96年度巡検報告


春巡検(伊豆・箱根)

1997年3月9−10

 去る3月9・10日に伊豆・箱根において春巡検を行った。ゼミ員全員とOB数名が参加した。目的は下級生の実力を養うこと、ゼミ員間の結束を高めること、現役ゼミ員とOBの親睦を図ることにある。案内は下級生がおこなった。案内者の足りないところは上級生がうまく補足してくれ中身の濃い巡検になった。夜の反省会では多くのことを語り合いゼミ員間の結束は大いに固まったように思う。2日間天候にも恵まれ充実した巡検を送ることができた。特に下級生には思い出深い巡検になった(前田 豊)。

 

加住丘陵巡検

1997年2月28

 加住丘陵は魅力的な丘陵である。切欠のカタクリ、雨武士神社のモミ・ツガ林、六枚屏風などは、すでにゼミでは定番である。今回はこれらに加え、谷頭の探検を主目的とした。

 サマーランドの裏手の小谷に入ると、垂直に切り立った谷壁が現れる。ここは本当に丘陵地なのかと疑いたくなる光景である。謎解きの推理は全く尽きることがない。当日は森林総研のカビ博士、佐藤大樹氏が同行したが、氏は研究材料の採集地としての魅力を感じたようである(真崎 庸)。

 

ミニグランドキャニオン

1997年1月12日

・参加者:徳武[案内者]、江口、猪飼(以上大成基礎)、高橋、和田、三島、丸岡、目代

<参考文献>

口野道男(1983):『ミニグランドキャニオン』.山梨日日新聞社.

竹内邦良(1982):釜無川にミニグランドキャニオン出現.土木学会誌.

田中 収(1983):富士川上流異常洗掘部の地質構造.第90回日本地質学会講演要旨集.

 

四国巡検

1996年8月28〜30日

・参加者:小泉,辻村,目代,赤石,藤田,稲継,須賀,沢田石,西尾,橋本(以上学芸大)

     井口,宗定,千代(以上香川大),吉永秀一郎(森林総研),植木岳雪(高知大)

 自然史ゼミとしては初めての(??)四国地方、特に瀬戸内地域での巡検を8月28日(水)〜30日(金)に実施した。

 本巡検は自然・人文にとらわれず、様々なテーマを盛り込んだ。このため、人文系ゼミにも参加者を募った結果、学芸大学から10名、地元参加者を含めると15名が集まった。巡検前には簡単なガイドブックを作成し、参加者に配布した。また、移動は自動車4台で行った。なお宿泊はYH琴平青年の家であった(かなりぼろいという不評の声もあったが)。

 初日の午前中に高松に到着した参加者は、まず坂出に移動。早速讃岐名物のうどんに舌鼓をうつ。午後、坂出駅に参加者が集合し、琴平へ移動。香川大の参加者がそれぞれの車に乗り込み、道中に見られる讃岐平野の風景について解説を行った。主なポイントは、@溜池の構造と利用、A頂上部はサヌカイトで山麓が花崗岩という円錐形の小山、B扇状地性の平野の特性、C条理の名残などである。

 琴平においては、日本最古の歌舞伎小屋「金丸座」を見学し、歌舞伎の演出技術についてまで学び、金刀比羅宮の奥社まで参詣した。途中の様々な建築物などについて、千代氏(香川大)の丁寧な解説が行われた。本宮まで 785段、奥社まで1376の石段を上って行くのは、途中降雨にあって厳しい状況ではあったが、全員が往復した。夕食をかねて、琴平門前町を散策し、町並みについて議論した。なお、香川大の参加者2名(井口・宗定の両氏)は初日のみの参加であった。

 2日目は未明の雷雨など、不安要素は多かったものの、石槌登山を実施した。目代氏と合流した後、まず石槌山に発する加茂川沿いの露頭を観察。この地域には中央構造線が走っており、平野部と山間部には急峻な三角末端面が見られる。その中の一つ、古生代の和泉層群と三波川帯の結晶片岩(この地域では「伊予の青石」と呼ぶ)の断層に、安山岩が貫入した黒瀬断層を観察した。

 登山口で高知の森林総研の吉永氏と合流する頃には天候も回復し、登山を実施した。日本の代表的な信仰の山の一つであり、関連した建築も多い。登山中は参加者の発見をもとに議論を進めた。クスノキ科のシロモジの確認、ナツツバキ・ヒメシャラも多い。また、石槌は四国でブナ林が見られる数少ない地域であるが、小泉先生によると、鳥取の大山と異なり日本海地域の特徴を持つが多いが、葉が全体に小さく、亜種かもしれないとのことである。

