《トンドの極貧状況、長野の自然、そして三国誌の地での感想》
1) Tondo(東都)の Happyland(Ulingan)、Baseco,Dumpsite(Payatas)in Manila
and Quezon City(former capital,1948〜1976) ,Philippines
フィリピンのマニラでの国際フォーラムで発表をすることになり、以前から国際人権授業で視聴覚資料を用いて扱ってきたアジア最大のスラム街(貧民村)といわれる「トンド」やPayatas のDumpsite(ゴミの最終捨て場、埋立地)に行ってその実態を目で確認して来ました。劣悪な環境は予想以上にひどく、決して抜け出せない繰り返される貧困の構造に憤りさえ覚えました。
現地訪問の写真などは以下の新聞の連載記事で確認ができます。写真だけでも「極貧」とは何かをご覧いただけると思います。そして、我々の隣人でもある在日・在韓フィリピン人がなぜこんなに多く、国を離れて暮らしているのか。このTondo地域の水道も電気も、学校も病院もまともにない世界で、一日死ぬほど働いても200円そこそこの稼ぎで一家の生計を賄う彼らに一体何が出きるだろうか、教育の機会も、技術も何も身につける環境も用意できていないトンドのウリンガンの彼らをどのようにしたら人間らしい環境での生活が可能になるのか。真摯に考えてみる一つの素材になれば幸いです。
『Seoul Moonhwa Today』2012年7月5日〜7月11日
@http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14766
Ahttp://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14782
Bhttp://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14823
Chttp://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14841
『世界韓人新聞』(在外韓国人向け新聞)2012年7月4日〜7月6日
@http://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2844
Ahttp://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2847
Bhttp://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2852
同じマニラの地で最低の暮らしをしている隣人を見てみぬふりをする権力者や金持ちがどれほどいるだろう。なぜ、5大財閥や絶対権力を味わってきた特定の名家(金と権力の歴史を享有してきたのが名家といえるかどうかは各自の判断に任せる)は、溢れる富の蓄積・贅の極まりの一部を社会還元したり、持たない人々との配分にはまったく興味がないだろうか。
誰もが死ぬ。その際は何も持っていけない俗な物にしがみ付き、醜い権力の貪欲と腐敗に浸り、極貧と餓えに苦しむ人々をないがしろにする人々の世界、フィリピン。裸で生まれ、一時の夢を見させてもらう「人生」を充実に営み、自分がこの世で使う分としてあまったり節約できる分は社会に還元し、持たない人・助かる人に手を差し伸べ、分け合う意識が少しでも自発的に行われる社会になるなら、このようなスラム街は存在しなくなるだろう。いつになったら彼らに福祉と環境が整い、差別と暴力と腐敗権力者がない、天恵の自然資源をみんなが享受できる時代が来るのだろうか。
(捨てられたゴミを拾って炭を作って生計を立てるトンドのウリンガン村の環境。2012年6月24日現在)
いくら働いても貧困という渦の中で、まっとうな経済的配分を期待することは出来ない現状。宗教という精神的支えさえなかったなら彼らは絶望的で悲惨な毎日にどれほど苦しむだろうと考えると、この国の素朴で純粋な人々のおとなしさを改めて感じました。呼吸もままならなかったトンドの街やケソン市のダンプサイトを歩き、会議場であった最高級のホテルの過消費電力を自慢するかのような冷房によって身体がやられた時、この矛盾こそがマニラの現実だと思い、やるせない気持ちでいっぱい。
人懐こく、乞食行為をしない無欲の子どもたちの笑顔と、その身体の至るところに残されていたゴミの破片の傷に、自分に何ができるかを考えた時間にもなりました。東京に戻っては旧知の医者たちに何とかしようと声をかけたものの、絶望的なあの子どもたちを救うためにはその環境を早急に何とかしなければならないと焦りを感じています。
(腐敗物や廃油等で汚れた海水で泳いで来た子どもたち。右は廃材やゴミから金になるものを漁る子どもたち)
基本的生活の安全と保障ができるプロセスを如何に確保すべきか。
何よりもまずはあの危険なゴミの廃材が散乱する村を裸足で歩く子どもには靴と水と食事が必要。「頑張ればあの沼底を抜け出することができるという希望」を持たせる実用的支援と多様な応援が必要。同情よりも、現実的に手を差し伸べることが必要だと思いました。そして、生涯を人間らしく生きられるためにも、各種技術のスキルを体得できる教育的インフラ(カリキュラムも含む)の開発と提供。それらの教育を受けられる環境保障とその間の経済的支援を政府規模で行うこと。「貧益貧、富益富」の構造にメスを入れ、一定の利益を生み出す企業らの税金対策(良心的社会還元が出来ればなおよいが)の一環としての教育・技術習得施設の環境整備への投資、雇用創出のための施設設置(そのための技術教育が必要)、基本的労働環境が整った工場などの誘致による社会経済の制度が行政的に軌道に乗れば、誠実に働く彼らの生活環境の向上も期待できると思います。
共に生きる国際化社会が進む中、我々はもっと「生き甲斐」のある「生き様」によって「生きる」意味をより意義あることにするためにも、子どもたちの明るい未来のためにも、観光と消費だけの旅行ではなく、トンドのような場所で生き抜こうとする人々に手を差し伸べられる余裕を持つのは大変価値のある生き方に繋がるでしょう。分け合うことで生まれる心の充実さは、金の使い方がわからない貧しい心の金持ちよりもはるかに豊かな生き方になると確信します。
私は教師としての自分にできることが何かを今、真剣に模索し続けています。それぞれの立場からできることを実践すること。そして、少しでも多くの子どもたちの笑顔を守れるなら、我々の社会は明るい未来に向かうと思います。自分にできること、まずは現地を見て来た責任としての報告と、教育に携わる人間としての今後の役割について考えて、良い形でトンドの子らに再会できるような機会を作りたいと考えるこの頃です。(7月6日)
2)鬱蒼とした森の中の素敵なキャンパスが自慢の本学と、北門の向かい側にある名物うどん屋【光月庵】のご夫妻を韓国に紹介しました。緑豊かな本学で魂が癒されるなら、食べ物は学食やダラッパンもあるけど、このご夫妻のうどん屋も素敵。いつまでもお二人が長生きでいらっしゃいますように。(お店は2013年を以って廃業となりました。とても残念!!!)
『Seoul Moonhwa Today』 2012年6月18日付
http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14436
『世界韓人新聞』2012年6月11日付
http://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2804
3)癒しの地・長野(My favorite place,Nagano)
1986年の夏に癒しの地・長野の梓川と安曇野に魅せられて以来、機会を作ってはよく長野に出向いたりしています。ゼミでも旅行でも毎年のように行っているので、今もゼミ生からはゼミ旅行に行こうと先にいわれるほど。
京都時代は岐阜高山から、東京では高速で松本から入ります。約300キロほど走ると、そこは別世界。沢渡から乗り換え。日本の中でももっとも美しいと思う場所です。特に上高地は大好き。
先日、旧知がソウルから見えたので彼女と新緑溢れる大自然の上高地や善光寺、そして、松代象山地下壕に行ってきました。梓川や雪山の穂高連峰、白骨温泉(お湯は最高。でも、上高地からの道は工事中。乗鞍高原を通って冒険をしてきました)で旧知は嘆声。輝かしい新緑と自然の美しさ。感性を持つ人間として生まれてよかったと思える瞬間(もちろん、、白馬や秋田の田沢湖や北海道から沖縄まで素晴らしいところは多々ありますが、この時期の長野は格別に美しいです。)。
善光寺のおやきも人間味があって最高。松代は複雑だけど、やはり戦争は絶対、如何なる状況であっても決してあってはならないことを再確認できた惨めで悲しい場所。隣のお寺の藤の花は見事で、平和に感謝でした。ボランティアの平和ガイドさんの方々にも多謝です。ぜひ皆さんも魅力溢れる、澄んだ空気の長野に足を運んでみてください。日本の素敵な魅力が再発見できるはずです。その紀行文は以下に。写真だけでも癒しになります。
『Seoul Moonwha Today』(Healingの地・長野で韓国の跡を感じる。5回目は研究室の写真まで)
@ http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14234
A http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14239
B http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14261
C http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14262
Dhttp://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14278
『世界韓人新聞』(釜トンネル、上高地、、善光寺、松代までコンパクトに)
@http://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2775
Ahttp://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2778
Bhttp://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2782
4)『三国志』の地・中国の中原で‘桃源の誓い’を思う!!
2月中旬から中国・中原の地で諸葛孔明や屈源の生き様と知恵を改めて考え、『三国志』の史跡や多くの文学者・思想家らに出遭い、様々な辛亥革命の地で貴重な資料を確認して来ました。廬山の美廬(蒋介石や毛沢東ゆかりの)山荘周辺(西洋人の別荘地として開発された)や秀峰瀑布(李白が詩を書いた山。険しく、サバイバルの冒険)も含めて、武漢・武昌から赤壁の地などの江西・湖南・湖北地方を経て、長沙までの実に長い歴史の地を見て、重要人物に関する一次資料などが確認できたのは嬉しい限りでした。
(辛亥革命の地・武漢の武昌を黄鶴楼で見下ろす) (湖南省韶山の毛沢東の生家で)
毛沢東の生家では思わぬ出来事も。いずれ論文や授業内容として皆さんにも報告しましょう。なお、この紀行の詳細は『Seoul Moonhwa Today』『世界韓人新聞』(以下のサイト参照)に8回シリーズで連載されました。
一緒に同行し、激励や暖かい配慮を下さった多くの方々に改めて感謝します。謝謝!!(1204)
@ http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13644
A http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13645
B http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13659
C http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13660
D http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13678
E http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13679
F http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13700
G http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13701
▼自分の好き勝手に解釈し、自己中心的に武装している「ツゴー(都合)イスト」の蔓延を危惧する
時代は果たしてどこに向かっているのか?
最近、ネット通信の発達とともに有効な情報も多くなった反面、好き勝手に編集され、それが真実かのように一部だけを取り上げている「ツゴウイスト」が多すぎる。そして、良識・教養を身につける立場でもそれらの実体を確認もせず、事実かのように受け止めてしまう。これが持続すると・・・さて、どうなるか?
