「共感性の発達とその意義」  
 
N97−6136 山岸由佳

(心理臨床:カウンセリング)



第1章 本研究の意義



第1節 本研究の目的


 多くの研究で、対人関係や社会生活を円滑にする役割の1つとして共感性が挙げられている。また、他人への共感的態度によって、個人間の結びつきが強まるという経験を多くの人がしていることと思われる。しかし、他人に共感的な人もいれば、批判的な態度の人もおり、共感性の高さや質には個人差があるようである。また、現在の社会は情報化が進み人との直接的なコミュニケーションが減り、他人への関心が薄れてきていることが指摘されている。自分さえ良ければ他人の問題には首を突っ込まないといった態度がしばしば見られるのも事実である。そこで、共感性の個人差は何によって生じるのかという疑問を抱くようになり、また、相手の立場で相手を思いやるといった他者への共感的態度の重要性を再認識する必要性があるのではないかと感じた。

 また、大学の心理学の講義で、心理療法の場面における共感性の重要性について何度か教えられてきた。そして、日常場面における共感と心理療法における共感に違いはあるのか、なぜ共感することが治療課程においてそれほど重要なのかという疑問も抱くようになった。

 したがって、本研究では、共感性を発達させる要因とその発達過程を考察した上で、他人に共感するという行為が、どのような意義があるのかを検討することを第一の目的とする。そして、心理療法における共感の概念と、治療過程における共感性の意義と効果について考察することを第2の目的とする。



第2節 共感の定義


 共感(empathy)という用語は、従来の心理学において統一した定義が得られないまま使われてきたが、一般に2つの定義に大別されてきた。「相手の感情を理解すること」を共感とする認知面を重視した定義と、「相手の感情を自分も同じように感じること」を共感とする感情面を重視した定義である。近年では、認知と感情の両側面を包括する定義が優勢になってきている。そこで、ここでは共感を「他者の感情の理解を含めて、他者の感情を共有すること」(澤田,1998)と定義しておくことにする。




第2章 共感性の発達



第1節 乳児期の共感的コミュニケーション


 生後1日の乳児が、他の乳児の泣き声に反応して泣くことは多くの研究で観察されている。Hoffmanはこれを原初的な共感反応と位置づけ、共感が生得的に準備されていることの可能性を示唆している。しかし、1歳以前の乳児は自己と他者を区別することができず、実際に苦しんでいるのは誰かという認識が欠如しているため、他者の苦痛を自己の苦痛であるかのように感じてしまう。Hoffmanはこれらの反応をおおまかで未分化な共感として捉えている(浅川・松岡,1987)。


第2節 幼児期の共感的コミュニケーション



 Hoffmanによると、1歳くらいになると自己とは異なる身体的存在としての他者に気づくようになり、他者の苦痛への自己苦痛の感情は相手への共感的心配の感情へ変形していくという。したがって、この時期から他者への慰めや援助といった行動が観察されてくる。しかし、他者と自己の内的状態を区別できるまでには至っておらず、他者の内的状態を自分のものと同一であると考えてしまう傾向がある。泣く子を慰めるのに自分の母親をよんできたり、自分の気に入っているものを差し出すといった行動がその例である(朝川・松岡,1987)

 2〜3歳になると他者を自分とは独立した内的状態を持つものと捉えることが出来るようになってくる。このことは、共感過程が相手の立場になって相手の感じ方を想像するといった「役割取得」に基づき始めること意味している(澤田,1995)。また、朝生(1987)は幼児期における他者感情の推測能力の発達を検討した結果、4〜5歳児では状況からのみ感情を推測するものが多く、6歳児になると人物の特性を考慮して感情を推測するものが多くなることを見出している。このことから、加齢とともに複雑な役割取得が可能になり、それに基づく共感能力は発達していくと考えることができる。



