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凍って地面に張り付いた固い雪は近所の人々が金属製のスコップなどで砕く。
溶けることがないため、道路脇には雪の破片が山のように捨てられている。

 スーパーのレジで起きた本当の話

  1月というと、モンゴルは結構寒い。多くの人が言うには、最も寒い季節だそうである。昨年、ウランバートルで初めての1月を経験した。それは本当に寒い季節であった。外を歩くことは、命がけとまでは言わないまでも、相当の覚悟を必要とした。睫毛が凍り、頬はしびれ、つま先の感覚がなくなった。手袋を二重につけているにも関わらず、悴(かじか)んでくる。呑気に鼻唄でも唄いながら歩かなければ、気が滅入ってくる。吐く息が真っ白い煙のようにもくもくと1メートル先くらいまで消えずに漂っている。自動車の後ろから吐き出される排気ガスなら、3メートルくらいの高さまで目で追うことができる。道路は凍り付き、多くの自動車がその上を申し訳なさそうに、滑っている。数メートル滑って、ようやく交差点の停止ラインを少し越えたところで静かに停車する。僕は歩道を歩きながら幾度も転びそうになった。かろうじてバランスを維持し、またゆっくりと歩き始める。その横を二人連れの幼い少女が嬉しそうに手を叩きながら走り去っていく。

  噂では、今年はもっと寒くなるとのことであった。そして、実際に昨年よりやや寒いのだそうだ。モンゴル人もそのように言っている。しかし、僕にはその寒さに違いが感じられない。理解を越えた領域における差異は、感じ取ることが難しいのだろうか。しかも、昨年感じた、激しい苦痛を今年はあまり感じない。僕の寒さに対する感覚が昨年の極限状態でばかになって使い物にならなくなったのか、寒さに鍛えられ、より頑強な皮膚感覚を手に入れることに成功したのか、その辺りはよく分からない。加えて、昨年は凍り付いた道路で四度ほど転倒したが、今年はまだ一度きりだ。かなり抑制されたペースでこの冬を乗り越えようとしている。まずまずの成績だ。人が知らず知らずのうちに身を守るための術を身につけているのがよく分かる。

  とにかく、そのようにしてやや尋常でない気候のなか、夕食の材料でも買おうとスーパーマーケットに立ち寄った。おびただしい行列がレジスターの前に続いている。行列はそれほど珍しいことではないが、せっかちなせいか、そこに並んでじっと待っているのに嫌気がさしてくるので、しばらく菓子コーナーの辺りで派手なパッケージを眺めながら待っていた。ウランバートルのスーパーマーケットには、東欧諸国から輸入された見たこともないお菓子がけっこう並んでいて楽しい。それを僕はまるで万引きの犯人のような目つきで、行列の具合を頻繁に確認しながら見ていた。実際、店員には僕が万引き犯に見えたようで、一人の赤いエプロンを身につけた女性店員が腕組みをして僕を注意深く監視し続けていた。僕を監視している暇があるなら、もう一つあるレジスターを動かして、行列を緩和してくれたらいいのに。そんな気分だった。

  しばらくすると列が短くなった。よいチャンスだと思って列に並んだ。すると、2秒ほど遅れてやってきた、人相の悪い若い女が僕の左前に立った。メインの列を無視するように。彼女は、あわよくば、僕の前に割り込んで先に支払いを済ませようという、いけ好かない、品のない表情を浮かべていた。レジスターの目前まで来ても諦めないしぶとい女だった。その女の狼藉を阻止するために、僕はすぐ前に並んでいた老女との距離を寸分たりとも空けないように、スーパーのカゴを体の前に抱え、注意深く彼女に立ち向かっていた。そのいけ好かない女は僕の左前にいたが、レジスターは右側にあった。既に僕の後ろには3〜4人の買い物客が並んでいた。彼女は、おそらく最終的には僕に割り込みを阻止されて、何人分も後ろに並び直さなくてはならなくなるだろう。悪事を働く人間には例外なくそういう罰が待っているのだ。僕は、仮に彼女が魅力に溢れた風貌であったなら喜んで前に入れてあげる、というような不公正な人間ではない。容姿などは関係ないのである。そしてこれは世の常として、多くの、不正を悪びれずに行うような人間に魅力的な外見が与えられることなどきっとない。容貌は心の有り様が反映されているのである。などと僕はそのときひらめいた根拠のない持論を頭の中で展開しながら、心の中で勝利宣言を行っていた。

  目の前の老女がレジスターで勘定をしているときであった。正直にいうと、僕は未だ勝ち得ていない、勝利の二文字をもう手にしたような気分に浸っていたのかもしれない。それが油断に繫がったのかもしれない。そうした隙を僕は彼女に与えていたことはおそらく事実なのであろう。そのときのことであった。いけ好かない女性は、左前から、僕の右側のレジスター・テーブルにポイと彼女の商品を投げ込んだのである。それは僕の目の前でなだらかで美しい放物線を描きながらテーブルに到達した。見事なコントロールであった。そして、その瞬間、彼女と僕の間の形勢は完全に逆転していたのだった。

  そのあまりにも唐突で感動的な出来事に目を奪われているうちに、いけ好かない女が、さっと僕の前に割り込み、すでに会計作業をし始めていた。僕はあっけにとられて、呆然とそれを遠くで起きた出来事のように眺めてしまった。

  悪質なその女は、僕に一瞥をくれることもなく、相変わらず、品のない表情を浮かべながら会計を済ませると、そそくさと店を後にした。

  『割り込み』はモンゴルではさほど珍しいことではないが、今回のそれは、あまりにもその技術レベルが高いために、ほとんど芸術の領域に達しているように見えた。これほどまでの洗練されたスキルを獲得するために、彼女が払った時間はどれほどのものだったのだろう。いったい、どのように特訓したのだろう。しかし、この技術は、支払いの際のレジスターへの不当な割り込み以外に活用方法があるのだろうか……。そんなことを考え、僕も少し遅れて勘定を済ませ、また寒い道路に出た。女はすでに完全にその姿を消していた。寒い日のできごとだった。

▼先週、東京も久々に大雪が降りましたね。寒かった… だけど今のモンゴルは、その比ではないんでしょうね。今年もよろしくお願いします。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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