自分らと同じく考える人がいることを理解しない、リアリティのなさにはびっくりする。最初から反対論で構えたら真実を受け止める余地がなくなってしまう。好戦的発想をなくすことは人間の知恵を培うことでコントロールできるはずだ。しかし、本能制御には人道的良心と知識と事実確認への勇気が必要となってくる。世界を視野にいれることの必要性。それこそグローバル社会への認識。我々が考えるべきところは目先ではなく、しっかりした基盤の平和社会を構築し、後世に残すことである。今の風潮は何をもたらすだろうか。無責任でむやみに自分らを主張ばかりしている「ツゴウイスト」にうんざりする昨今。(201405、久々の雑感)
2010年夏、田内千鶴子が愛した韓国の地と子どもたちを感じるために現地に赴きました。そして、彼女の献身的愛について再確認して来ました。ヒューマニズムと責任の彼女の実践的生涯こそ、共に生きる社会への道しるべではないかと強く思った次第です。
(2010.07、木浦共生園で鄭園長の説明を受ける筆者)
愛された人だからこそその愛を無償に分け与えることが出来たのでしょう。
国境を越えた子育てに献身したその生涯を、私は教壇でもっと広く知らせて行こうと思います。
▼師に恵まれて
ご静養中でいらっしゃる西川長夫先生から出たばかりの大きな著書がおくられてきた。
『植民地主義の時代を生きて』(平凡社、2013年5月発行)。619頁の重みはまさに先生の労力の賜物であり、ちょっとした仕事でも弱音を吐いてしまう昨今の筆者の怠慢を叱責するかのような、79歳の先生が実践的に見せて下さった‘静かなる教育愛’でもある。
西川先生に初めてお会いしたのは院生時代で、国際関係論における「国境の越え方」の理論に戸惑う自分にその解き方をご教示下さり、多文化や共生社会を念頭に入れたフランスの国民国家論と植民地主義批判に関する授業であった。それ以来、筆者にとって先生の影響は大きく響いている。早く完治され、この不安なグロバール時代の乗り越え方を続けてご教示下さることを切に願うのである。
考えてみると、私は研究者としての険しい道のりを支えて下さった多くの師に恵まれた環境であった。地球環境論や科学的なものの考え方と平和学への導きを教えて下さる安斎育郎先生(ちなみに、安斎平和学はASAPの研究所のサイトから確認できる。ある方々は安斎先生は真の天才学者だと評価していますが、弟子たちにとっては揺らぎのない信念で生きる術を教えて下さる、逞しく、繊細な恩師でもあります。)に出遭ったのは大きな幸せである。
さらに、院生時代に挫折した自分に、研究者の道を続けられるように激励下さった中川勝雄・順子先生ご夫妻のご恩を忘れることはできない。愚直に生きる信念で研究者への道を貫くように励まして下さった中川先生ご夫妻をはじめ、池内靖子先生、世界的目線から平和学の実践と構造的暴力を解いて下さったJohan Galtung先生などによって世界を見る視座がずいぶんと変わった。
博士論文に悩んでた時に、今は亡き加藤周一先生からフランス文学運動についての手解きを頂き(先生からはフランス語の激励の手紙を頂き、独学で仏文作品に挑んだ無茶もしたものだ)、加藤先生のご紹介で渡辺一民先生のご指導を頂けたことは大きかった。さらに、未熟さ故の私のクラルテ論にA.グラムシとバルビュスについて教えて下さったM.H先生や研究者への道を引っ張って下さったG.M先生、そして今の私を支えて下さるT.S夫妻にも深く感謝するのみである。
さらに、日韓近代文学に関してだけではなく、個人的に大切にしていた資料などを譲って下さり、筆者の博論を応援して下さった故・小田切秀雄先生や、「ビジネスで絶対成功できるぞ〜」と元気付けるように、日本の社会労働運動や近代経済事情を教えて下さった故・塩田庄兵衛先生、在日研究のため必要だった貴重な文献と激励を手紙で励まして下さった故・祖父江昭二先生や故・鄭早苗先生、『三千里』全巻などで応援を頂いた故・李進煕先生(呉文子先生のご配慮に多謝です)、ロマン・ローランと平和思想で激励下さった故・尾埜善司弁護士、『種蒔く人』研究で応援を下さった故・近江谷左馬之介先生と桐山清井先生など、多くの方々をも失ってきた。
しかし、今だに研究者としての丁寧な仕事や現場主義を見せて下さる近代言論史の鄭晋錫先生や大村益夫先生(詩人・尹東柱の墓を探し、日韓文学関係に多大な功績を残す方)、日本近代史関係でご教示下さる宮地正人先生、本人も闘病中でありながら姉のように心配して下さり、作品活動を続ける詩人・李海仁修女、88歳でも現役で作品を書き続ける文壇の歴史でいらっしゃる金石範先生などを初め、ある意味で生涯を研究にかけたかのような「モンスター」のような先輩や同僚(特に山口のバカセトリオの刺激は大きい)・後輩などなどなどなど、ここには全部紹介できない多くの研究者たちに出会ってきたのは幸いだったが、時間に追われっぱなしの自分が時々情けなくなって仕方がない。
今になっては自分に見合った道を歩むほかないのだが、こういった出会いの中で培ってきた研究者としての姿勢は「丁寧かつ地道な仕事」と「生涯現役で成長し続ける」ことへの願望のみである。24時間は限られており、やっていかねばならない仕事は山積である。しかし、地道だが、誠実な研究を通して自分と関わる人々、特に受講生らに仕事の内容を丁寧に伝えていけるように頑張ること。それが自分の役割だと改めて考えてみる。未来志向的批判精神は持つものの、歪みすぎて排他的ないし独善的主張にならないように、自分を保つこと。簡単ではないが、周辺に振り回されない構え方。この時代にここにいる意味や、明日のために自分がやるべきこと、できることへの追求。
時間の確保はそう容易ではないが、マラソンのために癒しを確保しつつ、幅広い知識の吸収で良質の教育を心がけるためにも、有効な時間の使い方に尽力しなければ。
(130605. B.Russellやニーチェの本と、届いた西川先生の本を眺めながら反省中の凡才)
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〔惜別〕・・・この間の記憶の時間・・・
*私の院生時代から学問的にご指導頂いた渡辺一民先生が2013年12月21日に永眠となりました。渡辺先生にお会いできたのは故・加藤周一先生からの紹介によるものでした。以後、フランスのクラルテ国際文化運動を研究していた私に最も良い理解者のお一人として、博士論文の執筆やその審査委員、その後も様々な激励を頂いたのですが、残念ながら先生に二度と会うことが出来ません。胸が苦しみます。
関東の渡辺一民先生、関西の西川長夫先生、仏文学における大きな方々が亡くなられ、個人的にも1995年の「仏・日・韓クラルテ国際シンポジウム」以来、ずっと研究者への道を支えて下さったお二人を失い、父も去った2013年の冬がとても残酷に思えてなりません。尊敬する渡辺先生、そして西川先生、どうか安らかにお眠り下さいませ。本当にありがとうございました。
*2013年末に父と、恩師の一人でいらっしゃる西川長夫先生が永眠となりました。後悔ばかりのお別れ。記憶が続く限り反省の時間になると思います。親は生きている間に親孝行をすべきだと強く思うこの頃。西川先生からは遺作となった『植民地主義の時代を生きて』(平凡社)とお葉書を頂きましたが、父と同じ時期に亡くなられました。胸が痛む毎日・・・それでも前向きに生きていかねば。(2014年新学期に)
*広開土王碑文研究で著名の李進煕先生が先日、おなくなりになりました。お連れ合い様の呉文子先生とは一緒に在日関連の共同研究中であったため、大変な状況の下で研究に携わって下さったことに感謝するのみです。李進煕先生とは2年前の大使館主催のパーティーで出会ったのが最後になってしまいましたが、故人のご冥福をお祈りいたします。学務などが重なってしまい、本日のお通夜にもお伺いできず、呉先生には申し訳ありません。(2012.04.18)
*弁護士としてだけではなく、文学や音楽にも幅広い知識をお持ちであった尾埜善司先生から毎年「ONO ZENJI CALENDAR」が届くことで、あ〜、また一年が始まるのかと気づく昨今でしたが、2010年夏からはイギリスで研究専念期間を過ごしていたため、カレンダーを遅く拝見。年明けに飾ろうと思ってカレンダーをめぐってびっくり。2010年12月15日に79歳で永眠なさったのです。
先生とは1996年、私らが企画に携わった京都立命館大学での仏日韓クラルテ国際シンポの際にロマンローランとアンリ・バルビュスについてお話を頂いたのを契機に、機会ある時に連絡し合っておりました。また、大阪弁護士会の会長の経歴もお持ちで、何度も法的知識を頂いたこともあります。
あの明るい尾埜先生の笑顔や、素敵な作品を拝見できなくなったのは残念でなりません。遅くなって申し訳ないですが、先生のご冥福をお祈り申し上げます。尾埜先生、これまでありがとうございました。
*一緒に共同研究中だった朝鮮史の鄭早苗先生(当時、大谷大学教授)が2010年2月4日、永眠されました。生涯を韓半島の歴史研究と在日コリアンの社会的位置づけ、人権問題に献身した一途な生き方でした。奈良教育大学での百済文化シンポジウムにに来られた時に見せたその笑顔を忘れることはできません。年末の依頼原稿を頂いたのが遺稿となってしまうとは。儚く、早すぎた、働きすぎたその死に心よりご冥福を祈るばかりです。(2010.02.05)
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▼韓国併合100年依頼記事
巷では最近、韓国の濁酒(どぶろく)の‘マッコリ’が健康酒として高い人気を得ている。もともと‘マッコリ’とは‘適当に濾過したもの’が語源だが、酒の色が白く濁っていて、濃くて素朴な味の酒である。韓国では農村での畑仕事の際に農夫たちがよく飲んで来たので、‘農酒’とも呼ばれる。地方ごとに独特な製造法を持つマッコリが存在しており、韓国では今やワインとともに人気が高い。中でも韓国の伝統マッコリ第一号に指定され、秘伝の作り方に固執し、一定の量しか発売しない釜山金井(Kumjung)山城マッコリが先日、韓国のS新聞社の文化大賞を受賞し、筆者も学術大会に参加したついでに取材に同行した。
その微妙な味を出す特殊な麹の作り方や、鼻の先がツーンとする麹の香りの良さの出し方、不純物を混ぜない良心的作り方と伝統を継ぐことを優先したとして高く評価された。だが、本来、この酒は近代史の中で消滅させられそうになったものである。金井山城マッコリ社が酒を造り始めたのは日本の植民地支配の時期であり、伝統的酒造りを禁止していた日本側の強い監視を避けて、釜山の険しい山々に包まれた東莱山城の山間の中で、密造酒を造り続けてきた歴史がある。そのため、表に出ることはほとんどなく、解放後にやっと陽の目を見ることになり、朴正熙政権の時に伝統マッコリ第1号として定められた経緯がある。今や植民地時代に製造を禁じられていたマッコリが健康と美容によい酒として金井山城マッコリの麹作りや製造法を求めて来る日本人が多くて対応が大変だと社長は言う。ちなみに筆者は一切酒が飲めない人間だが、この酒はうまかった。
韓国が植民地支配によって失いかけた多くの文化の中には、近年世界的遺産として再評価されているものが多い。その代表的な例が「ハングル」である。15世紀に作られた韓国朝鮮の独自の言語だが、日本の植民地統治期に朝鮮語使用や朝鮮史教育を禁止され、民衆の反発も高まった。1942年には朝鮮語学会事件によって多くの人が犠牲になるなど、いわゆる朝鮮文化の抹殺政策が行われるようになるが、人々にハングルに対する愛着を強めさせた契機となった。解放後は反日の動きやそれまでの暴圧に対する反動とともに、韓国では「ハングル」使用が重視されてきた。
