートルズと横断歩道は切っても切れない関係にあることくらいは知っていたが、私にとってはどうでもいいことだと考えてきた。それは明確な意志とか主義のようなものである。いくらビートルズの音楽が好きでも、その観光地巡りをするためにイギリスを訪れるなど、僕は嫌だと思っていた。しかし、それは日本にいたときに考えていたことであって、その頃はイギリスに来る予定もなかった。

人間は丸くなっていくものである。二十代の頃はそんなふうに自分の考えを貫くこともできた。しかし、いま、ちょうどせっかくイギリスに住んでいるのだし、イギリス滞在もあとしばらくという段になって、「アビーロード」くらい見ておかないと損じゃないか、これを逃したら、もう一生お目にかかれないかもしれないぞ、という誘惑に駆られるようになった。それに、いくら単なる横断歩道といっても、あのビートルズの「アビーロード」なのだし、他とちょっと違うのかもしれない、自分の運気も高まるかもしれない、などと相当に馬鹿な考えが、ある日、頭をよぎった。しかも、いざそれを考え始めると、じっとしていられない。そしてある日、偶然にもロンドンに出かける用事ができた。用事は夕方からだから、昼間なら時間が少しあるなと考えた。「アビーロード」の横断歩道を見るためにわざわざロンドンへ出かける訳ではない、ロンドンに出かけるから、その暇つぶしにちょっと立ち寄るだけだ、と自分に言い聞かせながら、気がづくと私は「アビーロード」に向かう地下鉄に乗り込んでいた。

まず、なぜこのアルバムが「アビーロード」と名付けられたのかという大きな質問に答えなくてはならないと思う。単刀直入に言うなら、この作品を録音したスタジオがアビーロードという通りに面しているからである。実際に地図を見ると、なるほど、そこは本当にアビーロードという名前の道なのである。イギリスでは、他の国がしばしばそうであるように、住所に道路の名前が記される。だから、アビーロードはスタジオの住所でもある。

ジュビリー線(Jubilee line)という地下鉄に乗ってセント・ジョンズ・ウッド(St.John’s Wood)という駅を降りると、そこは普通のロンドンの街だった。しかし、私から言わせてもらうと、そこには既にビートルズの匂いがあった。丸い眼鏡をかけて、白いスーツを来た長髪のいかがわしい男に「カム・トゥゲザー!」と呼びかけられるのではないかとハラハラするほどだった。グローブ・エンド・ロード(Grove End Road)という道を下っていくと、5分くらいで交差点に出る。閑静な雰囲気の街だ。そしてその交差点にかけられた横断歩道が、あの有名な横断歩道である。週末の昼間だったせいか、そこには大勢の人がいた。みんな、横断歩道を見に来ているのある。そして、かのビートルズが写っている写真のように、道路の真ん中で写真を撮ろうと試みるひとがたくさんいた。しかし、それは普通の道路であって、自動車がひっきりなしに通る。この調子だと交通事故に遭う人もいるだろうなあというくらい、危なっかしい観光客と過ぎ去っていくたくさんの自動車を見た。もしアビーロードの横断歩道で交通事故に遭いでもしたら、けっこう恥ずかしいだろうなあ。

私は、それでもなお、道路の真ん中で、ビートルズみたいな写真を撮りたいと思うような熱心なファンではない。危ない目に遭うリスクを冒してまで写真を撮りたくはない。けれども、ごく普通の記念撮影くらいはしておかなければならないと思った。なにしろ、ここに書いている程度のことはガイドブックを見るまでもなく、インターネットを検索して情報を集めれば、すぐに書けてしまう。インターネット時代だからこそ、現場に飛び込んで取材する意義があるのだ。そのためには証拠写真がいる。意外なことに、私にもそんな戦場ジャーナリストのような熱い魂が宿っていたのだなあ、などとどうでもいいようなことをつらつら考えながら、街路樹のそばに立っていた田舎臭い青年におもむろに尋ねた。「あの、写真とってもらえませんか?」。「いいぜ」と青年は言った。スペイン語訛りだった。こんな感じでいいのかい?と言って、歩道に立っている私の写真を二枚くらい撮ってくれた。スペイン語訛りの青年は「おいらのも撮ってくれねえか」と言ってきた。「もちろん、いいですよ」と答えると、にやりとして、彼は着ていた黒いTシャツの絵柄を私に見せつけるような姿勢をとったので、なんだろうと思って胸の辺りをみると、「アビーロード」のジャケット写真が描かれている。この人は、熱心なファンなんだな、と思っていると、彼は、もう二時間くらい前からこの時のために準備していたかのように、すぐさま裸足になった。裸足で歩いているところを私に撮ってもらいたいのだそうだ。彼はポール・マッカートニーになりたくて、ひょっとしたら、南米の、道路もないような片田舎からはるばる大きなスーツケースを担いでここに来たのかもしれないと思うと、私は、ビートルズの偉大さを改めて感じない訳にはいかなかった。

彼は頻繁に通る自動車を制止して、裸足で横断歩道をうろちょろした。私はその間に7枚くらい写真を撮った。逆光になって、いい写真がとれなかったなあ、という気がした。申し訳ない気がした。南米の田舎に持って帰って仲間に自慢するには説得力に欠ける。カメラを返しながら、「あまりいい写真がないかもしれないので、もう一度撮りましょうか?」と私は申し訳なさそうに申し出た。彼も、その写真に満足できなかったようで、「じゃあ、もう一度だけ撮ってくれねえか」と言った。その時、私は彼が本気なのだと悟った。けれども、道路は、自動車の往来が激しく、観光客もひっきりなしに横断歩道を渡っていて、スペイン語訛りの男をポール・マッカートニーに仕立て上げることは簡単ではなかった。それで、さらに15枚くらい写真を撮ってあげて、カメラを返した。私には写真撮影に関する優れた知識もない。うまく撮れないことは分かっていた。スペイン語訛りの男は、今度は、まあ、さすがに満足した振りをして、笑顔で「ありがとよ」と私に軽く礼を言った。この男のビートルズ話が始まったら厄介なことになるなあと思って、私は、その場をそそくさと後にし、来た道を上っていくことにした。彼が再び他の人に撮影をお願いして、横断歩道を30分くらいうろちょろしなかったことを密かに祈る。横断歩道で交通事故に遭わない唯一の方法は、なるべく無茶なことをしない、ということだと私は確信している。

このようにして、私の「アビーロード」への夢の旅は無事に終わった。みなさんも、ロンドン観光の際にはぜひお立ち寄りください。


(註1)ローリングストーン「500枚の偉大なアルバム」

▼ 私もファンの一人!現場に赴いたことはないので羨ましいかぎりです。それにしてもレコード時代のジャケットは、刺激的なグラフィック・アートでいっぱいでしたね。PV文化では味わえない付加価値だと思います。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。2003年に東京学芸大学卒業。会社勤務の後、11年よりモンゴル・ウランバートルにてグラフィックデザイン教師として活動。13年からは英国の大学院でデザインを学んでいる。

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