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モンゴルにもこのように木の生い茂る山がある。

 いろいろな国の人々と秋の始まりを迎える

  先日、晩夏の思い出にと思って、ハイキングに参加した。よく考えると、モンゴルにいるのは次の3月までだから、モンゴルの夏の風景を見られるのはもうほとんど最後なのだ。そんなときに、ちょうどある友人がこのハイキングに誘ってくれた。予め知らされていた集合場所で待っていると十数人のメンバーが集まった。主催してくれたのはこちらで旅行業を営むオランダ人の気さくな男性。スキンヘッドでものすごく目立つが怖い雰囲気は全くない。むしろその穏やかなひととなりが表情に滲み出ている。そこに集まったのは実にいろいろな国の人々で、覚えている分だけでも以下の通り様々だ。スイス、カナダ、アメリカ、イギリス、モンゴル、オランダ、メキシコ、フランス、イタリア、そして日本からは僕一人である。全体の傾向として、欧米系に偏りはあったが、少なくとも母国語は多様だ。アジア系は僕以外にはモンゴル人が二人いた。ほとんどの人たちは何らかの理由でモンゴルに居住している外国人で、選択の余地もなく会話は英語で行われた。こういうときは残念ながらモンゴル語ではないのだ。どの人も英語に堪能でいささか面食らってしまった。面白いのは、例えばイタリア人と話していると、確かによく聞いていると英語なのだけれど、油断するとイタリア語を聞いているような感覚になるということだ。そういうアクセントの特徴に気付くことがある。ともなると、僕の英語は、ほとんどカタカナを並べているような、相当な日本人風の言葉として聞こえているのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。それはかなり興味深いことでもある。

  実際には、こうしてブログなどを書いたりして家に引きこもっているものだから、普段はそれほど頻繁に多くの人々と話す訳ではないのだが、それでもモンゴルにいるといろんな国の人に出会う。それはたぶん、モンゴル人以外というグループ、つまり外国人という枠組みに僕も組み込まれてしまうからだ。あるいは、そういう意識が生活の前提にあるからかもしれない。イスラエル人に道を聞かれるときもあれば、韓国人やフォリピン人と話すこともある。一度、ずいぶん前に、偶然、宗教の勧誘のために僕の家に訪れた女性が僕に早口のモンゴル語で話しかけてきた。ぼくがそれについていけず、きょとんとしていると、あなた、外国人ですか?と尋ねれた。そうです、日本人です、と僕もモンゴル語で答えると、その女性は「え、日本人ですか、私も日本人なんです」と感激した表情で日本語で答えた。僕がその宗教に応じることは残念ながらなかったが、そんな不思議な体験をしたこともあるのだ。そしてそんな記憶がずっと僕の心に残り続けている。

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見晴らしのよいなだらかな道。

  「僕は仕事で北朝鮮に行ったことがあるんですよ」と、そこにいたスイス人が話しを始めた。すると一斉にそこにいた人たちの目線が彼に集まった。イギリスから来たという若い女性は大学院で博士号を取得するために、明日から西モンゴルにいってリサーチなのよねと言った。別のスイスの女性は動物の保護のプロジェクトに関わるために3週間前にモンゴルに来たらしい。アメリカの若い男は銀行で働いていると言い、イタリア人の男性は貿易をしていると言っていた。おれはイタリアの最高の食品を輸入してモンゴル人たちにその良さを紹介したいのさ。これがおれの今の夢なんだよと、例のイタリア語のような英語で熱く語っていた。しかし、少し目を離した隙に、女性のリュックサックを掴んだりして、ちょっかいを出し始めている。さすがはイタリア人である。モンゴル人男性は投資会社に勤めていると言い、アメリカ生活が長かったから英語は得意なんです、と流暢な英語で語った。メキシコから来たという女性はどういう訳か興奮気味に「ねえ、あなた、とにかく今、お好み焼きの作り方を教えてくれない? 私は一日三食お好み焼きでもいいくらい大好きなのよ。大阪で食べたお好み焼きが忘れられない!」と僕に訴えた。そんなに好きなら自分で調べるチャンスがあったのではないか、と思うがそういう訳にはいかなかったらしい。お好み焼きの作り方を、何の準備もなしに英語で淀みなく説明するには、僕にはもう少し語学力が必要であった。「あの、鰹節のあたかも生きているような動きがいいのよね」とも言っていた。ここにささやかな教訓がある。モンゴルでハイキングをするときには、お好み焼きの作り方、材料の調達方法を外国人に分かりやすく説明できるだけの語学力と教養を身につけておくとよい。それはあるとき、突然に自分の身に降り掛かってくるミッションなのである。

  そんな僕でも、フェイス・トゥ・フェイスで話せば簡単な意思疎通ができる。それが、中学校から高校まで散々勉強した日本の英語教育の成果である、と僕は思う。まあ、もう少しまともに会話ができたらそのほうがいいのだけれど。

  その一帯は、ゾーン・モド(「100本の木」の意)という名の地域だが、ゆうに一万本を越える木が生い茂っているすばらしいハイキングコースだった。晩夏…、というよりもむしろ草原からは初秋の香りがする。遠くからは黄緑色に見える草原も、足下を見るとすでに黄金色だ。それらの小さな葉は、夏の最盛期からは幾分くたびれたような様子を見せているが、それがみすぼらしい訳ではない。ウランバートルに程近いものの自然の豊かなこの小さな街には、もう秋の気配が間近に迫っていて、辺りの空気全体を全く違ったものに変化させようとしている。僕は、木々の間に、小さなリスたちが冬支度のために走り回っているのを幾度か見かけた。木の実を熱心に砕いている姿も見た。そんな様子をみるのはこれが初めてだ。エーデルワイスの咲き乱れる場所がいくつかあった。これらもやがて開花の時期を終え、本格的な冬になる。自然の変化は興味深い。

 20キロにも及ぶハイキングは、このように典型的な平和で牧歌的なひと時を一歩一歩歩き抜くという作業だった。

▼みなさんは、どんな夏休みを過ごされましたか?ハイキング素敵ですね!自然に触れながら国際交流!モンゴルは入学シーズンだそうです。日本はまだ残暑が厳しいですが、夜は秋の虫が鳴き始めましたね。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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