第3節 児童期の共感的コミュニケーション


 Hoffmanは児童後期以降、他者への一般的窮状に対する共感性が発達すると述べている。つまり、社会のある集団やある状況におかれた不特定の人々の慢性的な苦しみに対して共感するようになり、共感の対象が拡大されていくということである。しかし、このことを実証的に検討している研究はほとんど見当たらない(澤田,1995)。

 朝川ら(1987)による研究では、児童期である小学3年生から6年生にかけて共感得点が減少するという結果が報告されている。その原因として、共感者と被共感者との親密度による影響を挙げている。3年生くらいになると、共感の対象を日常的な接触があってよく知っている人物や親しい人物に限定し、親密度の低い他者には冷淡にふるまうといったウチ−ソト規範が獲得され、共感得点が減少するということである。また、高学年になると自己の責任で解決できるような場面においては、親密度の高い他者へもそれを要求するようになるため、他者の責任性と事態との相対的把握が共感的態度に影響する可能性も示唆している。しかし、共感的理解内容の発達においては、年長児童のほうが他者の視点からの役割取得がより高次の水準にあり、所与の情報を手がかりに他者の内面世界を構成しながらより深く他者の状況を理解するようになることを明らかにしている。


第4節 青年期の共感的コミュニケーション


 澤田(1995)は、青年期は全般的にみて共感的態度が停滞する時期であると述べ、その原因として次の4つの論考をとりあげている。1つ目は「青年前期における自己中心性」である。青年期前期では自分の思考と同様に他者の思考を概念化できるようになる一方で、相手の関心や視点が自分とは異なるかもしれないという認識が不完全であり、投射によって生じがちな相手とのズレを経験する事が多くなる。同時に自分の感情は他者には分からないユニ−クなものと考える傾向がある。よって、自他が相互に感情を理解し、同じ感情を分かち合うことは期待されにくいということになる。しかし、青年後期になるとこういった自己中心性は減少し再び共感的傾向を強めていくことが期待されている。2つ目は「他者感情の分かりにくさに関する信念」である。青年期は思考の発達段階において形式的操作期に入っており、自他の視点の相違や視点の多様性を意識し、認識の相対性に気づくようになる。そのことが、他者全般を理解できないものと決め付けるステレオタイプを形成する可能性をはらんでいる。3つ目は「個人的苦しみの感情」である。青年期は性格特性としての不安や自我防衛の機制が高まりやすい 時期である。これらの機制は苦境にある他者を想像したときの情動反応として見出される「個人的苦しみ」や「無関心ないし冷淡」の反応と関連してくる。これらの情動反応は、他者への低い援助動機と結びつくため、共感的な態度が一時的に停滞ないし下降するといったことが考えられる。4つ目は「自己への関心」である。思春期は自己の確立に向けて、自己の内面生活に関心が集中する時期であるため、一時的に他者への関心が薄れ、「人は人、自分は関係ない」といった形で他者と距離を置く傾向がある。この心理的な距離が、共感的態度の減少に導く可能性をはらんでいるとされる。

 また、出口・斎藤(1991)は、青年期における共感性尺度の主要な構成因子として、@他者の感情を推測する因子、A不快感情に対する共感因子、B架空の他者に共感する因子の3つを見出し、@とBは加齢とともに増加するが、Aは逆に減少することが明らかにしている。このことは、共感性が単一なものではなく、いくつかの次元からなり、それぞれの次元によって発達的な経過が異なることを示唆している。

 青年期においては共感性そのものがより複雑となるため、共感性を構成している次元を明確にして、各次元を測定する尺度を作成し、次元の間の関係の変化として発達を検討していくことが青年期の共感性の発達についての理解を進める上で重要である(斎藤,1998)。

青年期以降の共感性の発達を研究したものは少ないようである。しかし、親になることで子どもの多様な個人差を受け入れるようになり、共感性が高まるという指摘もある。また、仕事を引退した老年期の人々が、ボランティア活動に積極的に活動しているという報告もされている(澤田,1995)。したがって、これらの時期に共感性がどのように変化していくのかは大変興味深い。また、成人期や老年期の共感能力というのは、次世代の共感能力を発達させることにも大きく関わってくると思われるため、今後、青年期以降の共感性の発達における研究が積極的に行われることが望まれる。




