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銀行で書いてもらった地図。これと早口なモンゴル語の説明だけで、僕はその銀行に辿り着くことができた。我ながら偉大だ。

 モンゴルに於ける電力に関わる重要な情報

  金曜日の夕方、自宅の電気供給がストップした。なんの前触れもない突然のできごとであった。冷蔵庫のモーターが静かに動かなくなり、電熱器の主電源を示す赤いランプも消えていた。周囲が静まり返ったような気がした。むしろ静かになったことを告げる音なき音を聞いたような、そんな気分だった。停電はいつもこのように起きる。ウランバートルでは停電はさほど珍しいことではない。とは言っても、5分か10分ほどで復旧することが多い。数時間を要することもあるが、それでも、だいたい僕の我慢を越える程、長時間に至ることはなかった。ところが、金曜日の停電は辺りが薄暗くなっても、一向に復旧しなかった。電気の供給がなくなると困ることは、冷蔵庫の中に入れてあるものに悪影響があること、電熱器が使えないこと(一杯のコーヒーを飲むことさえできない)、そして、ラップトップ・コンピュータや携帯電話の充電ができなくなることである。テレビは見ないから気にならない。オーディオやラジオも持っていないから平気だ。室内の暖房は電気で動いているものではないので影響はない。でも、暖房を除けば、ほぼ完全に電気エネルギーに依存した生活なので、いったんこのインフラが途切れると、たちまち大きな不便を被る。時間が経つにつれて、窓から差す光も弱まり、あっという間に真っ暗になった。洗面所もトイレも完全な暗闇になった。停電のときにいつもそうするようにダイニングテーブルに、グラスに入った大きめのキャンドルを灯し、中国製の銀色の懐中電灯を置いてみた。

  さて、どうしたものだろう。停電で暗闇になってしまうと、いろいろなことへの動機を悉(ことごと)く失ってしまう。モンゴルのアパートの一室でひとりきりでいるときの暗闇が与える影響は計り知れない。読書でもしてみようかと思って、読みかけのままになっていたアルベール・カミュの『異邦人』を開いた。暗闇の中に灯るキャンドルの光は、無理ではないにせよ長時間の読書には十分でなかった。何ページか読んで本を閉じた。ソファに寝そべって、天井を見た。特に何かを眺めたい訳でもなかった。ヘッドフォンでクロード・ドビュッシーのピアノ曲集を聞いてみた。どうも落ち着かなかった。月の光を眺める気にもなれない。暗闇にフランスの芸術は適さないらしい。

  金曜日の夜なのだから、どこかに出掛けたっていいようなものなのだけれど、そういう気も起きなかった。ところで、どうしていつまで経っても、電気は復旧しないのだろう。ちょっと気になって、部屋の外に出て、アパートの階段ホールを見た。すると、いつも通り電灯が灯っているではないか。どういうことなのだろう。通常の停電ならば、建物全体が一様に停電するはずだ。その瞬間、僕はふと思い出した。僕はこのところ忙しさを言い訳にして、電気料金の支払いを滞納していたのだ。1ヶ月半程になる。噂では、滞納が長引くと急に電気の供給を電力会社によって止められると聞いたことがある。この状況はほとんど他の理由を考える余地がなかった。ふと時計をみると、料金を振込むための銀行は営業時間をとうの昔に終えていた。そして明日から二日間は週末であることにそのとき初めて気がついた。

  電気料金はH銀行に毎月振り込みに行くことになっている。電力会社からの請求情報が銀行に送られる仕組みになっているらしく、僕は、そろそろ請求情報が出ている頃かなと想像してH銀行を訪れる。僕に直接連絡が来ることはないからだ。すると大抵はまだ請求が来ていませんよと愛想のわるい銀行窓口の女に言われる。何度も訪れてようやく支払うという繰り返しなのである。銀行はいつも混雑していて、窓口に辿り着くまでに最低でも30分から40分を費やすことになる。さてようやく窓口に辿り着いたぞと思って窓口の女に電気料金のことを尋ねる。そしていつも、まだですわね、と冷たく突き返される。銀行に行くならルービック・キューブとか数独のような簡単なゲームを携えていくのをお勧めしたい。だから、またあのH銀行にいくのかと思うと暗い気持ちになった。しかし、今度は窓口の女に冷たい対応をとられることは無いはずだし、第一に、電気がないと困る。さらに、噂では料金を振り込むとすぐに電力供給がはじまると聞いたことがある。

  翌朝、週末だと知りつつもウランバートル市内のH銀行を一軒一軒、片端から訪れた。しかし、やはりどの支店も土日休業だった。これはウランバートル市内の中心付近をひたすら彷徨うことを意味した。なぜか扉の開いていたインド大使館に近い一件の同銀行を訪れると、しかし、やはり営業していないという返答だった。その返答は、これまでのH銀行の行員のなかでも最も冷酷なものであるように思われた。僕の焦る気持ちと落胆の気持ちがそうさせただけかもしれないが。それでもめげずに、今日、営業しているH銀行はありますかと尋ねると、一件だけあるという。場所を教えてほしいと言うと、隣に座っていた行員が横からあれこれ細かく説明をし始め、地図を書いてくれた。それは非常に分かりにくいものだったが、とにかく彼女の言葉を信じて、そこへ出掛けて行くことにした。場所を説明してくれた行員の女はおそらくH銀行の中でも最も親切な行員なのだろう。彼女はもしかしたら遠い未来に、同行の頭取になるかもしれない。彼女のために僕はそれを祈りたい。

  その銀行は、インド大使館からいささか遠くにあり、初めて訪れる場所だったが、本当に営業していた。その日は客も少なく、すぐに支払いを終えることができた。

  料金も支払ったことだし、きっと家の電気も普段の通りになっているだろうと期待に胸を膨らませて帰った。でも、帰宅すると、電気は戻っていなかった。愕然とした。その土曜日、そして日曜日も月曜日も電気は戻らなかった。その間に、週末のために準備していた冷蔵庫の中のものが台無しになったばかりではなく、しなくてはならない事務仕事もできなかった。つまり、この停電は大きな損害を僕に残して行った。月曜日に職場の仕事を終えたあと、知り合いのモンゴル人と一緒に電力会社を訪れると、「ああ、ようやく料金を支払ったのですね、では、エンジニアをあなたのアパートに向かわせます」。電力会社の社員はそれだけ言って僕らを追い返した。夜遅くに貧相なエンジニアがやってきて、僕の家のドアをノックし、「電気を復旧させておいたので、確認よろしく」とだけ言ってそそくさと去って行った。あの男が数日前に僕のアパートに来て、こっそり電気の供給を停止させたのかと思うと、やり場のない感情を覚えた。今、これまでの経緯を整理すると、電気料金を滞納すると、予告なしに電気供給を止められる。しかも、それはまるで嫌がらせのように金曜日の夜に行われる。入金後はその旨を報告しなくてはならない。報告先も問合せ先も一切示されない。それを知らない外国人が、路頭に迷うように仕組まれているといっても言い過ぎにはならないくらいだ。そして、しばらく滞納すると電気供給が止まるという噂は真実だが、入金したからといってすぐに自動的に供給が復旧するという噂は嘘だ。

  モンゴルでの生活を検討中の方はどうぞお気を付け下さい。もちろん滞納さえしなければ、こうした残酷な目に遭わされることはないのだけれど。電気料金を滞納したことは僕の過失なのである。

▼私だったら泣いちゃうできごとです!桐山さんの「生きる力」に拍手☆

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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