そして、2007年のWIPO(世界知的財産権機構)で韓国語が国際公用語として183ヵ国の満場一致で採択され、今や第二外国語として習得中の人が世界で7,000万人を超えている規模になっている。さらに、2002年には日本の大学入試センター試験の外国語科目に加わり、2009年現在、日本の高校では約7,000人が学習中の言語である。また、母音と子音の組み合わせで成り立つ科学的構図で学習しやすい言語として評価され、インドネシアの少数民族であるチアチア族の公用表記語としても指定された。考えてみると、昨日まで使っていた言葉を禁止することは極めて残酷な言語文化の抹殺策である。突然日本が巨大な力の支配下におかれ、支配する国の言語のみが強いられ、それが出来ない多くの人が弾圧されることになったらどれほど辛いかを推察すると、当時の状況が理解できよう。
そう、2010年は日本によって韓国朝鮮が併合されて100年になる年である。東アジア全域には日本帝国主義の植民地統治や戦争の爪痕が残り、100年が過ぎても歴史総括が出来ない愚行のせいで、戦後、日本が行ってきた地球社会への貢献さえもまともに評価されず、超大国の陰になっているといっても過言ではない。 儒教思想による家や出身を重んじる歴史をないがしろにした創氏改名の強要、それまでの言葉や歴史を禁止する無茶な行為が続いていたら、2000年の歴史を通して培って来た人類の財産である多種多様な韓(朝鮮)半島の伝統や優れた文化が抹殺されたはずである。簡単に言えば、言語が消滅していたら、軍国主義によって傷ついた多くの人々を支えてくれた珠玉のような文学作品の誕生や音楽はもちろん、今でも日本に多大な社会的癒しや文化的刺激を与えてくれている韓流文化は生まれることがなかったはずだ。それはもう一つの大きなガスの固まりになり、より凄惨な結果を招いたかも知れない。
世界は大きな地域主義・経済圏に分かれ、EUやアフリカ連合、BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)やASEAN+3(韓日中)など、国際社会の動向も激しく変わりつつある。そして、韓流や日流・華流と言われる現代の文化ソフトの輸出成功に伴う国家を掲げた文化コンテンツ開発が新たな時代の課題となっている。見識のある人であれば、もはや一国主義の限界を認識し、国境を越えた協力による文化的パートナーシップの結束を強めなければ国家の存続は難しいと察知するはずだ。幸い、韓国の李明博政権も、鳩山政権も、そして、中国の次期指導者として注目される習近平副主席も、‘東アジア共同体’を唱えている。東アジアが育んできた優秀な人材と宗教戦争のない歴史文化圏の中で独自に維持してきた様々な文化を相互が提供し、協力的共生をすることこそ、今後の日本はもちろん、東アジアの在り方だと認識しているのである。そういった政治的一致を見出した以上、未来志向的に歩むことに合意し、相互の信頼構築のために過去の史実究明に尽力し、不幸を繰り返さぬ過去の歴史の出来事を共有し、未来への鑑にすることが優先課題になる。
戦後歴史認識は未来のための指針であり、過去の不幸を学習し、明日に向かうことにある。そのため、早く東アジアにおける近代の不幸を払拭する勇断と研究者による共同研究、草の根交流による市民交流意識を高め、明日を担う青少年や教師の交流を積極的に展開するように促す必要がある。だからこそ、国家間規模と民間人レベルでの努力と協力が同時並行的に行われ、‘東アジア文化共同体’の言葉が美名に終わるスローガンではなく、東アジアを維持する明日への試金石であることを示す重みのある行動が期待される。
(「韓国併合100年」『週刊新社会』2010年1月1日号、第664号、8面)
▼個人メールの公開や攻撃的聴聞会について考える
偶然、韓国で行われた検察総長の人事をめぐる公開聴聞会を少し見る時間があった。このシステムは、国民や社会に大きな影響力を及ぼす高位職の能力や資質はもちろん、候補となったその人やこれまでの社会的貢献、役割などを問い、如何にその職位に相応しいかどうかを与党も野党も公正に問うために2003年からより透明な人選のために設けた制度のはずだ。
しかし、この聴聞会を聞いてみて、やや不愉快なことを覚えざるを得なかった。
敢えていうが、私は特定の政党や思想を支持する人間ではないし、なるべく公平な立場から物事を実証的に見ようと努力する方だ。そんな筆者が感じたこの聴聞会は、まるで犯人に対する尋問のレベルそのものであり、現政権に対する反対意見から厳しく問うよりも、尋問の快感ないし此の場こその政党アピールのような感じがしてならなかった。私がその場で高い声でそういわれる立場だったらきっと心臓発作で倒れたかも知れない。
総長候補となった千さんが国民のために公明正大な法を裁くトップとなる人物であるため、清廉潔白かつ質素な生活が求められ、贅沢で浪費の生活をしてきた人物であれば厳しく批判されて仕方ない。なぜなら、かつてない不況でいよいよ失業者が100万人に迫る現状を考えると、空港のduty free shopでかのブランド品のシャネルのカバンを3,000ドルで購入したことは確かに問われる内容に値するだろう。しかし、特別な事情があって、家族に生涯一度の贅沢をさせてあげたい気持ちでもあったとしたら、その買い物に対する正当な反論があってもよいと思った。なぜなら、他人よりも数倍一生懸命働いて、日ごろ質素な生活をする人であれば、そういった高額の買い物が一度はあっても人間的な範囲で許されるべき社会レベルになっているからだ。韓流社会の華やかさを考えるとそれくらいは特別な事情であれば、正直に認めて事情を言うならばさほど問題にするほどではなかろう。
もちろん、筆者としてはそんなブランドよりも、もっと「自分」というブランドを大事に育てるべきであり、一人でも多く苦しむ弱者のために意義ある金を使ってほしいと思うのが日ごろの我が持論である。そして、まず、筆者自身がブランドとは縁遠い人間だから、ブランドに拘る心理はわかっていない。しかし、もし人間として極めて特別に記憶すべき日があるとすれば、大きな買い物をするかも知れないという側面は理解できる。もしその事由があったとすれば、事情を正直に言うべきだと思った。
しかし、千さんの反論は結局、まずい弁明だけに走り、如何にも検察総長としての誤った人選であったかという結果を招いた。これは「正直」かつ「誠実」さが問われた場としての評価はできるし、嘘をついた人が法の長になることは避けるべきだと思う。
だが、この聴聞会で「おかしな」と思ったのは、得意げに個人情報のレベルの内容を探ったからといって尋問に近い質問をしていた朴議員だ。彼の質問を通して感じたことは、
@「シャネル」という世界的ブランドを空港の免税店で購入したとしても、顧客管理が世界レベルで行われているはずの名ブランドが、個人情報を流したことになるのである。つまり、我々が信頼して買い物をするDuty free shopの情報を政府官僚などは全て入手できるということであろうか。だとすると、これは極めて不愉快なことだ。まるで、プライバシーのない監視社会ではなかろうか。信頼して物品購入をしたら全て政治家の手に入ることを考えると、我々の電話・メールなどあらゆる情報がどれほど露呈されているかが簡単に推察することができる。
こういった側面からの指摘は反対に、あのBS牛の報道特集を巡って「MBC−PD手帳」の番組を担当した金PDの私的メールさえも公開し、合理化を主張した検察側の問題にも通じる内容である。なんでも権力が妥当性を作るためにその権力を用いて私的メールを公開し、都合よく利用するとしたら、もはや韓国社会は個人情報が守られないということになる。最低限の基本的ルールは左右・与野党・保守進歩派問わず、韓国の社会全体の秩序を守るために絶対揺るがすべきではない。今は「敵味方」両極化によって、理性も倫理も基本的に守るべき道徳さえもないがしろにしているのではなかろうか。
このような極端なやり方が進むと、社会はまともに機能できなくなる恐れが出てくる。さて、責任は如何に?民心はクールに考え、社会の主権者として責任を真摯に考えるべきである。
A個人的情報をどのようなルートで入手したかは定かではないが、その内容をもって一人の人物の全体批判にもって行く問い詰め方は決して冷静なやり方ではないと思った。彼も刑務所暮らしをされたことがあるはずだ。尋問的問い方が地上波で伝播することは反対に、今度彼らが政権を取った時、まったく同じやり方で回って来ることを学習させることにならないだろうか。社会全体への影響を考えない目先だけの人事反対のやり方によって社会を指導すべき層がどのような「教育」効果をもたらしているかに対しては考えるべきものがある。換言すると、あんな攻撃的問い方の歴史が結局、韓国社会のイデオロギー政策を促す構図に繋がってないだろうか。
新たなメディア法を以って与野党の篭城・論争・議論が激しくなっている。だから、よけいに、与党に対する野党の反発も強くなっている。あんなに民族の苦悩が多かった社会が二分化的構図を超えた一つの統一社会に向かおうとはしないだろうか。090715〜18日までのKBS−TVでは理念を超えた国家統一のための識者たちの生TV番組「統合への道」が組まれた。結果的にリアリティのある強い説得力よりも、その背景にある歴史や社会現状を認識したに過ぎないが、かなり深刻に現実を懸念していたことは事実である。
強い政治慾へのエゴイズムによって民衆は苦しみ、辛い生活を余儀なくされている。高い授業料を払うことが出来ず、学歴社会でもがきながら毎日を暗く過ごす若者も増えており、教育現場も極めて荒々しい状況である。
深刻な問題であれば卓上空論に尽力することも必要だが、社会全体の機能を考える指導者的立場に自覚し、自分らが享受している社会の実体が如何に不安定か、それを如何に立ち直らせるかをもっと実践的に行うことが政治家の役割のはずだ。
よりよい人材を選ぼうとして透明な政治を試みて始めた聴聞会は、脅しのような罵声が交わされ、観た後も不愉快さが残り、「あれが一国一党を代表する政治家たちか」まで考えさせるのである。
与党も野党も、政治を通して自分らをアピールしようとするのはわかるが、もっと前向きな知恵の交流の場、社会のための意見の歩み寄りの場を作る知性・素養・英知の爽やかさを、生きる勇気を失いつつある国民に見せてほしいものだ。
与党野党を問わず、政治家たちはこんなにも我々の社会の改善のために一生懸命、知恵を絞ってこうやって意見を出し合い、よい社会システムや環境・福祉・医療・教育・人権問題に取り組んでいるのだと、そのために日夜惜しまず自分の時間を費やしているのだと見せてほしいものだ。
もう民心を二分論にする超利己主義的政治は見たくないし、これ以上はあってほしくない。そして、公開の聴聞会であんな高い声で相手を非道極まりない人間にしてしまう無責任さは考えるべきだ。相手の悪いところを静かな声で真実を究明し、嘘の場合はその人が相応しくないこととして結論つければよい。
罵声や尋問のようなやり方はここまで世界レベルの国家作りを掲げる国の聴聞会としてはあってほしくないと切願するのみである。南北対峙だけでもうんざりの半島に、南韓社会の二分論も真摯に考え、未来志向で妥協し、相互が歩み寄って一つの船を世界という海に航海させる成熟した時代の転換期にあると信じたい。
(090721)
▼李明博大統領の「約束」
⇒当時、公約に期待したのだが、結局他の権力者とさほど変わらない無責任振りで、4大江開発の工事の負担だけが国民に圧し掛かる結果となった。さらに、朴大統領側近の不正腐敗や歳月号問題の始末状況を見ると、もはや有口無言なり。(1504)