第3章 共感性の発達を促す条件



第1節 母子間の安定した愛着関係



 人格の基礎がつくられる乳児期に、乳児期の発達課題である「基本的信頼」を達成することが後の対人関係に大きな影響を与えるとされている。この「基本的信頼」は、子どもの働きかけに対して母親が敏感かつ共感的に応答する(子どもが笑えば喜び、子どもが泣けばすぐに飛んで来る)ことで獲得される(中川,1999)。このようにして、母子の間に愛着として知られる、情緒的な結びつきが形成される。安定した愛着関係が形成された子どもは、自己の苦しみに対して敏感な一貫性のある養育を受ける結果、彼自身の感情的要求が満たされるため、他者の苦しみに対して感情的に敏感に共感的に応答する能力の素地が形成されていることになる(澤田,1995)。


第2節 親の共感性


 共感性の高い親は共感性の高い子供を持つことは多くの研究で確かめられている。渡 辺・瀧口(1986)は、母親の共感性と幼児の共感性の関係を検討した結果、共感性の高い母親を持つ幼児のほうが、共感性の低い母親を持つ幼児よりも共感性が高いことを明らかにしている。また、母親の共感性に、「感情的暖かさ」「感情的冷淡さ」「感情的被影響性」の3つの因子を見出し、そのうち「感情的暖かさ」が幼児の共感に大きな影響を及ぼしていることを示唆している。このことからも、母親の安定した愛情が幼児期にいかに大切なものであるかということが伺われる。

 また、親の共感性が子どもの共感発達に影響する理由として澤田(1995)は、他者の行動を観察することを通して学習する「モデリング」をあげている。共感的な親の行動が子どもにとって共感モデルとなり、それを子供が模倣することによって、共感的な応答行動を身につけていくのである。つまり、子供の苦しみに対して共感的心配でもって応答し、そのような感情を表出する親は、他者の苦しみに共感的に応答するように教えていることになる。これらのことは、親子関係だけではなく夫婦関係にも同様のことがいえると考えられる。上玉(1997)は夫婦でお互いのありようを尊重し敬愛し、それをその人なりの表現で伝え合い、相手のその表現を率直に喜びとして受けとめあう関係というのは、子どもに間接的ではあるものの、人が人を大切にすること・共に良い気持ちを味わうことの喜びや楽しみを教えることにつながるであろうと述べている。


第3節 親の養育態度


 共感能力が生得的なものである可能性が示唆される一方で、生後の経験や学習で共感能力が発達していくといった側面も指摘されている。このことは言いかえると、共感が社会化されていくことを意味しており、その社会化のエージェントとして中心人物は親ということになる(澤田,1995)。したがって、子どもの共感発達を促すには親の養育態度やしつけが重要となってくる。では、どのような親の養育態度が子供の共感発達を促すのに適切であるのかいくつかの論考をとりあげてみることにする。

@ 多様な感情を経験させる。
Hoffmanは、子ども自身がいろいろなタイプおよび強さの感情を経験していくような親の励ましや関わり方が、子どもの共感能力を増大させることを指摘している。多様な感情を幅広く経験していれば、当然、他者の感情に対する識別力、ないし感受性を増すことが期待される。親によっては、否定的な感情(悲しみ,恐れなど)から子どもを保護しようと試みるものがいるが、このような試みは子どもの感情経験を狭め、他者の多様な感情への感受性という点ではマイナス要因になると思われる(澤田,1995)。