 標高1,600mを超えると、広大な鞍部にササ原が広がる。その中に日本の南限とされるダケカンバ林が見られた。3ヶ所の急峻な鎖場を超え(もっとも長老??は迂回路を回ったが)、頂上小屋に到達。登るにつれて天候が回復したのは幸いで、南方の石槌連山のササ原、オオシラビソの亜種シコクシラべ林も見られた。なお、足場の問題があったため、頂上の天狗岳までは希望者のみ登った。

 最終日の午前中は伊予三島で三角末端面、眉状断層を観察し、地形図を参考にしながら、先生・吉永氏と、前日の夜から参加された植木氏を中心に地形発達過程を検討した。つづいて、局地風「やまじ」対策の施された家屋の観察、扇状地上での水利用についての検討を行った。午後は日本最大の溜池である満濃池を見学し、植木氏の修論に関係する露頭解説、吉野川の発達に関係する地形発達過程について、その仮説を紹介いただいた。

 幅広いテーマを扱ったために、中には解説が不十分なところもあった。また、参加者が多様であり、議論の発展しない面も多かった。しかし、四国は初めての参加者が多く、四国の魅力の一面を紹介できたと思う。また、若い参加者には、巡検に出る楽しさや興味を伝えることができたと思う。

 最後に、高知から参加いただき、貴重なお話を頂いた吉永、植木の両氏、全面的に応援いただいた香川大の千代氏ほか、実施にあたってご協力いただいた皆様にお礼申し上げる(藤田 晋)。

 

南房総巡検

1996年5月19日

・案内者:高地信和、関 信夫、関 秀明(古今書院)

・参加者:五百沢智也、清水長正、谷島久雄、吉村、小泉、藤田、三島、目代、辻村、福井、松岡、

     丸岡、赤石、真崎、高橋、和田、荒木(お茶大)、佐藤(お茶大)、小林(法政)、酒井、

     石井(明治大)、木村(明治大)

 五月の日曜日、関さん兄弟をはじめとする多くの方のご案内のもと、自然史ゼミの主要巡検地の一つ、南房総での巡検を行った。関信夫氏からは主に人文の視点から、関秀明氏からは主に自然の視点から、新たな仮説を盛り込みながら解説を頂いた。

 まず、岩船漁港で「山たて」と呼ばれる漁師の位置確認のための指標の意味、その位置確認を行った。つづいて、ひょうたん池に行く。幅は150mで、泥岩主体の湿潤な丘陵地の谷底にある。ここはかつて、谷津田として利用された地域であり、この池は農業用にも釣り場としても活用されている。また、清純な湧水のあるところにしか生息しないミヤコタナゴや、ハンノキ、ミツガシワなど生物相も多様なところである。しかし現在、多数のゴルフ場やリゾートマンションなどの建設が予定されるなど、自然環境の状況を知らずに進められている、自然改変が懸念されている。

 このあと、海食台を下って海岸に出た。房総に見られる、丘陵地の谷津田が海食崖で切られているという現象、世界的にもまれである。この下っていった道については、豪雨の際に氾濫した水の排水路の役割をしているのではないか、と言う視点から、水の進路に関して議論が行われた。また、砂鉄が多く見られ、九十九里全体で見た砂鉄関連業についての説明があった。

 午後はまず、大沢集落を見学。どてら坂という、わずか1本の急な道のみで繋がっている、上大沢と下大沢の双子集落の例であるが、上下どちらが先に成立したかは不明である。下大沢集落は狭い平坦部いっぱいに家屋の密集している漁村的役割を持っているのに対し、上大沢集落は米作など農業が主体となり、機能的に一体化している。つづいて、海食崖の一つ「おせんころがし」に行く。名前の由来には様々な説があるという。ここはウィンドギャップの典型例を観察できた。さらに、上大沢から夷隅川の最源流部を目指す。ここの水の移動、丘陵地内の谷の発達様式から、@海食崖後退説、A地すべり説、B谷津田涵養説の3仮説が紹介され、議論を進めた。更に上流部での発見が大きな収穫であった。

 最後に六雁の滝において、川廻しの例を見学した。房総半島の河川は、上流で川廻しを行った例がいくつかある。数カ所で見られる穿入蛇行を短縮するために蛇行の狭窄部をつないで形成されたものである。旧河道の観察などから、若干の議論を行った。

 最後に、お忙しい中、ご案内いただいた関両氏をはじめとする多くの方々に深謝申し上げたい。

(藤田 晋)



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