ある知人が長い日本での生活を終えてソウルに帰った。そして、先日、仕事で東京に来られた際、一緒に夕食をしながら韓国の話をした。知人は子供が多い。そして、日本で子供を育てただけに日本の学校の良し悪しもよくわかっている。子供の学校環境はどうかと聞いたら、子供たちはみんな、大変苦しんでいるということだ。予想通り。受験のために公教育も私教育も韓国では必死となっており、何よりも英語教育やIT教育、エリート育成という教育政策のために子供たちにはゆったりできる余裕のある時間は用意されていないようだ。そして、友達との交流も塾か放課後教育の場で行われるため、塾でもいかなければ友たち関係も出来そうもない。大変だ。だからと言って、夜10時までの私教育の制限をつけてもさほど効果はなさそうだ。なぜなら、儒教と植民地支配と韓国戦争によって、「生きる術」としての学校教育・学歴・英語・機能を身につけるべきだという根強い暗黙の社会ルールや歴史があり、その歴史や、解放後の長い間、巨大産業で増殖した私塾や学院などの塾産業に関わって生きる人が多すぎる。世界に通用できるエリート育成も社会を実力・物質万能主義にしてしまった。かつての韓国社会を世界的に育てるためにスポーツエリートが出たら拡大美化し、社会全体がそれを最高のモデルにしてきた。
苦難の多かった歴史を有する民族だというのはよくわかる。しかし、韓国も日本も、国民に常に「世界一」をモデルにおいて育ててきた。そのため、国民たちは「世界一の国民」としての文化的・精神的成長を伴ったわけではなく、むしろ、経済的裕福さを主に「成功の鑑」としてきた経緯があり、そういった社会についていけない人は余儀なく落伍者扱いとされてきた。
本当のよい国とは、一生懸命民衆と社会のために働く政治家をコントロールし、自分らの社会で誰もがうまれ持ってきた能力を発揮できる、社会の福祉や教育、就職などの機会が均等に配られ、強者は弱者に手を差し伸べ一緒に成長する社会が民主主義社会の美しいあり方のはずだ。そして、緑豊かな環境や、人権、福祉、医療問題のない、戦争・紛争・内乱などのない、関わらない社会がもっともよい国のはずだ。
ちょっとした先端新兵器でも作ったり、入手できたら新しいおもちゃを手にした子供のように、それらを使用する口実を使う幼稚策ではなく、それらが及ぼす人体や環境破壊への影響力をもっと周知させることが本当のオピニオンリーダーやいわゆる社会指導層の役割である。其の点、軍産複合体による新型兵器や現状に見合わない政策で社会を混沌とさせることは明日を混迷に陥れるだけの愚行にほかならない。
英語が重要言語だという認識はあるが、それを念頭に入れつつ自国の母語使用もしっかりできる優れたカリキュラムを代案として出さなければならない。そして、英語の私塾よりも、公教育を通して、国民の負担がかからない教育プログラム作りにもっと税金を投入すべきである。また、エリート育成よりも、人間と自然を大事にし、実践的ボランティア精神で社会福祉問題と関わった人の企業雇用が増えなければならない。日本も韓国も最近、暗い若者が増えつつあり、一方では高齢化社会に対する対策問題に悩んでいる。もっと養老ホームや幼稚園・保育園、障害者施設などで人間を大事にする機会に接した人を、組織や社会全体の柔軟な動きのために積極的に抜擢し、我々「生き物」は助け合って成り立つ社会の動物であることを認識させることが、異常なエリート育成と教育投資でドライかつ非人間的社会になりつつある韓国・日本の明日を紡ぐ基盤となるはずだ。そのため、子供が自然に年寄りと触れ合う空間や時間の中で自分の存在性や生き方を考えられる時間を大人は設けてやらねばならない。いや、もっと年寄りのゆったりとした人生経験の知恵を学ぶ時間が「スローライフ」や「healing」として必要だといえる。こんなに激しい教育競争だけが進めば、いずれ子供は勉強する機械と化し、どこかで間違えば社会全体が崩れてしまいそうな気がしてならない。
ある知人たちは自慢げに自分の子供たちが大変優秀だと力説する。AもBもCもDも。どこかで「やんちゃで勉強はしないけど、うちの子は明るくて、人の痛みがわかる子だ」といえる親に会ってみたい。なぜみんなそんなに優秀で、勉強ばかり自慢にするのだろう。親は中身のない虚栄心で満ちている人も中にはいる。「知性」なさそうな、出てくる言葉は品格とは距離のある人もいる。しかし、自慢する子供は全て世界レベルの優秀な子供ばかりで、その子供は「世界一のエリート」だ。
おかしな社会だ。人間が生きているのに、人間くさいところが見えてこない。正直、決まりきったその言葉の親たちに会うのは疲れている。親は多忙な人間が多い。夫は仕事で、妻も仕事に追われるか、専業主婦でも何とか文化行事で多忙のようだ。一体誰が育てているのだろう、あんな世界レベルの子供を。いよいよ世界一の社会になるのだろうか。極めて不思議で堪らない。そんな立派なこともが多いのに、韓国も日本も電車の中で老若な人に席を譲るシーンはほとんど見られなくなった。むしろ年寄り同士が互いに譲り合っている場面が多い。世界レベルの子供が多い韓国や日本でなぜ人間の基本的道理である労弱者への席譲りも希薄になっているのだろう。・・・やはり明日の社会は心配でならない。どこかで、「基礎人間学」を立ち上げねば。
自分の子供だけが世界一で成功さえすればよいと思う「超自己虫」親が蔓延しているが、どこかでその親が危険に晒されて瀕死状態になっていたら、通りかかった子供は彼らを助けるのだろうか・・・想像するだけでターミネーターの世界だ。
もうそろそろ「衣食住足りて礼節を知る」環境になっているなら、生きる価値をもっと社会意識や環境問題におくことが教育されるべきではないか。そういった側面抜きで未来社会が存在するとしたら・・・怖い世の中になりそうでぞっとする。子供が明日であることを再認識せねばならない。
ところで、2009年7月6日、少なくとも「国民とともに」を掲げて常に大統領の権力の座を求めてきた既存の大統領同様、任期満了だけを待っている人かと思った危惧を払拭し、韓国の、いや世界でも希な一国家の首長が私財のほとんどを社会に寄付し、話題となった。公約とはいえ、生涯をかけて働いて得た財産であり、そう簡単に誰もが出すものではない。その点、責任ある指導者が社会的鑑として、どのように社会と関わるかと考える際、李明博大統領は331億ウォン(約25億円)相当の財産を、貧困で教育の機会を得られない不幸な青少年に教育の機会を与えるべく、「未来」である「子供」の教育のために育英事業に使ってほしいと奨学財団法人へ寄付した。自宅以外は全てを社会の教育事業のために寄付し、自分の信念を行動で示したこと。それはこの窮屈な地球社会に突きつけたオアシスのような事例であり、物質万能主義に浸って自己中心の成金思想が蔓延する昨今、人間の価値を追求してきた教育思想の一つとして評価すべきところである。
自分の政治的思惑や世論形成など、様々な見解・解釈はあるだろうが、寄付された事は明確な事実である。
貧しく育った人間は歪んで過去を美化するか、事実を認め、貧困を繰り返さないように必死で生きるか、いくつかのパターンがある。人間には素直に評価する人もいれば、批判的な人も、さらに屈折した見方の人間もいる。だから、今回のことに多様な意見があっても良い。しかし、自分の財産を育英事業にし、教育に未来を託すことには大いに賛成する。
我々は教育大学であり、教師を養成する大学である。そして、我々は安定した未来を紡ぐために、明日の教師となる学生に未来社会を如何に作るか。如何に人間が人間らしく平和的に生きる環境・福祉・人権が保たれた社会の具現を行うべきかを常に模索し、研究し、その研究内容を伝え、未来図を提示する案内役に尽力している。
一時的名誉や権力、莫大な財産蓄積など、多くの要素が首長の周りに群がる。実際、大統領になってしまったらその座から民心は見えてこないことが多々ある。
大統領出身で地球社会のために頑張っている人がいるといえば一体誰を掲げられるだろうか。カーネギー?ジミ・カーター、ゴルバチョフの元大統領たちの活動。そのほかは?なかなか良い指導者、社会のために活躍する欲のない首長を思うと、さほど見えてこない。表面的パフォーマンスはいくらでも政権のために作られているが、実質的に私利私欲を払拭し、その社会の地に根付く指導者としての鑑となるべき人物はなかなかいない。それは、言い換えれば、腐敗した社会の権力者を生み出すか、ないしは期限付きの最高公務員の役割を果たすだけの構図になっている既存の大統領史があるかも知れない。
人間は欲から離れることで自分を楽にすることもできる。しかし、一国を担う人であるだけに、必ず財産寄付だけで国家は運営できない。奇智のある判断、叡智による国家運営、民心を考えた政策展開、一部の富者や権力者、特権層の擁護よりも、不動産投資や株投資、教育投資でぼろぼろになりつつある社会よりも、人間性豊かな社会、どんな人でもその人の能力を評価し、自然環境と福祉・医療施設が整備され、人間の暖かさを大事にし、要領主義よりも「正直・誠実な人」が大事にされるそういった文化先進国として、次元の高い民主主義社会を追求するために、知恵と勇断で尽力する指導者が必要である。そして、社会で苦しむ弱者の立場をも理解し、共に歩むために手を差し伸べる指導者こそ、歴史に評価される人であり、社会を成長させる能力のある首長だと考えている。
特権にまで上り詰め、権力を味わった彼が、教育のために財産を寄付したこの歴史はこれまでなかったことであり、いつか歳月が過ぎて良い人材を育てる基盤構築が出来上がって、みんなが共生できる社会作りが軌道に乗り、大きな「人間と自然の調和が美しい社会」へのうねりになってくれたら、李明博大統領の今回の財産寄付行為は未来に多くを示唆した勇気として評価されるだろう。
我々が生きることの窮極的目標とは何だろう?
金も愛も名誉も権力もあり得る。しかし、最終的に、価値判断を失っては人間としての意味がなくなる。自分だけを考えることは自分が苦境に晒された時、周りに人はいなくなる。我々は多くの人々と関わって生きる感受性を持つ人間である。その人間としての生きる価値、それにはやはり社会のためにどうあるべきか、社会的動物としての役割を認識し、主体性を持つ一人の社会の構成員であるといえる。だかが100年そこそこの生き物の人生。体は確実に消耗品として老化する。しかし、心を暖かく、やりがいのあることに関わり続けることで老後も有意義に過ごせるはずだ。
自分の社会的役割を足下から考えて行くことに、自分が生きている実感を感じられると思う。目標を失い、社会から背を向けて離れてしまった時、我々は生きる意味を喪失しやすく、孤立に苦しむことになるのではなかろうか。自分の小さな心使いで多くの人の心が温まることはいくらでもある。自分の痛み同様、他者も痛む。相互理解と、人への助け、自分の存在を確認させる行動、これらは社会をもっと豊かに変えることができる原動力になる。
その点、李明博大統領の寄付への実践は時代を灯す光はもちろん、権力特権層の社会的役割、社会のために利潤を還元し、自分を生み出した多くの人々への感謝と未来作りへの貢献を行うべきだというモデルになったと思いたい。そして、貴重な寄付金を透明な形で未来社会を担う暖かい人材作りに使ってほしいものだ。また、これを機に、今後、心底から民心とともに生きようとする首長の汗と涙の努力はもちろん、社会への寄付奉仕の精神が引き続いて現れてほしいと切願する。
社会で人生を享受し、恩恵を受けて生きてきた人として、未来社会に恩返しができるなら、もっと暖かい社会作りはもちろん、自然と真価は時代が過ぎても評価されるはずだ。(090715)
▼李明博大統領誕生で今後の韓国はどうなる?