A 他者の感情に注意させる「しつけ」をする。
子どもが他者を傷つけるなど、他者の苦しみの原因であることが明白な場合、他者がいかに苦しんでいるのか、嫌な思いをしているのかといった他者の感じ方に注意を向けさせるしつけが重要となってくる。このようなしつけは「誘導的しつけ」と呼ばれており、1.他者が感情を持つこと 2.他者の感情に注意を払うことは重要であること 3.自分の行動が相手の感情に影響すること、を学習させる機会になると考えられている。この「しつけ」は相手の立場になって相手のものの見かた、考え方、感じ方を推測してみる「役割取得」に発展させていくことにつながる。また、意図的なしつけの形をとらないまでも、日常のさりげない形で行われている家族の会話の中での他者の感情への言及が、他者の感情に対する気づきを促すということも考えられる(澤田,1995)。 

B 仲間との社会的経験を豊富にさせる。
仲間との社会的経験を豊富にさせる事によって、@、Aで述べたような多様な感情を経験することと、他者が自分とは異なった感情を持つことに気づくことにつながっていくことが考えられる。中川(1999)は、仲間と遊ぶ機会が、子どもが自分を客観的に見つめたり、他人の気持ちに共感する訓練の場となることを指摘したうえで、幼児期に思いやりの心を育てるために仲間と一緒に遊ばせることを進めている。また、中村ら(1998)は、子どもの共感性の発達にとって親の養育態度や学歴志向性が何らかの影響を及ぼすかどうかを検討し、母親が強い学歴志向で、干渉的指示的養育態度の場合、男の子どもの共感性は育ちにくい環境であることを指摘している。これは、母親が強い学歴志向をもち干渉的指示的養育態度であったと認知している者ほど、共感性の下位概念である共有経験が少なく、共有不全経験が多いという結果から考えられたものである。つまり、仲間との共有経験が少ないということは、個別性の認識はできているものの、そのことがむしろ対人関係に隔たりが形成され、容易に他者理解ができないと感じる状態につながっていき、こうした状態にある者の共感性は高くはないということで ある。これらのことから、親の子どもを他者と接する機会を減少させるような養育態度は、子どもの孤立化を促進し、友人との共有経験を少なくさせるだけではなく、自分とは異なる他者への感情に鈍感にならせてしまう危険性があると考えられる。

C親の受容的態度
子どもは親から無条件に尊重され、すべての感情や考えの表出を受け入れられることにより、自分自身を愛することができるものとして知覚する。しかし、子どもの感情を受容することと、子どもの行為を全て許容することは分けて考える必要がある。大人から見て望ましくない行為をした場合、その行為を許容することは難しい。しかし、それらの行為にも子どもの自己主張が含まれていることが多い。したがって、子どもの感情は受容したうえで、不適切な行為に対してどのような行為が適切であるかを伝えることが大切となる。このような応答によって、子どもは自分が愛されており、正当に認められているという感覚を得ることができるのである(澤田,1995)。また、上玉(1997)は共感性を育てる親子関係として、幼児期に生活の自立をさせる必要性をあげている。食事や排泄、睡眠等の基本的生活を行っていくための能力が獲得されねばならないので、この時期には親子関係のあり方に大きな変化がでてくる。「かわいがる」という行動以外に「しつける」こともしなければならない。そして、その際にも受容的な態度が重要となってくると思われる。中川(1999)は、子どもの生活の自立には、 失敗が必ず伴ってくるが、その際、叱るばかりではなく、子どもが成功した時に一緒に喜び、失敗した時には慰め、彼らの努力に対しては、誉め、励ますような受容的な態度が望ましいと述べている。

 このような親の受容的な態度が子どもの共感発達を促すということには、直接言及されているわけではない。しかし、子どもは感情表出を親から受容されることで、愛着関係が形成され、混乱した感情が明確化されたりする。 このような過程の中で、他者への感受性を高め、自己の感情を豊かに経験することによって、共感発達の基礎を培っているとも考えられる(澤田,1995)。


