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キリル文字で記されたモンゴル語。雑誌を開くとこんな様子。

 例えば、お洒落なカフェで困ること

  「タイポグラフィ」という言葉をご存知ですか。デザインに携わる人ならだいたいの意味を掴むことができると思うけれど、そういうことに全く縁のない人にとっては珍しい言葉かもしれない。ごくシンプルに書くと、文字に関するデザインという意味だ。手許にある2010年版のオクスフォード辞書を試しに紐解いてみると、「印刷を前提とした書籍等を制作するための技術や業務のこと。特に、印刷されたときに文章がどのように見えるかについてデザインすること」という説明が載っている。そもそもこの業界は万人の注意を惹くような話題性に満ちあふれている訳ではないので、「タイポグラフィ」も一般的な雑誌や新聞に頻繁に出てくるような言葉ではない。世界経済のめまぐるしい変化に比べれば、実に緩やかで静かな領域だと言って差し支えないと思う。1990年代に活版印刷文字やフォトタイプ(写真植字)といった旧来の印刷文字がデジタル・フォントに変更される過程で、大きな論争が起きたのは事実だが、それもあくまで業界内の話題だった。だから、もしウォールストリート・ジャーナルやフィナンシャル・タイムズの一面の見出しに "Typography …" などと登場したなら、そのときは、取り返しのつかないような激震がその業界に走ったか、春先に編集者が悪ふざけで記事にしたか、どちらかだ。これには、ほんの少しの希望を含んだ冗談と偏見が込められているけれど。

  そんなふうに言っても、例えば、今や誰もが知っている “タイムズ・ニュー・ローマン” という書体はスタンリー・モリソンという書体設計家が英国の大手メディアであるタイムズ紙のために作り上げた作品で、現在では多くの人が文字通り毎日のようにコンピュータのディスプレイで目にすることのできる身近なものでもある。これはタイポグラフィやデザインの歴史に於いて、けっこう有名な事実なのだ。
 
  ところで、グラフィックデザイナーという職業を選んだ人は、大抵、この「タイポグラフィ」とうまく付き合っていかなくてはならない。大げさに言えば、常に真摯な態度で向き合っていかなくてはならない。昔も今も文字はグラフィックデザインの重要な要素であることに変わりはなく、その表現スタイルに変化はあるものの、ほとんどの場合、デザインと文字を切り離すことはできないからだ。ポスターを作るよう依頼を受ければ、キャッチ・コピーや細かな情報を掲載することになるし、パッケージのデザインを依頼されれば、商品名や商品概要に関する十分な説明を掲載しなくてはならない。

  特殊な専門用語かもしれないけれど、「可読性」という言葉がある。文字の読みやすさを表す言葉だ。読みやすい文字は可読性が高いと言われる。反対に読みにくい文字は可読性が低い。個々の文字の形状について語ることもあれば、文章全体の調子やレイアウトのことを指す場合もあって、読みやすさの観点は多岐に渡る。デザインや印刷に携わる人々はこれを「可読性」という言葉でまとめたようだ。便利な言葉だと思う。

  タイポグラフィを教えていると、可読性は重要なテーマとなる。それが読みやすいか、読みにくいか、という問題は、デザインが情報を伝達する手段である以上、無視できないものなのだ。だから、読みやすい文字や文字群は、そのことだけで賞賛されるべきだと僕は思うけれど、その分だけ凡庸に見えることもある。普段の生活を送る中で目にする読みやすい文字は、ほとんどが長年の研究によって生み出されたスタンダードな書体を基本にして設計されている。だから、読みやすい文字は「どこかでみたことのある文字」ということになる訳だ。グラフィックデザイナーの腕の見せ所は、場合によっては、読みやすさと特殊性を同時に表現することで見る人の注意を惹くこと、と言えるのかもしれない。読みにくくて意味が伝わらなければ本末転倒だが、凡庸な雰囲気に陥ってしまうのなら退屈だ。もっと厳しい言い方をするなら、何もそのデザイナーを雇う必要などなかった、と言われる場合だってあるだろう。そのように僕はこれまで考えてきたし、そのための方法論のようなものについて、長い間あれこれ思いを巡らせてきた。まだ、目覚ましい結論は出てないけれど。

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ロシアから輸入されている人気のお菓子。すべてロシア語で書かれている。

  ところで、モンゴル語は「キリル」と呼ばれる文字を使って表記される。かつてはオリジナルのモンゴル文字というものを使用していたが、ソ連の支配下にあった時代に変えさせられてしまった。つまり公用文字がキリル文字になったのである。この文字体系は一般にロシア語の文字として認識されている。もちろん、これも魅力的なフォルムを持っている。昨今では、そこへ英語がたくさん入ってきた。街を見渡してみると、辺りはキリル文字や英語アルファベットで賑わっている。観光客にはもの珍しくて楽しいかもしれない。それに加えて中国語やハングルも時折目にする。実に多くの店や商品が輸入されているのだ。時代の趨勢だとは言っても、モンゴルの人々はこれらの多様な文字についてどのように考えているのだろう。これは非常に興味深い点である。

  このような混沌とした文字の世界に身を置いていると、タイポグラフィの意外な側面が見えてくる。タイポグラフィの「可読性」を考えるなら、文字の形状や佇まいの問題だけではなく、誰が読むかということにも注意が払われるべきだということだ。いったいその文字は誰によって読まれるべきなのか。それが明らかにされていなければ、本当に読むべき人が読めないままになってしまう。その最も大きな鍵となるものが言語・文字の選択である。好みの言語を選べばいいというものではなくて、対象者を明らかにして、それに適したものを選ぶことが求められる。それが今、本当に適切になされているのだろうか。ちょっと分からない。

 でも、このことは日本のお洒落なカフェやファッション・ブティックや、きれいな広告を見ていても、ほとんど同じことが言えるのかもしれない。そして、それに苦労している人は意外に多いのではないだろうか。

▼「タイポグラフィ」の世界は、大変奥が深いですね。「タイプ=活字。文字を活かすとは、どういうことか?」まずは、さまざまな「文化・生活」スタイルに触れることが必要なのかも知れません。
桐山さんにメッセージをどうぞ!

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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