BBK株価操作の疑いも晴れない最中で逆転のスキャンダル化はなく、韓国の第17代目の大統領になった李明博(イミョンバク)。実は彼は日本との縁のある人物である。父は韓国人、母は日本人という戦時中の混血政策が行われる中で1941年12月19日、大阪で生まれた。その後、父の帰国で一家は韓国に移り住み、浦項で幼児期を過ごし、後に高麗大学で修学する。その後、現代建設に入社し、同社の会長まで上り詰めた後、ソウル市長として大プロジェクトであった清渓川の清流を戻したことで人気を高めた。その彼が大統領の公約として出したいくつかの中でも特に目立ったのは韓国の大運河プロジェクト。これは東アジアにおける重要な水脈として位置づけ、港湾産業などに拍車をかけたいとのこと。建設現場を知り尽くしているたけにどこまで可能にするか。さらに、個人的には、彼は自宅だけを残して全ての私財を社会に還元したいと申し出た。これまでに自分の全ての私財を国民に捧げた指導者はいない。どこの国の人間でも指導者は一時的なトップの権威を歴史に残し、その国家を動かす人物であることに止まっていたのが一般的である。しかし、彼は潔くその言葉を明言していた。実行するかどうかは今後の行動を注視せざるを得ないが、あんなに「愛する」「尊敬する」国民の幸せと生活安定を唱える人であれば実行し、その300億ウォンの財産を福祉や韓国の弱者の人材リサイクルの施設などに使ってほしいものだ。それこそ、国民を愛する指導者だから全てを国民のために投げ捨てることのできる大統領の在り方ではなかろうか。もちろん、民主主義体制の下で必ず大統領や首相がそこまでするよりも政策を賢明にし、多くの市民らが安全で幸せに暮らせるようにしてくれるのが一番望ましい。だが、選挙の時にあんなに国民・国民と叫んでおいて、トップの座に就いたら俗物になって不正腐敗をする指導者が多々あったことを考えると、李明博の実行力は期待してやまない。
大統領選のキャッチプレーズの中で大統領選挙があった12月19日にひっかけて訴えた。
12月19日に生まれ、12月19日に結婚し、12月19日に大統領となるのだと。
今回、大統領選の宣伝を見ながら考えた主な特徴は
@メディアの役割(イメージ付け)の重要性
A思想的理念や歴史よりも民衆は自分の生活・経済状況を優先していること
B大統領候補となる特権層の議員連中がみんな自分は庶民の中の庶民だと訴えていたこと。
それほど韓国民は経済優先の意識を持ち、特権層でも庶民だという訴えに疑問を抱かないということである。誰1人も大統領候補には庶民はいないこと。だから金のある候補で日頃は高級車にブランド三昧のはずでも選挙の時期には一切にブランドを排除し、自分が如何に貧しい家の出身かばかりを強調する。それは単なる過去だということ。貧民出身が出世したからといって必ずしも貧民や庶民を理解するとは甘い錯覚であることを忘れてしまう。
李明博の勢いはハンナラ党の執権奪還といった党レベルでの目標も強く動いたが、不動産や株投棄などのバブルだらけの韓国社会のより経済的な潤沢をもたらすことに意思表明し、物質優先主義になっている多くの民心を捉えたこと、そして、韓国の首都を流れるドブ川を清流の観光地にした清渓川プロジェクトの成功実績などに心を惹かれた背景がある。しかし、一方では、金持ちの投資家たちを裕福にさせることでますます落差の激しい社会にしてしまうのではないか、歴史総括問題をもみ消してしまうのではないか、物質万能主義・学歴至上主義を助長しすぎて、さらなる社会的荒廃をもたらすのではないかと懸念せざるを得ない。
時代にそぐわない国家保安法が韓国にはまだある。簡単なでっち上げで北朝鮮のスパイにもなりうる。そのために北朝鮮の存在は都合よく用いられ、北朝鮮(当局も軍部も)もそれを知るがために韓国の政治家や財界の人々に極めて巧みに寄りかかる。しかし、既に資本主義体制を味わいはじめた北朝鮮であり、中国の急成長と韓国側の北朝鮮観光開発、連携産業が進む現状を真摯に受け止める必要がある。北との理念問題以前に現実志向主義の李明博は東アジア全体における韓国の在り方を念頭において政策を考えなければならない。大統領とは権力だけの座ではない。民衆の過去から未来への道案内役であり、血税で傭われた身分であることを忘れてはならない。そこには高慢な独裁政権が二度と繰り返されてはいけない、民主主義社会として国際化に認めつつある韓国の明日がかかっている。そのため、個人的私利私欲をなくし、大統領の任期が終わった後、業績の多い、国境を越えて骨身を削って働いた民主社会の模範的指導者像が残ってほしいものだ。そこが李明博に期待する強い気持ちである。(雑感、071220)
▼韓(朝鮮)半島の南北首脳会談を終えて(10・4宣言を踏まえて)
二泊三日間の首脳会談をみながら南北問題をめぐるいろんなことを考えた。評価は分かれる。抽象的表現ばかりを並べるが、それほどの成果はなく、あまりの厖大な手みやげを貢いだという側と、実りの多い会談だったということ。白頭山観光を来春の4月から可能にし、ヘジュ工団を設け、その設備などは韓国側が。北京オリンピックにはソウルから京義線に乗って北朝鮮を経て中国へ行く、所謂、筆者が『この一冊でわかる韓国語と韓国文化』で力説してきた韓半島ラインの青写真が提示された。さらに、定例的に首相などの高位職の会談を考えることや、南北終戦宣言に向けての動きに賛成し、韓半島の平和構築と統一を目論んだ協調(これは相互を尊重するという、換言すると、互いの体制を認めながら統一を述べている矛盾だが)に向かって共に努めて行くことなどが盛り込まれた10・4宣言が行われた。確かに形だけではなく、サプライズはないが一定の動きが見えたし、金正日総書記の老いて不機嫌な姿から真摯かつ積極的に対外活動ができるブレインによる対韓半島政策への取り組みが必要だと感じた。また、盧武鉉大統領との会談で金ヤンゴン氏と二人で臨んだ金書記から民主主義体制を理解していない、つまりもう一日北朝鮮に泊まることも1人で決めかねないかと叱責する発言が飛び出たり、金永南氏の政治手腕が目立った会談だったといえる。
個人的には韓国側が北を意識したせいか極めて保守的な男社会が映し出され、女性部の長官など、女性の閣僚の出番はほとんど見られず、背広組の緊張した雰囲気だけが醸し出された会談であった。せいぜい宮廷料理を指導する女性が同伴し、大統領の夫人だけが女性として目立った。また、経済界のヒョンデのヒョン会長位だろうか。北朝鮮側で1人の女性が出迎えには出てきたものの、金正日総書記の大統領夫人に対する態度は時代に逆行的な態度だったとしかいいようがない。4人目の妻を迎えながら彼の妻は姿を見せず、まさに影の、いや、奥方としての位置づけを明確にさせようとする権力者の雰囲気が溢れ出ていた。6者会議でも女性の活動は表に出ない。保守的で独裁かつ軍部の力が強く、女性の役割が限られているだけに、北朝鮮を巡る国際会議などは女性の活躍がほとんどないとみられる。人口の半分を占める女性が異常に出ないことに民主主義体制にはほど遠いことを感じざるを得ない。北朝鮮が社会・共産主義を貫く体制なら、本当は性別を問わない男女共生・共同活動が見られ、役割分担による女性政治家の存在も目立ったはずだが、それはなかった。女性の役割が限られていることは人材育成を平等に行っていないばかりか、国家の財源をいかに損なうことかに気づくべきである。さらに、軍部も当局も政府も全て1人に集中する封建的専制主義と共産主義体制の相反する体制で成り立っている北朝鮮の現状を覗きながら現代の激変する国際社会を相手に競争しようとするには制約も障壁も多いだろうと危惧した。
盧武鉉大統領にはあのハードなスケジュールを積極的にこなしたことで北朝鮮との対話に対する情熱が強く感じられた分だけに帰国後の支持率が上がった。ほとんど寝られなかったはずの強行軍だったのは確か。いくら美味しいジャングムの料理でもアリラン祝祭を終えて疲れがピークに達していた夜の10時から晩餐会は大変だ。そんなきついスケジュールの中、相互とも前向きに取り組んでちょっとでも互いが歩み寄ろうとしたことは充分伝わる。今回の会談は確かに抽象的な宣言もあれば、具体的な実行性のある項目もいくつかある。もちろん、全体的にみれば、厖大な経済協力で韓国側がかなり支援することを約束している。ただ、ドイツの統一にかかった費用や格差による社会的な問題を韓国は忘れてはいない。そのため、将来の統一を想定した場合、今の北朝鮮のままだと統一に伴う費用は相当重い国家全体の負担となる。そのインフラ整備の一環として、今回は今後の北朝鮮との対話の基盤を整えるための投資だと見たら、分散的出費であり、一時金による国家経済を揺るがすことは防ごうとした思惑だと考えられる。
筆者としては三日間の動向を見ながら、まるで1342年から始まる朝鮮王朝時代を思わせる男女の役割、金正日総書記の国賓に対する認識を確認できた。さらに、現代観光などの起業家らやや白楽晴・韓完相ら有職者など、各界の代表たちの水面下での動きもかなり積極的に感じ取られた。盧武鉉政権から二度の北への訪問はないかも知れないが、こういった南北の未来への地平を切り開いたことを大事にし、今後、アジアにおける韓半島への役割をもっと協力して一緒に生きる方法を模索すべきだと強く思う。
余談だが、金書記の無表情、盧武鉉大統領の表現が歯がゆいところもなくはない。また、大統領夫人もあの図書館資料室で貴重な資料を「手にとってお読み下さい」と勧められた時、「めがねをかけてないからみえなくて」で回避するのではなく、もう少し積極的に本を手にする姿が見たかった。少なくとも今の私にはない機会なのでもったいないと思ったまでだ。また、同族だという親近感から「文盲はないか」と聞いたと思うが、国家を異にするところにファーストレディーということからもう少し気の利いた話が出てもよかったのではないかと思った。もちろん、まったく体制の異なる社会での対応には誰もが緊張し、思うままにはできないが、そういったことが玉の点として残る。
盧武鉉大統領が金正日総書記の韓国訪問を提案すると、金書記は自分はいずれ訪問の環境が整ってからだと回避し、金永南氏を先に行かせると言い出した。さて、今後の対話の持続、大統領選、盧武鉉政権の勇断が出るかどうかが期待される。しかし、アメリカも中国もロシアも注目する半島情勢、非核化と平和構築への協力宣言は今後の韓半島のために良い方向への道しるべになることだと思う。個人的には美女軍団といったいわゆる「若い北の女性」を売り物にする活動ではなく、女性の技術・専門家(experts)の育成が早急に必要だと感じた。工団の多くは女性工員で、それを支配する主な政治家は男性、そこを支える軍隊組織、それに1人の指導者。21世紀の国際競争社会には極めて違和感のある体制でもある。もっと「共に働き、共に生きるパートナー意識」を育み、国家は1人の為ではなく、政治家は民衆の遣い者であることを認識し、兵力と武器開発に注ぐ代わりに世界に向かって発信できる環境問題の対策や文化・情報・人的資源の開発などに尽力すべきである。それが今後、世界で生き残る術でもある。