第4節 学校における共感的指導

 
共感性の発達を促す条件として、主に親子関係に注目した研究が多いようである。確かに、共感性を発達させていく基礎になるものは親子関係にあるように思われる。しかし、学校教育などといった社会生活が共感性に与える影響も見逃せないのではないだろうか。首藤(1994)は、思いやり行動の発達を支えるものとして、2名以上のものが共通の目標を目指して協力し合う関係、もしくはそこで行われる活動である「協同」をとりあげ、これが学校教育および社会教育の課程の中に積極的に取り入れられることを進めている。協同の過程では、互いが自己の要求を相手の要求と調整する事が必要となり、それ自体が思いやり行動の性質を有している。また、協同の中では、目標達成に伴う達成感や満足感を互いに自己の感情として経験し表出する段階から、互いに他者の感情への共感として経験する段階へと発展する。このような共感体験により、自己と他者の関係が強まり、様々な点で自己とは異なった他者を価値ある存在として認識する態度が形成されるのである。 

 最近では、校則を破る生徒に理由も聞かずに罰を与えるといったことが多々あるようである。子どもの共感を育てていくには、まず先生達の共感的理解が必要となってくるのではないだろうか。 



 

第4章 共感的コミュニケーションが対人関係に及ぼす影響



 共感的コミュニケーションが対人関係に影響を与えることは多くの研究者によって指摘されている。では、どのような影響を与えているのかという点において、代表的なものとして次の3つを取り上げてみることにする。

@ 相互の情動的な絆が形成される。
19世紀にダーウィンは、共感の非言語的な表出が相手への伝達機能を持ち、共感の表出を知覚した側の苦しみは低減され、喜びは増大し、その結果として相互の良い感情が強められると指摘している(澤田,1995)。

A 向社会的行動を媒介する重要な要因となる。
親切や援助、ボランティア活動といった、「外的な報酬を期待することなしに、他者を助けようとしたり、他者のためになるようなことをする行為」を向社会的行動という。菊地(1983)は向社会的行動の生起は状況の認知(気づき)から始まり、意思決定、実際の行動というプロセスを仮定している。そして、「気づき」と意思決定とを媒介する要因として、向社会的判断と共感性、役割取得能力をあげている。相手が困っていることを知る(認知)だけでは必ずしも相手を助けようとする気持ちにはならないかもしれないが、その苦しみを共有する(情動の共有)ことは向社会的行動をとらせる動機となる。また、この場合の共感性を、1.相手の情動の状態を弁別しそれに命名する認知能力 2.役割取得能力 3.情動的な反応性 と3つの側面に区別している。しかし、共感性の水準の高いものが実際に向社会的行動をより頻繁に行うとは簡単に言えない。向社会的行動の基本的な発達の方向は共感性の発達によって理解されるが、その者の置かれた状況などといった状況的要因が、実際の向社会的行動に大きく影響していることを指摘している。

B 対人関係を円滑にする。
他人に共感するということは、相手の視点に立つことができるということである。したがて、共感性の高い者は、相手の気持ちを考え、相手を思いやる能力も高いと思われる。このような共感に基づいた思いやり行動は、視点の異なる様々な人々と関わるための協調的な行動スキルの学習を促すことができ、また、より良好で安定的な対人関係を築くことができる。実際、思いやり行動ををよく示す子どもは人気があり、仲間からも高い頻度で思いやり行動を受けることが観察されている(首藤,1994)。

 また、上玉(1997)は子どもの遊びという対人関係の場面において、次のことを述べている。子どもたちが友達と楽しく遊びを発展させていくためには、お互いの遊びイメージに共感しあい、遊びの場面を共有することが重要である。これらのことができる子は、友達の考えを考慮したうえで、自分の考えを提案したり主張することができ、自分や友達の役割を作り出すといったこともするので、いきいきと遊んでいるだけではなく友達の輪を広げるのが上手である。また、こういったことは、子どもに限らず大人においても同じことがいえることと考えられる。

