モンゴルプロジェクトフェーズ2/Mongolia Watching/モンゴルだよりVol.6

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Mongolia Watching/モンゴルだより インデクス

モンゴルだよりVol.6
小さなナーダム

高畑 弘

 4月26日にウランバートルに着く。4月30日から5月3日までのダルハン市での教員研修での授業参観と講演以外は、ウランバートルで少しばかりの講演を行ったばかりでのんびりした日程であった。
 帰国を明日に控えて、5月5日(土)にウランバートル郊外で行われる草競馬(小さなナーダム)を見物することになった。9時20分にプロジェクトのモンゴル人スタッフであるヒシゲバヤルとその兄さんのバトサイハン(プロジェクト雇用の運転手)がホテルに迎えに来た。そこで島根県立大学の井上治先生を紹介される。ヒシゲ(ヒシゲバヤル)は以前から井上先生の仕事に関わっているらしい。ヒシゲは日本語に関して日常会話は問題なくできるがすこし複雑なことになると少々怪しくなるので井上先生に通訳をお願いしたのだろう。井上先生はとても気さくなお人柄で、草競馬の場所に着くまでモンゴルの現状についていろいろとお話を伺うことができた。この日の同行者は福地先生をいれて都合5名となった。
 ウランバートルの西方50キロぐらいにある競馬に適する草原に約40分で着いた。すでに多くの車が集まっている。驚くべきことにほとんどがトヨタのランドクルーザーである。その理由は後で説明する。この日の草競馬の主催者はヒシゲの従姉である。話によると、その従姉の父親、すなわちヒシゲのおじさんは全国規模のナーダムで3年連続優勝した馬の調教師という輝かしい経歴の持ち主とのこと。この日のナーダムに、その従姉は3頭出場させている。

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 出場する馬はおよそ50頭。騎手はほとんどが10歳以下だそうである。それ以上になると、もともと小柄なモンゴル馬の旗手としては不適なのだ。その幼い子供たちが馬に乗っている姿を見て驚いた。鞍がないのである。したがって鐙(あぶみ)もない。ただ手綱があるだけであり、ほとんど裸馬である。それだけでも軽量にする必要があるとのこと。走る距離は18キロである。車が集まっているところがゴールなので、18キロの彼方のスタート地点まで慣らしで走らせてゆくことになる。馬はまちまちの速度で走ってゆく。そのあとを、馬を出場させている人たちが車で追いかけてゆく。競争が始まると自分の馬の後を走るのである。

 いよいよスタート。50頭の馬が走り出す。この場所は頻繁に競馬に使われているので、草が無くなって土が現れている。そのため、濛々たる土埃で、どれがだれの馬か判別がつかないと思われるが、馬主はちゃんと識別しているとのことである。車も同じ速度で走るので土埃は倍加される。馬の速度は約50キロである。それを追いかける車ももちろん同じ速度である。一見、なだらかな草原に見えるが、縦横に轍の跡があり、実際は凹凸の激しい悪路というか荒地である。そこをコース選びの余裕もなく、時速50キロの速度で走ればどうなるか、推測はできるとおもう。縦に横に揺すぶられて、車の天井に頭を打ち付けた回数は数えきれない。それでも車は馬を追って走る。やわな車では転倒したり故障したりするであろう。しかし、トヨタのランドクルーザーにはそんなことは起こらない。「他の車ではダメなんですよ」と井上先生が教えてくれた。あれほどたくさんのランクルがモンゴル中を走っている理由を始めて納得、理解した。書くのを忘れていたが、我々はヒシゲの従姉の運転するランクルに乗っている。その運転たるや、すさまじいもので、われわれ「客人」が同乗していることを忘れているのではないか、と思わせる。


 ところで、レースは終盤にかかって、ヒシゲの従姉の馬は3頭ともに先頭集団で走っていた。その従姉はそのあとを走り、声を張り上げる。私には、レースそのものより、その従姉の様子の方が興味深かった。たかが草競馬にいい年をした(45歳ぐらいか?)女性をこんなに熱くさせるものがあるのかと驚いたのである。聞けば、モンゴル人は、こうした競馬に金銭を掛けることはしないそうである。何のために?名誉のため、優秀な馬を持つことの誇りのためである。
 レースは終わり、従姉の馬は1位、2位、3位を独占した。どうも祝儀的な結果と思えないこともないが、我々はその従姉に祝辞を述べた。馬から降りた小さな旗手たちの中には、緊張から解放されて泣きじゃくっている子も幾人か見られた。走ってきた馬たちはクールダウンのために草原を引かれて歩いている。我々は主催者のゲルに入って、一緒に祝杯を上げて、帰路についた。