98年度巡検報告


あきる台地巡検(98年度学芸地理学会巡検を兼ねる)

1998年11月22日

・案内者;小泉武栄

・参加者;<ゼミ関係者>佐野(30期)、青木(40期)、青木(40期)、原(41期)、

            勇、武田、藤田、藤森、若林

     このほか、学芸地理学会会員および「地形学」受講者をあわせ、約40名が参加

 あきる野市の中心部はあきる台地と呼ばれ、2つの川に挟まれている。北側には平井川が流れ、その北には草花丘陵がある。南側には秋川が流れ、その南には加住丘陵も見られる。

 今回の巡検では、まず始めに、二宮神社の下の、わき水の出ているところに行った。ここは、秋留原面(その下は野辺面、小川面が続く)にあり、秋川より30mほど高い台地に位置する。この付近では、縄文時代から人が住んでいたため、遺跡がたくさん出てきている。また最近まで、多くの水田が見られた。

 ここで、今回の巡検の課題が示された。「なぜこのような高い場所に位置しているのにわき水が豊富なのか」この疑問がとても重要であった。

 次に、二宮神社に行った。この場所では、水は深くまでしみ込んでいく。ここは礫層が厚く、十分に締まっていないためである。秋留原面ができたのは新しく(2万年前)、火山灰は1m程度しか堆積していない。

 その次に、神社の北にある禅寺に行った。この場所は、神社よりも一段低い面にあり、1mも掘れば、水が出てくる。ここから平井川を見ることができる。10〜15mの段丘崖の下を川が流れている。この後平井川の河岸に下り、いくつかの露頭を観察した。都がまだ指定していない名水の湧水点を観察した。ここは粘土が混じっており、礫を引っぱっても取れないほど締まっている。

 更に上流では、今回の答えが示された露頭が見られた。あきる台地周辺の地域では、100万年をかけて礫が堆積している。一方、この地域は温暖期には海進が進み、浅い海であった時代もあり、この時期の粘土が混ざっている。このため、山地で生産される礫と海で生産される粘土が同じ場所で見られる。こうしてつくられた地域の南北を、1万年前から秋川と平井川が侵食をし、その段丘崖の一部で湧水が見られる。

 昼休みの後、秋川の方に向かった。秋川に向かって、数段の段丘崖を確認できた。また、開発の影響で、台地上でも洪水が発生するという話を聞いた。秋川では霞堤を見た。洪水の際に水が通るところに家が建っているのが不思議だった。

 最後に、亀とコイのいるわき水が出ている神社へ行って解散した。(主著:藤森美佐枝/補足:藤田)

 ※ 学芸地理54号には、学部4年生による巡検報告が掲載される予定です。

 

庚申山巡検

1998年6月7日

・参加者;勇、井上、小泉、佐々木、辻村

 庚申山は、栃木県足尾銅山近くにある標高1892mの山です。我々はここにコウシンソウという、ここと日光の一部にしか生えていない植物(食虫植物)を見に行きました。10:30に登り始め、3:30に山頂付近のコウシンソウの生えているところに辿り着き、6:00に下山しました。その途中で気付いたことを幾つかご紹介します。

 林道を歩いていると、風化し崩れた粘板岩が至る所に散乱していました。これらの粘板岩の崩れ方には場所によって特徴がありました。更に行くと「天狗の投石(なげいし)」と言われる場所がありました。ここは同じような大きさの凝灰角礫岩(或いは玄武岩に近い安山岩)が斜面に無数に散らばっている所です。自然の驚異と申しましょうか、直径50cmくらいの岩が整然と転がっている様はなかなか見ごたえがあります。山道を登っていくと、足元に何やら黄色いものが転がっていました。それは二ツ岳パミス(6世紀の榛名山噴火によるもの)という軽石でした。