第5章 カウンセリング場面における共感



第1節 カウンセリングにおける共感の概念


 ロジャーズ(1957)は、彼の主張するクライエント中心療法の中で、人格の建設的変化にを生じさせるためのセラピストの3つの態度的特徴、すなわち@共感的理解、A無条件の肯定的尊重、B純粋性(自己一致)をあげている(澤田,1998)。そして、ここでいう共感的概念として、クライエントの内的世界をあたかも自分自身のものであるかのように、しかしあくまで「であるかのように」という性質を失わないように理解し、感じるセラピストの体験過程を強調している。この「であるかのように」という性質とは、相手の心情が自分自身の心持ちであるように感じながら、同時に相手と自分の区別がついていることである。共感的理解というのは、相手と同じ体験をすることに意味があると思われがちであるが、むしろ大事なのは自分自身の体験をより深めることであり、同じ体験をするというよりも、クライエントから投げかけられた言葉をどれだけ深く体験し、その体験を通して相手を理解するかが重要となってくる(三浦,1994)。

 角田(1998)は共感の成立において、「治療者が自分に生じた感情体験をとらえなおすこと」を主張している。クライエントからの語りに耳を傾ける際、相手の気持ちが感じることの出来ない自我違和的な体験をする場合がある。このような体験が生じた場合、治療者は虚脱感、焦燥感、注意力の低下や眠気といったものを感じる。このような体験は日常で考えると共感とは関係のないことであるが、治療場面においては重要な意味を持つ。治療者は、この自我違和的な経験を「その場に居あわせるる観察者」という立場にたち、自分の感情体験を「とらえなおす」ことがまず求められる。共感体験を感じるということは、治療者が自分自身の体験をいかに認識するかにかかっている。つまり、クライエントの内面に注意を向けると同時に治療者が内省によって自分の内面に対する感受性を広げていくことが、クライエントに共感する範囲の広がりに並行していくのである。


第2節 カウンセリングにおける共感の過程


 カウンセリングには共感の過程をいくつかの段階をもつサイクルとしてとらえる見解があり、バレット‐レナ−ド(1981)は次のような共感の5段階サイクルを呈示している(澤田,1998)。@共感する側が共感される側に注目する。A共感する側が相手に共鳴し、相手の経験について知る(共感的共鳴)。B共感する側が相手にその気づきを知らせる(表出された共感)。C相手は自分が理解されているという意識を持つ(受け取られた共感)。D相手は共感する側にフィードバックを与えつつ、表現を続けていく―サイクルはAに戻る。
 角田(1998)は、カウンセリングではクライエントは何を感じているのか、また、何を感じないようにしているのかを治療者が理解する必要性を述べ、その理解は治療者とクライエントが共に行う共同作業であると指摘している。治療者の共感は、クライエントによって共有される必要があり、ここでは循環するイメ−ジが当てはまるだろうと述べている。


第3節 心理療法における共感の意義と効果


 心理療法において治療は、「クライエントが達成する比較的永続的な適応的変化」と定義されている。そして、永続的な適応的変化の内容として、人格構造の変化、自我の強さの増大、自我防衛の減少などが挙げられている。この適応的変化を促す要因として「解釈と洞察」・「クライエントとセラピストの関係性」があげられる(澤田,1998)。

@ 解釈と洞察
 伝統的な精神分析理論において治療は、クライエントに自分の症状、感情、あるいは行動パターンの源になっているものについての洞察を徐々に獲得させる事を目標としている。そして、洞察は適切な時期に効果的に呈示された解釈の産物であるということになる。そして、セラピストの共感の過程によって、他者の内的世界に近づくことができ、クライエントの内面の正確な解釈が可能であると考えられた。また、クライエントの混乱した感情経験に対して、セラピストが共感しそれを伝えることによって、クライエントは自身の感情を整理し明確化することができ、自己洞察を進めていくことが可能になるのである。伝統的な精神分析学者の見解において、セラピストの主な役割は繰り返し解釈する事であり、特にクライエントの無意識のパターンと、それを認知することへの彼への抵抗を繰り返し指摘することである。共感はこのような解釈と抵抗の指摘において重要な役割を果たしていると考えられる。