一方、日本は拉致問題に対する成果がなかったと新聞は述べているが、最初からそれほど期待しなかったはず。しかし、盧武鉉・金正日首脳会談で対日関係改善を促してはいる。南北の問題で精一杯だったあの7年ぶりの会談としては努力したと評価し、今後、対北政策について日本も余裕を持つ側として「抱える政策」への変換も一つの政策だと考える。追い詰められた北に対して経済政策をあんなに行ったってさほど効果がなかったことからも外交政策の方法転換を考える必要性が出ているのでは。福田政権の老練さが問われる。相手は長い間、周辺諸国が経済中心に発達をするとき、国内で戦争と戦争をしてきた国家である。まったく違った社会の感覚から訴えても相手がわかってないと対等な話には至ることができない。経済・文化的に格差の大きい社会である。今後、急速に発展の余地もある北朝鮮に対し、譲り合う精神から実利をも考える政策が求められる。莫大な税金を使いもしない兵力に費やし、軍事大国化を正当化するための仮想の敵をもうけて相手を刺激し、そこからの威嚇・脅威を自国への攻撃可能性だと民心に不安を抱かせて愛国教育を強要する構図を払拭し、現実的に日本は戦後の平和・人権大国として世界にアピールしてきたたけに、Burma(軍政はみゃんまと称す)政権などに非人道的な武力鎮圧・虐殺をやめるように促すなど、国連と連隊しながら世界の平和社会への架け橋として国際社会にそのイニシャチブを取ることが役割だと考える。自然豊かな日本の環境問題への取り組みは世界的に知られている。今後の地球社会は結局資源の奪い合いによる争いを如何に阻止し、地球環境を如何に良い状態に保つかが普遍的課題になってくる。その先頭に立って説得力のあるリードシップを発揮し、周辺諸国と協力しながらアジア社会の安定と世界環境のために働く日本であってほしいものだ。そういった点から南北首脳会談は東アジア全体の今後の在り方を提示し、今後の課題の解決方法を示唆する重要な会談だったと評価したい。(071005)
▼韓(朝鮮)半島の南北首脳会談に際して
071002、朝9時に韓国のTVは一斉に盧武鉉大統領が歩いて南北の境界線を越えることを感無量に伝えていた。確かに韓国戦争が終わった1953年7月27日以来、正式に北との境界線を踏むわけだから54年の歴史を語っても不思議ではない。その点、北朝鮮との距離が近くなったことに対する努力は評価するものがある。
盧武鉉大統領と13人の遂行員一行はその後、そのまま陸路を通って昼の12時2分には平壌の4・25文化会館の前で歓迎雰囲気の中で韓国の盧武鉉大統領と北朝鮮の金正日総書記が握手を交わした。2000年の金大中大統領を迎えた時のあの若くて活気溢れる笑みは消え去り、極めて無表情で儀礼的だったというのが金正日総書記の印象である。7年ぶりの南北の出会い。
周辺の人々の笑顔は感激なムードをも醸し出しており、平壌についてから迎えにきてくれた金ヨンナム最高人民会議常任委員長さえ金正日よりも10歳の年上でありながら盧武鉉大統領と一緒にオープンカーで平壌市内から歓迎式典に向かう中、さわやかな笑みを忘れずに盧武鉉大統領を持てなしていた。つまり、金正日総書記だけがその場には違和感のある様子であった。健康面からの理由もあろう。無表情で疲れ切った感じ、左足を若干引きずる動作、しかし、どこかで4歳下の盧武鉉大統領の前での威厳を保とうとする動き。それは、父親の金日成を記憶する金大中大統領に親の面影を覚えて全身で歓迎していた7年前とは違っていた。TVでは少し前にあった北朝鮮の大水害問題などを理由にしていたが、果たしてそうだろうか。笑みのない金正日総書記の迎えぶりをみて、歓喜のあの瞬間を彼は‘持つものの自己陶酔’乃至‘政治的利用’だと考えて歓迎の気分になれないのかと誤解があっても仕方ないと思ったのは自分だけだろうか。何はともあれ、大統領選を迎えた盧武鉉政権が非核化と平和構築と経済協力(韓国は資金援助、北朝鮮は労働力提供)を通して韓半島政策を何とか一つの平和的軌道に乗せたい一心で行った国家大行事であり、歴史的な歩み寄りを行ったのは間違いない。また、水害で公式には600人以上が死亡したというが、その何倍の人が災害の犠牲となり、地方の復旧もままならない中で人力に頼る国家体制の限界が見え隠れする中で、平日の平壌市内にあんなに多くの人員を動員し、歓迎ムードを盛り上げ、陸路からのSPガードなどにも多くの装備や人員を投入した北朝鮮側の準備もかなり尽力した様子がうかがえる。南北の水面下での協力活動あってこそ、歴史的な首脳会談を二度にわたって開催することが可能であった。時間はかかったが、徐々に互いを見つめるようになっているのは今後のアジアの平和構築への大きな動きである。
半島内で共に生きる隣人であり、同胞でもある北朝鮮と共に未来を設計すべき相手は韓国しかいないはずだ。北朝鮮が重んじる対米・中・日・ロシア外交はあくまで外交上における大国優先の目標に過ぎない。現実的に北朝鮮の経済は東アジアの中でもかなり遅れており、それは否定できない。しかし、かつては半島の兄弟であった韓国の顕著な成長ぶりを認めたくない金正日政権、換言すると、北朝鮮の体制の失敗を見せることで自尊心がつぶれることだけはしたくない気持ちがどこかにあるかも知れない。しかし、もしそうだとすれば、そういった偏狭的発想を持つことはもはや時代遅れであり、精神主義だけを貫くことが通用できない世界である。周知の通り、在日朝鮮人や、海外労働者、いくつかの貿易収入のほか、収入源がさほどない北朝鮮の実情と相反する周辺諸国の著しい経済成長、その焦りから核開発のヒードンカードを用いてきた。そのため、ブッシュJr.は北朝鮮が非核化に踏み切ったら韓(朝鮮)半島の終戦平和宣言にサインをする用意があることまで示唆している。この2泊3日の首脳会談。どこまで詰めるかわからないが、新たな経済自由地区(工団)の提示や北朝鮮の観光地開発など、韓国の北朝鮮寄りへの動きが見られるはずだ。しかし、冷静に実務主義に沿った前向きな検討がどこまで可能かは金正日書記のご機嫌にかかっている部分も排除できない。
総書記は人民のために存在する偉大なる指導者だと総称されてきた。もっと積極的に外交の場に出向き、平壌以外にも住む人民の実生活を責任取らなければならない位置にいる。とすれば、彼は何をおそれているのか。スイスへの秘密口座問題や様々な人権問題が指摘されているが、こんな汚名を払拭するためにも、より能力あるブレインを大いに活用し、現状に見合った積極的な会談を行い、訪ねてくれた韓国側と虚心坦懐に話し合うべきである。チャンスを生かし、多くの民衆の生活を考えることに真の指導力が問われるのである。元気のある顔ではなかったが、様々な思惑はさておき、経済協力を申し出た韓国側の厚意を素直に受けて、今後の在り方を互いが正気に話し合える外交力を発揮してほしいと願っている。国家の繁盛と民心のゆとりあってこそプライドの価値が高まることを忘れないでほしい。
韓国側も多くの時間と税金を使って至ったこの会談を今後の韓(朝鮮)半島の平和と経済成長、人的交流、学術・専門技術の相互提供のために、今後の共生のために、北朝鮮との実りのある会談になってほしいと期待してやまない。(071002)
▼Burma(みゃんま)事態から軍部の属性を考える。
700人の僧侶が逮捕され、連行され、ノルウェイのTVでは川にアザたらけになって浮いた僧侶の死体が報道された。韓国大使館などの外国公館のインターネットも遮断され、完全に外国との連絡機能を断ち切らせ、国内の武力鎮圧に徹しようとすることから21世紀の国家間の格差はここまでひどいかと考えざるを得ない。明らかに持っていた長井さんのカメラもなかったと言い張る。既に世界中にその映像が流れ、ジャーナリストの魂を見習えと評価されているだけに、証拠隠蔽をする軍部の実態に野蛮さ故に憤怒を覚える。さらに、10月7日のイギリスのThe Timesは、ヤンゴンの北東側にある火葬場には夜中に緑色のカバーをかけたトラックが出入りする中、火葬場の煙が止むまもなく燃え続けており、それは今回のデモで殺された犠牲者の正確な数を隠蔽しようとすることだと発表した。さらに、その周辺には軍人が封鎖し、人を近寄らせないこと、ヤンゴンの人々の証言によると生きた人をそのまま数カ所の火葬場(OVEN)につれて行かれて焼却したことなどを報じた。仏教国を自称する国の残忍極まりないこの一連の蛮行に強く・強く抗議し、憤慨する!!
民主主義とはほど遠いあの社会、「国境を越えて」の映画そのものが展開されているが、これ以上の犠牲が出ないように、人々の死を軽視するあの軍政から民主主義体制を整えるように、国際機関は世界と連携し、武力単圧をやめさせるように促していかなければならない。人の命を軽視する国家は存続する価値のないことを認識させるべきである。民心が未来を動かす。この普遍性を地球社会は忘れてはならない。(071001)
▼イラクでの米軍の横暴から軍隊の本質を考える!!
イギリスの Independent およびBBCは米軍第501歩兵団1大隊が、イラクの道ばたに米軍の‘非対称戦闘団 (Asymmetric Warfare Group) ’から補給された軍需品(プラスチック爆弾、銃器類、導火線など)を餌として置き、それを取っていこうとするイラク人たちを狙撃・殺害してきたことを暴露した。それはイラクの民間人を殺し、意図的に死体のポケットに鉄糸などの証拠物品を入れてテロ犯として仕立ててきた米軍の1人が軍事法廷に回付されたことで明らかになった。人間狩りを楽しむ米軍のどこに独裁政権を打破し、民衆の解放と平和を言える資格があるというのか。唯の「人間殺し」を助長するためにアメリカは莫大な予算を使いながらイラク・アフガニスタンの人民をあんなに苦しめ、殺し続けているとしか言えない状況ではないのか。彼等が唱える人権や平和は極限られたアメリカ人のみが享受できることを立証すること以外、何ものでもない。そもそもイラク攻撃の本質は何だったのだろうか?親米政権の発足と天然資源確保へのインフラ整備?それに抗う勢力をと排除していくこと?