 その後も我々は厳しい山道(厳しいと思ったのは初心者の私だけだったかも知れませんが)を登り続け、3:30頃コウシンソウの元に辿り着きました。コウシンソウは数cmの小さな花でした。頂上付近の岩壁に棲息していましたが、適当に生えているのではなく、ある程度偏りがあるようでした。それが何に起因しているのかは分かりません。そして、暗くならないうちに下山しましたが、行きが辛かった分、帰りも辛い道のりでした。

 今回の巡検は、私は準備不足や登山に慣れていないことなどから、軽く死にそうな目に遭いました。準備や下調べは必要です。兎に角、今回はコウシンソウを見れてよかったなと思い、頂上付近からの眺めに感動し、そしてなにより無事帰ってこれて安堵しました(佐々木啓太)。

 

ミニグランドキャニオン・フォッサマグナ巡検

1998年5月30−31日

・案 内;徳竹真人

・参加者;赤石、井上、小佐野、黒田、今野、藤田(31日のみ)

 本巡検の目的は「ミニ・グランドキャニオン」、「新倉の大断層」に代表される糸魚川・静岡構造線の露頭、および雨畑川沿いのキンクバンドや褶曲構造が形成する特異な地形等を観察し、理解を深めることであった。

 1982年8月1〜2日の集中豪雨により1晩で形成された「ミニ・グランドキャニオン」では、糸魚川−静岡構造線、古白州湖の砂礫等のほか、半深成岩である花崗岩が四万十層群の頁岩や砂岩と接触して熱変成させたホルンヘルスが実際に確認できた。

 「新倉の大断層」も1951年の大雨による崖崩れで露出した露頭である。ここは、新第三紀層を古第三紀瀬戸川層群雨畑川累層の岩盤が逆断層となり、被覆している様子がはっきりうかがえる場所である。断層面の様子を自分の目で観察し、自分の手で断層粘土等を触り、1、000万年以上の時空を経た2つの地層や断層そのものを総体として捉えることができた。雨畑川周辺の地質は四万十帯の特徴をよく反映していた。周辺の斜面崩壊に伴う河床の上昇が著しく、埋没した橋の残骸からもその土砂供給の多さが理解できた。またここの道路沿いの露頭では、背斜構造や珍しいキンクバンドも見られ、その形成要因についても考察した。

 1泊2日の短い巡検であったが、内容は非常に濃く、構造線を含めた地殻運動とその影響を受けた岩盤の状態、及び岩種との関わりといった多岐にわたる地形と地質の相関性を実感することが出来た。

(赤石洋子)

 

国分寺崖線巡検

1998年5月16

・案 内:前田 豊

・参加者:赤石、今野、佐々木、佐藤、徳竹、徳竹勇良、中村、藤原、和田

 今回我々が見に行った国分寺崖線は、武蔵野台地の武蔵野面と立川面を分ける崖です。武蔵野台地は、下末吉面、武蔵野面、立川面、沖積低地の4つの地形面からなっています。現在、多摩川は沖積低地を流れていますが、下末吉面、武蔵野面、立川面はいずれも多摩川の作用により出来た地形です。国分寺崖線の露頭では関東ローム層と武蔵野礫層を見ることが出来ます。武蔵野礫層の下には下総層群という不透水層があり、この層の上の部分から武蔵野面の地下水が湧き出しています。この湧き水が、野川を作っています。また、一部の露頭では東京パミスという軽石の層が見られました。

 このように、いろいろ面白いものが見られる国分寺崖線です。近くにお来しの際には、是非ご覧になってはいかがですか?(佐々木 啓太)

 

上野原巡検

1998年5月10

・案 内:小泉武栄

・参加者:赤石、秋本、井上、小沼、佐々木、佐藤、辻村、中村、馮、藤崎、藤田、藤森、藤原、水野、

     六本木、若林

 我々は中央本線上野原駅に集合し、上野原の河岸段丘の段丘面、段丘崖を見て回りました。ここの河岸段丘は50mほどの礫層が堆積し、その上に関東ローム層が堆積しています。場所によっては、その境を見ることが出来る露頭もあります。この上野原の河岸段丘は、左岸が堆積段丘で右岸が侵食段丘になっています。堆積段丘の頂点の段丘面をfill topといい、その他の段丘面はfill strath terraceといいます。

