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窓の外は雨が降り続いている

 ウランバートルと雨の風景

  しとしとと降り続ける雨。窓越しに南方の景色を眺めてみると、いつも見えるはずの背の高いビルが霧のせいですっかり見えない。少し緑色に染まりつつある山脈もすっかり消え失せ、その稜線さえ、まるでずっと昔から存在していなかったように静かに姿を隠している。あぁ、今日も雨かと思う。ウランバートルの6月下旬はけっこう肌寒い。5月に春の訪れを喜んでいたのに、モンゴルの空はそれをあざ笑うかのように、意地悪い冷たい雨をときどき降らせたりする。

  実のところ、モンゴルで雨が降るのは年間でも10日くらいのもので、僕がこの地で一年間生活した印象でいえば、ほとんど雨なんて降らない、と決めてかかって外出してもまず大丈夫だと思っていた。Tシャツ1枚の服装でさえ汗ばむ日もあれば、冬山用の分厚いダウンコートで、今にも凍るような思いで道を往く日もあるのだが、念のために傘を鞄の中に忍ばせておく、ということなどなかったのだ。

  ところがこのところ、その貴重な一年分の雨が全部降ってしまうような酷い勢いで、分厚い雨雲からたくさんの雨粒が落ちてくる。まるで豆をまき散らしたような音をたてて激しく降ってくることもある。舗装された道路はすっかり水浸しになって、レインブーツでも履いていなければ歩けないようになってしまう。小川のように雨水が道路いっぱいに流れ、その横を自動車が容赦なく走り去る。タイヤが深みに入ると無数の水しぶきが中空に大きく弧を描く。僕たちのような無力な歩行者たちは、その水しぶきから身を避けようと、小走りに歩いてみたり、立ち止まってみたりして、真横を過ぎる自動車との間隔に細心の注意を払いながら、そして、ときおり、濡れて真っ黒に見える道路を見つめながら目的地まで急ぐ。

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水浸しになっている道路

  興味深いことに、モンゴル人たちのほとんどは、降りしきる雨の中、全く傘をさしていない。パーカーのフードを被って歩いている若者、新聞紙を頭の上にかざすようにして歩く中年男性、雨なんて降っていないのよと言い聞かせるような顔をしてずぶぬれになって歩く若い女性……。彼らはみんな雨が好きなのだそうだ。あまり降ることのない雨に濡れることを楽しんでいる。以前、あるモンゴル人がそう言って笑っていた。雨を嫌う日本人には不思議な光景だ。でも、1952年の『雨に唄えば (Singin' in the Rain)』を軽快に唄うジーン・ケリーや、1964年の映画『シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)』のオープニングシーンを思い出すと、雨が退屈なものだと頭から決めてかからなくてもいいような気もしてくる。雨には雨のすてきな魅力がいろいろなところに隠れているのかもしれない。それを知っているのは決してモンゴル人だけではないのだ。

  ドイツ大使館の前を通ると道路沿いに芝生が植えてある。明るい黄緑色の草が大使館の前にだけ並んでいて、ウランバートルの殺風景な道路の中でひと際、輝いている。歩道と大通りを隔てるようにして植えられた並木が芝生を雨からかばうように立っている。真向かいにはロマンスという名前のレストランがある。暖かい季節には屋根のついた屋外で食事ができるようになっているのだが、この雨ではさすがに食事はできないだろう、と思っていたら楽しそうにディナーを楽しんでいる奇特な人々がいた。手前に見える客たちはビール・ジョッキを掴んでいる。もう夕方だ。夏至に近い時期には午後10時頃まで日が出ているウランバートルでは、いくら厚い雲が天を覆っていたとしても午後6時はまだ昼間のように明るい。

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この辺りにはレストランが多く並んでいる

  その隣にはアイリッシュ・レストラン。戸が開いているときには、正面にテーブルや椅子が見える。奥にはケーキを売るためのガラスケースがうっすらと見える。ウェイトレスがその前を横切る。少し南に進むとフランス語の書籍ばかりを集めた書店がある。ここが戸を開けていることはほとんどない。今日のように雨が降っている日はなおのことだ。それでも、時間もあることだし中に入ってみると、ステーショナリーや古書が雰囲気よく並べられているのが見える。クラシック音楽のCDや革のペンケース、メモパッドなどとともに、フランス語で書かれたモンゴルのガイドブックや写真集が飾ってある。値段が恐ろしく高い。モンゴル・ミルクティーが150杯くらい飲める値段だ。それらを眺めていると、もう一度水浸しの道路を歩かなくてはならないことにうんざりしてしまう。カフェでもないのにコーヒーの匂いがした。店の女が奥の部屋で一休みしているのだろうか。モンゴル語の会話が聞こえてくる。

  外に出るとモンゴル国立大学の学生らしき大勢の若者とすれ違った。誰も傘をさしていない。夏休みだから、学生ではないかもしれない。この辺り一帯はモンゴル国立大学の講義棟が学部毎にいくつも並んでいる。国内最大の大学とあって学生の数はかなり多いと聞いたことがある。

  信号を当てにせず、道路を渡る。自動車にせよ歩行者にせよ、ウランバートルで信号にきちんと従っている者はいない。行けるときに行く。これが彼らの哲学だ。だから、生真面目に信号のシグナルが変わるの待っていても道を渡ることはできない。日が暮れてしまう。道を渡りたいのなら、まずは、足を一歩踏み出すしかない。そんな安っぽい人生の教訓のようなものを道路信号は僕に語りかけてくる。憂鬱な天候に一日中付き合っている今日の僕にとって、そのようなメッセージはあまりありがたくもないのだが、それでも道を渡るために、少し怖い思いをしながら道路を渡り家路を急いだ。雨はやみそうもない。ただひたすら、水浸しの道路の上に小さな円を際限なく描き続けている。

▼日本も梅雨入りしました。特に西日本は、豪雨で水害が多発していますね。大変な状況です。ところで、モンゴル通信がついにVol.20を達成しました!毎回素敵なエッセイを届けてくれる桐山さんにメッセージを☆

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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