イラクで最先端の武器で武装した米軍による民間人殺しが増えることは極めて非道なことである。復讐の怨嗟を招いていることも認識できないアメリカ軍の高慢さは世界一の軍事大国・経済大国にあるとすれば、軍備拡散を真似ようとした北朝鮮などを叱責できる理屈は成り立たなくなる。世界の多くがこういった米軍の残虐で非人間的な行為に憤怒しつつも、それに勝る兵器開発に取り組もうとしたとき、そのしわ寄せは結局、アメリカが受けなければならなくなるのである。自省の余地もないアメリカ政府の誤った対外政策をいち早く見直し、共存共生への協調体制を整うことが今後の生きる道だと自覚すべきである。また、多くの民間人殺しだけが蔓延するアフガニスタンやイラクのこの構図を招いたブッシュ政権は早く現実を冷静に見極め、撤退とともに以前の緑豊かなアフガニスタンやイラク復旧のための経済・技術支援にもっと尽力し、民間人虐殺への賠償および反省に徹するべきである。自分の痛みだけを痛みだと思うエゴイズムこそ世界の不協和音を生み出す原因であることを世界市民の連帯は強く促していくべきであり、そのために1人1人の市民意識が高くならなければならない。真実を真実として伝える勇気を持つジャーナリズムの役割はもちろん、多くの地球市民の連帯による権力監視への促しが必要だと感じる記事である。(070926)
▼外国人登録問題
2007年11月20日から特別永住者及び公用・外交目的以外の全ての16歳以上の外国人は指紋採取と顔写真を撮り、法務局の入国管理局が管理、犯罪協力の素材にするという。筆者からすると80年代に知人が指紋押捺拒否で裁判をし、その様子をみに法廷に行ったことが新しいが、この情報管理はそれほど愉快なことではない。それは反対にほかの国に観光で出かけた日本人が、あるいは外国に住む日本人がその立場になっても同じであろう。指紋押捺廃止から再度指紋採取に踏み込んだことにはアメリカのテロ対策と増える国際犯罪を阻止する一環だと言っているが、採取される側としては政府の情報管理が誤ったり、意図的にframe upをしようとしたらいとも簡単に犯罪者にでっちあげされる可能性を排除できないからだ。もちろんアメリカとの秘密保護協定による情報共有もあり得るだろう。確かに国際化が進み、人類の移動が急増する中で生じる犯罪も多種多様で多い。しかし、それを理由に外国人の人権を侵害できる法律を定めることが果たして効率のある時代の要求かどうかは見極めなければならない。この指紋採取は外国人差別に繋がりやすい人権問題として警鐘を鳴らすものである。それは反対に人権問題の先進国を目指して取り組んできた日本の一歩後退をも表すものでもある。一方では人権を唱え、一方では厳格な外国人管理に走るこの相反する行為の至るところは???(07.09.25 秋夕)
▼北朝鮮は国際社会に通じる人材育成のための教育プログラムに尽力し、国家再生を!!
「衣食住足りて礼節を知る」という言葉があるように、基本的生活が安定されてから人間は精神的余裕から他者への配慮や理解が生まれるものである。国家体制や社会状況などによって非人間的生活を強いられる立場におかれるとすれば、誰でもすさまじい周辺環境から自分だけの生活を追求するはずである。その経験を地球の多くの国は経験してきたのであり、また、その環境改善のために努力したり、体制が遅れている社会も少なくない。今は世界的レベルである日本も、IT文化国だと言われる韓国も、かつてはそういった体験をしてきた。一方、中国は広大さ故にイデオロギーによる国家経済や文革の余波で後退したこともあったが、今や来年の北京オリンピックのために建設ラッシュや上海の工業団地、海南のリゾート開発など、社会が活性化している。そのため、国際レベルの社会的マナーの周知・広報活動に尽力するのはもちろん、孔子学院の普及による中国文化の弘報活動の展開や、国内では徹底した人材育成に力を注いでいる。
一方、規模が大きいだけに様々な問題は生じているものの、世界の多くの国々が13億労働市場の恩恵を受けて物資的に裕福さを享受しつつあるのは否めない。台湾も外貨準備高が極めて高く、経済的には安定した社会である。これらの東アジア社会の中で唯一、社会全体の動きが時代離れになっていて、今でもまだ軍備強化だけが生きる術だと考えている社会が北朝鮮である。
現実と見合わない富国強兵のみにしがみついた時代遅れの発想に、国家経済は周辺国家に大幅に遅れ、民衆には精神主義が強いられ、軍と党、当局の異見の中で民衆を犠牲にしてきた結果、アメリカはもちろん、国連などからも労働者搾取などの人権問題が指摘されている。その一方、脱北者は東南アジアの各地に逃れ、一部は韓国や、韓国を経て別の国に行く場合も出ている。この状況をただ、取り締まるといった武断弾圧に走ってももはや止めることもできないはずだ。炭鉱や監獄もこれ以上の犠牲者を出してはいけない。
9月9日のKBS1の「KBSスペシャル」(PM:8:00〜9:00)は「北韓の海外労働者」3万人時代を放送した。中にはロシアのウラジオストックがAPECを準備する関係で建設ブームが行われており、そのための格安労働者として北朝鮮からの労働者の多くが働いている様子や、中国各地で営んでいる北朝鮮料理店で働くエリート出身の女性や、ドバイなどの中東の地で格安賃金の労働者と化した技術者などが紹介された。ある中東の労働者は一度北朝鮮を出たら2〜3年働き、当局と派遣会社に給与の一部を支払った後、残りを家に持って行き、2ヶ月ほど休暇を取った後、また出てくるという。今のように家庭崩壊が懸念される時代にあの純粋な家族愛には感服する。この出稼ぎは古くは日本や韓国のハワイ移住や、国内でも小林多喜二の『蟹工船』にも登場する秋田や青森県などからの冬の出稼ぎや、初期植民地朝鮮時代の同化政策を信じて日本に出稼ぎ労働者として来ていた人たちが一例である。筆者の記憶では、韓国の中東アラブやロシアへ出向いた海外労働者やドイツへの看護士派遣、遠洋漁船乗り(外国船乗り)で外貨収入を獲得し、国家経済の基盤を支えた歴史がある。その努力もあって今や日本も韓国も裕福を享有するようになり、その反対に3K業種のほとんどが日韓の自国の人ではなく、東南アジアからの外国人労働者によってまかなわられるようになった。労働者差別や福祉問題、人権問題への取り組みなど、彼等を通して紆余曲折はあるものの、両国とも彼等との共生をめぐって国際化の現実に目覚めつつある。
ところで、北朝鮮の海外派遣労働者に対する現地の雇用主の評価は二つに別れていた。
1.技術力の高い、誠実な側面、
2.技術はおろそか、海外への興味のせいか何も用意できないまま出てしまった単純労働者
これまでの独裁政権のあらゆる国家の共通点は個人個人の才能を国家の偶像のために全て捧げられ、1人の人間としての才能の育成や評価、個人の人格は認めてこなかったことである。そのため、それに異を唱えた多くの知識人や専門家は余儀なく粛清に晒され、キリングフィールドに散ったのである。
民主主義の魅力は個人の才能を高く評価し、それに見合った人格的処遇と生活を与え、社会全体で手厚く保護する傾向があるということである。言うまでもないが、その保護は非人間的監視ではない。
現代資本主義社会のもとで成長した情報・技術・科学の発達が著しい今日、北朝鮮はまだ世界的に競争力をもつには人材不足に陥っている。経済不振によるインフラ整備の不足も一因である。たかが旧型核ミサイルで世界を脅かし、最先端の核ミサイルを厖大(小型ミサイルも含む25,000発以上を有し、無人ステルス攻撃機開発成功や高性能イージス艦の備蓄など、巨大な超軍事国家であるのは今更言う必要がない)にもっているアメリカは核保有の拡大を防ぎ、他の国々が核開発でアメリカを脅かすことを阻止するために、北朝鮮との協商に尽力している。しまいには、北朝鮮の核廃棄さえすればブッシュ大統領は金正日国防委員長と平和協定に共同サインをしたい意思を表明している(『京卿新聞』070910)。この間、ブッシュは朝鮮半島の終戦宣言もちらつかせてきた。しかし、朝鮮半島の終戦宣言には各国の現実と思惑が絡んでいるため、スムーズに行きそうもない。また、アメリカの朝鮮半島での役割論が熟されてないこともある。しかし、確実なのは、北朝鮮をブッシュは意識しているとのことである。中東問題で悩まされているブッシュ政権としては中東に信頼を受けている北朝鮮との和解は戦略的価値があると判断した部分があろう。そのための平和協定への狙いを排除することができない。
では、北朝鮮はこのまま時代遅れの状況だけでいいのであろうか。このままでは日本の拉致問題にしても社会制度や民衆の認識レベルが同等にならない限り、同じ立場における事実の再確認や賠償・責任問題などが追及し難いはずだ。体制が異なる社会で孤立され、捻くっていることを口実に、自分の現代的軍事力と国家経済力を見せびらかしながら村八分の対象に追い込んだり、各国の政治的利用手段とするヤヌスさだけを増幅させては東アジア全体の安定は不可能である。
周辺諸国は飽食時代だとか、裕福病を叫びながら不動産・株投資やエリート教育、韓流・日流文化の華やかさを益し、物質主義におけるブランド追求に金を費やす時に、必死で生きることを模索しながら忍苦する隣人がいる。いくら働いても働いても人間らしい豊かさを手に入れることができない仕組みの中で生きている我々の隣人。アジアは実力主義の欧米社会に影響されたとしても、まだ隣人を思いやる情の文化を長い歴史を通して育んできたアジア社会の一員である。ならず者国家だからといって全てを否定し、切り捨てることができるなら国際社会は超巨大国家だけが君臨する形になる。そうすると、日韓中台で構成される東アジアもその巨大国家の従属国にならざるを得ないのでは。
北朝鮮という隣人とどう付き合うべきか。それは周辺諸国と同レベルの社会として発達してもらい、民間人を含む文化交流に着手するのはもちろん、貿易・政治パートナーとして成熟した社会へと導かなければならない。社会全体の発達には北朝鮮の現状だけではできない。北朝鮮は現在、多くの欧州・中東・ロシア・中国との人的交流を通して信頼を受けている方である。しかし、一方では劣悪な環境のもとで搾取される労働者の実態も多く報告されている。北朝鮮国内の体制も不明なところが多い。しかし、金正日委員長を含む当局や軍幹部らはもう国際社会の事情を素直に受け入れ、体制を捉え直す勇断をすべき時期である。そして、人間こそ国家の主力だという人的・知的財産の概念を認識し、人材育成教育に国家の未来がかかっていることを真摯に考えなければならない。今北朝鮮の収入といえば若干の軍備輸出と3万人といわれる海外労働者による収入、そして一次生産物などの輸出によるものである。ひどい場合は偽ドルや大麻の問題まで浮上していた。しかし、そういった汚名は大きな国家ダメージに繋がる。誠実な努力で取り組む過程は地味で目立たないけど、もっとも評価の高い、効力のある方法である。そのため、周辺諸国との連帯を重視しつつ、国際社会のマーケッティッング・リサーチ作業を通して国際化社会に見合った健全な技術者の育成プログラムの開発に注力し、国家再生事業に取り組むべきである。無駄な軍隊を減らし、もっと多くの人材育成を通して国際社会の各地に人材を派遣すること、その中には国を離れる人もいるかも知れない。しかし、結局、彼等の家族とともに住める魅力ある福祉国家を代案として出した場合、人間たかが100年の人生、無理して言葉の通じない異文化の中で差別を受ける覚悟で北朝鮮を離れようとする人もなくなるはずである。