 後半は、道無き道を行きました。沢の中にグリーンタフ(緑色凝灰岩)がたくさん転がっていました。初めて本物を見て感動しました。

 巡検を終えて、自然のスケールの大きさを実感しました。今後こういった巡検に参加するたびに、自然というものを徐々に理解できるのではないかと思っています。(佐々木 啓太)

 

渡良瀬遊水地巡検

1998年4月29

・案 内:大和田真澄氏(栃木県植物研究委員会)

・参加者:小泉、水野、井上、勇、今野、榎本、古家、和田、若林、中村、佐々木

 渡良瀬遊水地に入る前に、東武日光線藤岡駅に1030分頃集合しました。佐々木君は電車を間違え、遅刻しました。そこから車で遊水地に向かいました。

 @思川と渡良瀬川と巴波川に囲まれた場所

 最初の目的地は、遊水地の北西部、思川と渡良瀬川と巴波川に囲まれた場所のほぼ中央地点でした。途中の悪路に小泉先生の車が悲鳴を上げていました。私は湿地に入るのが初めてだったので湿気にくらくらきました。さて、ここでは植物の説明を受けました。絶滅危惧植物も見つけました。ここで見つかったものは、絶滅危惧TB類のエキサイゼリ、ハナムグラ、絶滅危惧U類のノカラマツ、ノウルシ、サクラソウ、チョウジソウ、ヌマアゼスゲなどでした。サクラソウは一群落(1m×1m)あり、僅かずつですが年々拡大しているそうです。絶滅危惧植物以外にも、ナメラツリフネソウ、カラスビシャク、ハナヤスリ、ハンゲショウ、オオヘビイチゴ、ケナシチガヤ、ミズタネツケバナ、ヒメヨモギ、ヤブスゲ、メドハギ、セイタカアワダチソウ、ヤブガラシ、ニガクサ、ツルマメ、ツルスズメノカタビラ、イチゴツナギ、タチイヌノフグリ、オオヤブジラミ、オオブタクサ(クワモドキ)、ノニガナ、ヒメコウゾ、イタチハギ、スイカズラ、ナガバギシギシ、ヤマウコギ、ニワトコ、スイバ、ゲンノショウゴなどが生息していました。ちなみに、私の育ったところ(岩手県)ではギシギシのことをゲジゲジといいます。書き忘れましたが3月頃のヨシ焼きにもめげずにヨシやオギはすくすくと成長していました。ヨシ焼きは立ち枯れたヨシを焼くことで、これが行われなくなると他の植物の発芽や生育を妨げ、特に絶滅危惧植物は本当に絶滅してしまう恐れがあります。ですが、最近はヨシ焼きを行っている農家が減少してきているそうです。

 A旧谷中村跡

 その後、我々は旧谷中村跡に行きました。家族連れが多く見られました。ゴールデンウィークということで暇な人が多いようです。ここで見た植物はショウブ、ハナショウブ、キショウブ、スズメノエンドウ、アザナルコスゲ、ミコシバヤシなどでした。同じショウブなのにショウブはサトイモ科、ハナショウブはアヤメ科、キショウブは帰化植物という違いがあるそうです。

 その後

 何名かで佐野にラーメンを食べに行きました。佐野で二番・まぼろしのラーメンを掲げていました。まあ、こんなもんかな、という味でした。

 おわりに

 私自身、渡良瀬は初めてでした。その広大さに驚き、その匂いに懐かしさを感じました。水没しても、尚生えてくる植物の強さも実感しました。渡良瀬は何としても守るべきであると思います。植物についても勿論ですが、環境保全についても学んだ巡検でした(我々が歩いた跡に絶滅危惧植物が何本横たわっているか気になります)。(佐々木啓太)



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