A 関係性
 コフートをはじめとする自己心理学者たちは、クライエントが子ども時代に受け取るのに失敗した周囲からの理解や共感を与えるような良い関係性を経験させることがセラピーに有効であると主張する。これは、クライエントに生じている症状や問題は、彼の子ども時代ににおける共感的理解の欠如が原因であることが多いと考えられているためである。彼らの見解によると、解釈が有効なのは単にクライエントがそれによって自分について何か新しいことを学習するからではなく、子ども時代に欠如していた自分が理解されているという感情をよりいっそう経験するからである。したがって、解釈の正確さよりも、解釈がそのような感情を促す程度のほうが重要視されるのである。この場合の共感的理解とは、クライエントの内的状態を知ることに向けての態度を意味している。

 共感の過程は解釈においては、クライエントの内的状態を共感を通して内的に経験することを意味しているのに対し、関係性要因においては、クライエントが自分が理解されているとい感じさせるための共感の伝え方、温かさ、受容性、相手への尊重といった態度的なものを含みこんだ過程を意味している。

 カウンセリングに対する共感の効果については、1960年代から1970年代はじめにかけて、トラックスを中心とする研究者がセラピストの共感と治療の成果との間の有意な関連性を見出してきた。しかし、1970年代になると共感や治療成果の測定に関する問題が指摘され始め、共感の効果について疑問が投げかけられる研究が現れはじめた。そして、1970年代後半から、1980年代にかけて、どのような心理療法において、どのようなタイプのクライエントに対して、セラピストの高い共感がどのような成果をもたらすかという差異識別的な研究に移行した。そして、カウンセラーはどのようなタイプの共感が、どのような目標、段階、クライエントに対して有効であるかわきまえておくことが必要であるとされている(澤田,1998)。



  

第6章 まとめと全体的考察



 共感性の発達において、感情的な共感は生得的に備わっていることが示唆されており、認知的な共感は年齢とともに発達し、親の養育態度なども影響しながら発達していくことがわかった。また、共感性は成長していくにつれて、質はより高度なものとなり、いくつかの次元から成る複雑なものへと変化していくようである。今後は青年期の共感性を正確にはかるための尺度を作成することが望まれる。また、幼児期に獲得された共感性がその後の共感性に連続的に結びつくかという点においては疑問が残る。次に、共感性の発達要因については、複数の要因が絡み合っていることがわかったが、最も重要なことは、周りからの、特に親からの共感的な対応にあるように思われる。共感的応対自体がモデルになるという意味においても重要だが、他人へ共感するが能力の素地を形成するという意味において大変重要となってくると思われる。他人へ共感するには、まず誰かから愛され、共感されているという認識が必要なのである。このことは、乳児期に限らず、どの時期においても共通して言えることである。そして、このように形成されてきた共感性は対人関係を形成していく上で欠かせないものとなる。 人との関係の中で生きていく人間にとって、他者の視点に立って他人を思いやるといった共感的応対が他人とのよい関係を築く基礎となるのではないだろうか。

 また、このような共感的応対は日常場面だけではなく心理療法の場面においても重要とされている。また心理療法における共感とは、クライエントの混乱した感情を明確に解釈し、クライエントが自己洞察を獲得するという点と、クライエントが幼少時代に経験できなかった共感的理解から成る関係をセラピストとの間につくりだすといった点において意義がある考えられる。そして、ここでの共感はクライエントとセラピストの共同作業であるということと、セラピストはクライエントに対して、常に観察するという立場でなければならないことが、日常場面における共感性と異なる点ではないだろうか。

 共感性といってもその意味は大変広いことが分かった。しかし、共感的応対がその人の人格形成にまで影響していることは事実である。したがって、今後、共感性もたらす効果についての研究が積極的に行われることが期待される。




引用文献



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澤田瑞也 1998「カウンセリングと共感」世界思想社

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