「ものづくり教育」という言葉


 「ものづくり」なる用語が、今日のように世間のいろいろな場面で使われるようになったのは、それほど前からではないように思う。それは、バブル経済崩壊後の「失われた10年」のなかで日常用語の一つとなり、コンピュータとそのネットワークが広く浸透するにつれて、よく聞くようになってきたように感じる。しかも、『ものづくりが日本を救う』(服部光朗ほか編、日本工業新聞社、1999年)といった、やや偏りのある文脈においてである。  
 ましてや、「ものづくり教育」なる用語が、世間で市民権を得たものになっているかは、はなはだ疑わしい。少なくとも、「ものづくり教育」がきちんと定義され、それが教育界である程度の合意に達しているという状況ではまったくない。
 反面、バーチャルな接面だけが異様に拡大し続けている現代生活の歪みとその中で生活する人間への影響をちょっとまともに考えるならば、子どもたちが、外界におけるリアルなモノとりわけ自然に対し、人との協働のもとに、自らがたてた目的にそってそれを変化させ、その過程で自らの自然をもまた変化・解放していくような場づくりが学校教育、とくにその初期の段階において大切になるであろうことは理解に難くないと思う。この対象的活動に基づく教育実践とそうした場を豊かにつくりだせる教員養成の実践によって「ものづくり教育」の実体をつくりだすことと相互に関わらせながら、「ものづくり教育」の言葉を教育用語として確定していくという姿勢が、現局面では大事になっていると思う。
 私たちは、この間に訪問した外国の大学や小・中学校の教員に、我々の意図を伝えながら、「小学校教員養成課程ものづくり教育選修」を英語でどのように表現したらよいだろうかと質問し協議し合ってきた。相談したすべての教員たちから「とてもよいプランであり、成果を期待している。」等と励まされるなかで、結論として、Art and Technology Based Teacher Education for Elementary Schoolと表現するに至った。短絡することなく、ふところを深くしてじっくりと取り組もうという意思が示唆された、よい表現だと思う。
 同時に、近代の日本学校教育史は、美術と技術の教育は水と油であり、混じり合うことはなかったことを教えている。この事実の重さは忘れてはならない。だが、ArtもTechnologyも語系が異なるだけで、その原意は共に「自然にはない人工物を生み出す技」ということであり、世界史的には、アーツ・アンド・クラフツ運動やバウハウス等々、両者をつないだ豊かな営みは多くある。要は、常に子どもを中心に据えて、相互につなぐ意思と柔軟な構想力をもって取り組めば、結果は必ず後から付いてくると確信している。


 2009年7月  東京学芸大学 副学長  田中 喜美