また、人材輸出で得る収入で北朝鮮の福祉産業化が進み、一部は金剛山・白頭山などの観光地の国際的開発、朝鮮半島の横断列車(やがては日本から始まって中国やシベリアを通して欧州への国際観光ラインへと)による観光客誘致などで活性化し、その収入を国民に還元できるシステム整備が整ったら、北朝鮮は周辺諸国に早く追いつくことができる。ソフトの開発には時間がかかる。しかし、既に開発されたソフトの応用には時間がそれほどかからない。それは多くの国や企業の立証済みであり、13億という大規模の人材バンクとなりつつある中国が実証しつつある部分でもある。
この秋、中国の重点大学の一つに赴任した人がいる。その人が受け持つ授業だけではなく、全ての外国語授業は一切中国語のできない教員によって授業が行われており、学生の全寮生活を通して午後6時からは自律学習時間を設けてさらに勉強しているため、それぞれの学生の実力はかなりのレベルだそうだ。そこで感じたのは、今は経済的に貧富の格差があるかも知れないが、その多くの人材が動き出した時、中国は凄まじいうねりで目覚めるだろうということである。確かにここ数年、毎年北京などに学会発表で行って見ると、緑化作業や町の雰囲気が急変している。一部は未だ慣れない習慣も見え隠れするが、やがてオリンピックなどの国際イベントの開催に伴う世界の中心的基盤作りが整っていくだろう。なぜなら、そこには全てがあるからだ。だからといって、他者排除性を内在した中華思想の普及に伴う歴史修正主義の台頭には違和感がある。それは日本も韓国も一緒だ。過去の暗いイメージを払拭し、現代国家のきれいな国家イメージを植え付けようとしてはかつての帝国主義思想とは変わらない。そこにドミノ理論を活用し、協調しなければ共倒れの国際化時代の実情を考えるべきだと思う。平和社会の構築と安全保障は世界から信頼を得ての実現である。そのため、北朝鮮は周辺諸国をモデルに、もっとも安定した国家発展の基盤を構築すべきである。そして、ならずもの国家、人間搾取、不正・腐敗の蔓延する社会といった汚名をいち早く払拭し、自由な発想で朝鮮半島開発、東アジア地域プロジェクトに加わることができるようになってほしいものだ。そして、やがては北朝鮮の人もインドのIT技術者のように世界を跨って活躍し、精神的に安住できる故郷の北朝鮮帰りも自由にできる社会になってほしいと切願するのである。個人的には私の専門である近代文学者の研究のために自由に北朝鮮にある資料を見に行ったり、大学で取り寄せが簡単にできることを望みたい。(070910)
▼韓国と北朝鮮の首脳会談のニュースを接して
・07年8月8日の朝、韓国のニュースを見ていたら、7年ぶりの第2次南北首脳会談が来る10月(最初は8月28〜30日頃だと言われたが、北朝鮮の洪水被害もひどく、韓国の大統領選にからんで相互の配慮から延期となったと考えられる)に平壌で行われるという速報が入った。なるほど、7年ぶりの金大中大統領以来の首脳会談か。国際社会に取り残されつつあった北朝鮮を抱えて共に生きることを考える機会をつくったことは歓迎そのものである。もちろん、与党としては大統領選を目論んだサプライズニュースによる好感度アップだという野党の批判も排除できない。当然、この時期だから与野党問わず立場を代えればあり得る話しだ。日本も、米・中・ロの関連国も取りあえず歓迎ムードだ。しかし、内実のない政治的パフォーマンスで終わったり、政治的利用価値としての北朝鮮との関係性だけなら国内はむろん、国際世論の厳しい批判を避けることはできないはずだ。2000年の金大中政権とは打って変わった冷めた関係が続いていた最近の動きを払拭できるように、本気で韓(朝鮮)半島平和構築と共存共生、核放棄こそ残された生きる道だという認識を深め、多くの民衆の生活向上に取り組む実質的内容のある会談にならなければならない。そういった自らの足下を総括することで大国への核武装に対する軍縮の訴えも説得力を増すのである。
さて、この会談はそれこそノムヒョン政権の手腕が試される大きなチャンスであり、南北が正直に国際社会における実情を再確認する場になるはずだ。ハンナラ党が危惧するびっくりショーですまされないように、北朝鮮との共同開発および今後の連絡体制をしっかり整える信頼関係を築く必要がある。韓国の統一部はもちろん、国情院などは英知を結集し、北朝鮮の党、軍部との会話路線を保持しつつ、互いが良い方向へと歩み寄れるように尽力してもらいたいものだ。
金正日総書記本人も国際化の波が如何に急激に伝播しているのか、よくわかっているはずだ。中国のオリンピック準備や周辺社会の経済的発展に北朝鮮が取り残されることを彼は誰よりも懸念しているはずだ。国家とは民衆の安定した生活あってこそ存在するものであり、平和な国家体系の維持にも繋がるはずだ。半世紀以上の対地国家の緊張を払拭し、未来を共に生きることを考えるべき和平ムードをつくることこそ、北朝鮮の国際社会への認識も深まり、東北アジア関係、そしてさらには日本との様々な問題に対する柔軟な解決方法が見出せるはずだ。場所や時期についての不満も一部は出ているが、この際、北朝鮮も目先の小さい利潤よりもより大きな未来志向で韓国との対話路線を維持し、共に半島で生きる隣人として信頼し合う関係を築くことが大事である。朝鮮半島の非核化、文化・経済・社会的発展のために相互が協力すれば、アジアのパワーバランスもうまく取れるようになるだろう。そこに日本を含む東アジアの歴史総括と明日への共生への道があるといえる。(070808)(070830補足)
▼2代目議員(世襲政治家)が世界を動かす?現代民主主義の本質とは?!!
・日本と韓国・中国関係、中台間の緊張、北朝鮮を取り巻く東アジア情勢問題。また、金正日・小泉・ブッシュ(アイウエオ順)ら政治特権層出身いわゆる2代目世襲政治家による政権は果たしてどれほど民心を理解し、民心に支えられ、歴史的な政治を行ってきたか、彼らの政治的行方と今後の歴史的評価が気になっています。05年の総選挙で当選された480人の議員中、146人の3割が、自民党内では296人中111人の38%が世襲議員(「背に威光刻む道」『朝日新聞』06.8.23参考)だとすれば、善し悪しもあろうけど、やはり理想とする民主主義には障害になるものも多く内在しそうだと危惧しています。歴史は歴史学者に任せるべきだと自分の歴史軽視観の本音をもらす安倍新首相、大衆迎合の雰囲気だけ盛り上がる日本が美しい国になれるかな?心配です。まあ、最近の従軍慰安婦問題や祖父の戦争責任を国会で認めるのは良いけど、歴史総括への代案はお持ちかな?軍事大国への思惑よりも平和・環境・福祉・人権大国への努力が魅力的な‘美しい国’への近道になるはず。90代目若き首相の力量は如何に。(06.10.6、台風の秋夕、嵐の研究室で)
▼増加しつつある民間軍事会社(Private military company)と地域紛争
傭兵商売は代理戦争や紛争拡大に繋がる恐れがあり、いくら金が動く物質万能主義が優先される資本主義社会とはいえ、かなり危惧しています。
▼近代史を乗り越えてのアジア文化共同体作りは不可能なのか
世界ではEUなどの経済的側面における局地的協同体化が進んでいが、儒教的共同価値を共有し、宗教戦争がなかった東北アジアの文化共同体への試みが積極的に行われる時期ではなかろうか。北東アジア共同体やASEANプラス3(韓・日・中)の構想も文化交流を盛り込めた方が良さそう。経済的協力は利害が絡んでくると争いになりやすい。また、その争いの為にメディアを利用したプロパガンダーはもちろん、世論形成に走り、最終的には愛国心を用いた村八分が始まるのが歴史の常だといえる。そのため、日頃の愚民政策こそ都合が良く、その権力の思惑を商業主義の名目で協力しているのが一部のメディアだと言っても過言ではなかろう。しかし、文化交流は基本的に異文化理解から始まるものであり、市民一人一人が主体であるため、争いよりは共生への可能性を見いだせる要素が強い。文化的交流とコンテンツ開発、積極的な文化戦略などによるよりよいソフト提供と国境を越えた連携こそ今後の地球規模の未来志向的試みだといえよう。もっとのんびり、ゆったりと相手を理解するゆとりや譲り合いを持つスローライフを楽しむことが時代の課題になっているのでは?!!
▼雑感
83年前は地獄だったはずの9月1日。当時の内務大臣の水野錬太郎と赤池濃、後藤文夫、正力松太郎のトリオ、自警団、そして命をかけて道理を貫いた大川常吉の勇断。やはりこの中で日本の誇れる人物だとすれば大川常吉元鶴見区警察署長。いくら権力をふるったとしても歴史的評価は人類普遍の正義にあるということを改めて感じさせる関東大震災記念日。
▼恒久法?
いよいよ自衛隊派兵と莫大な税金を投じた先端武器の使用が可能になるのか?
夥しい人命を犠牲にした結果、敗戦を迎えて戦争放棄を宣言して国際社会に復帰し、平和大国としてのイニシャチブをとり続けるべき日本が一部の政治家によって危うい方向へ進んでいる気がしてならない。戦争の惨めさを誰よりも知っていた鈴木貫太郎元首相は戦後、世界の理想を語る際に次のように語っている。「即ち今後の戦争は人類の破滅を招くほどの惨酷なものとならうから、その意味から言っても地球民族は相互に文化を尊重し合ひ、戦争を回避して行くべきである。」(『終戦の表情』労働文化社、1946年、61頁) 自衛隊派兵による軍事大国への試みよりも戦後61年間培ってきた平和国家への世界的位置づけをより確固たるものとし、「平和維持協力機構」を設けて協力・支援をするのが表裏一体の姿勢ではなかろうか。どうか我が教え子らが戦争に巻き込まれることが決してないように、政府は非武力の平和維持恒久に努めてほしいと希求する。(06.9.1)
▼共謀罪
「集団的犯罪」の特定や詳細な罪例などを定めなければ乱用を危惧せざるを得ない。まして、近代史に携わっている私からすると、1925年の治安維持法が脳裏を過ぎるため違和感がつのるのだが、当時よりも高学歴を有する市民の間ではそれほど議論になっていないような・・・
▼metabolic syndrome メタボリックシンドローム
内臓脂肪(代謝)後遺症、すでに日本だけに1300万人が有病者だとか・・
▼韓国の教権問題
第二の親として恩師を慕う日である‘師の日’(5月15日)が定められている5月、韓国社会は学生・父兄・教師との間で生じた様々な問題によって教権が問われる月となった。この現象はもはや韓国だけではなく、日本、中国などの儒教・学問を重んじた東アジアの共通問題として現れており、受験教育のつけとして真摯に取り組むべき課題となっている。愛国教育よりも道徳・思いやり・ゆとり・知・情などの調和が取れる円満な人格者を育む‘全人教育’こそがこの時代の優先課題だということを自覚し、社会的に取り組むべき時期に来ているといえる。