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韓日文化・社会論

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韓国・朝鮮の伝統的な服装文化

1)韓国・朝鮮の伝統の服装

 韓国・朝鮮の伝統的な服装を韓服(ハンボク)という。韓服はふくらみのある曲線と直線によるしなやかさが上手く調和し、ふくよかさや暖かみを醸し出す伝統衣装である。韓服の組み合わせは、男性は今のズボンにあたるバジと上衣のチョゴリを基本にし、その上にチョッキを、外出の時には外套にあたるドゥルマギや朝鮮時代から儒学者や両班が羽織る外套として定着したドポ(道袍)などを重ね着する。女性はスカートにあたるチマと上衣のチョゴリを基本にするが、透けを防いで衣服の曲線美を作るために様々な下着を着けた。男女区別が厳しかった昔は女性の外出には必ずジャンオッとかスゲチマなど、頭から被って顔や上半身を隠すマント・外套類をまとった。男性は一般的に外出する場合はカッ(笠)や冠などを被った。また、韓服にはポケットがなかったため、丸く形や三角形のチュモニ(巾着)を作り、上部をヒモで締めて財布代わりに携帯した。足には今の靴下にあたる布製のボソンを履き、靴は庶民がよく使用した藁で作ったジプシンをはじめ、革製、木製、絹などの布製を履いた。それらは身分や性別、用途、季節、気候によって区分された。

 韓服の素材も夏場は風通しが良い麻や苧などの素材を、冬場には保温性がすぐれたヌビ(キルティングの納衣)や絹などの素材を用いた。今でも高句麗時代の王族などの古墳の壁画では当時の鮮やかで華麗な服装を見ることができる。

 古くから狩りや遊牧生活をしていた北方の騎馬民族から影響を受けてきた朝鮮半島は、上下が離れた簡便で活動しやすく、保温性が良い服装が定着した。服装の色と材料、装飾品や帽子、靴などは王族や官僚、百姓などの身分と男女によって異なった。韓服は本来、上下の色が違っており、今でも上衣は明るくて鮮やかな色を、下衣はしっとりした濃い色を好むが、夏は涼しい色が多い。また、朝鮮時代には上下が白い韓服が喪服とされ、白衣の民族といわれるほど民族の象徴色として定着してきた。しかし、最近は西洋化の影響によって葬儀の時に上下とも黒一色の韓服を着る人が増えている。なお、韓服の素材では麻や苧らの植物性の材料で紡いだ服が一般的であったが、次第に綿類や絹などに多種多様な刺繍や模様を施して楽しむなど、時代の変化とともに韓服の布の素材も変遷を遂げた。

2)女性の服装

 伝統的な女性の服装はゆったりとした感じである。チョゴリとチマが基本で、上衣のチョゴリは前開きとなっている。洋服のボタンにあたるオッコルムという結びヒモでバランスをとるが、左右にはチョゴリとは違った鮮やかな色の長いコルムと短いコルムをチョゴリの衿が重なる胸の前部分で結ぶ。結んで残ったコルムは前後が重なる形で垂らしてしなやかな美を表現する。そのほか、チョゴリにはソメ(袖)、キッ(衣襟)、ドンジョン(衿)などがついている。チョゴリは無地のミンチョゴリと半回装・三回装チョゴリに区別されるが、時代によって袖や丈の長さが変わった。高麗後期には中国の元の影響によって、16世紀には文禄・慶長の役以後、チョゴリは短くチマは長くなり、次第に今のようなチマ・チョゴリの様式が定着するようになった。今ではチョゴリの長さが25センチ前後であり、より長くなったチマを胸の上辺に結わえ、腰ヒモで結んで固定する形式が一般的である。

一方、下半身を足下まですっぽり囲むチマは、動きやすくするために身長に合わせた布に腰布をつけて腰ひもを蒔いて着る。また、女性達は腰紐をつける前にスカートの襞(ひだ)を多く施し、優雅で粋なスタイルを作り出しておしゃれを楽しんだ。高麗時代には数枚重ね着で腰部を豊かに見せる工夫も行われたが、朝鮮時代になると重ね着よりもチマの下にいくつものの下着を着るようになった。チマの線の美しさを引き立てるために薄いスカートのソクチマ(内裳)やタンネソッコッ(単内襯袴)、ソクパジ(内袴)のような袴類を着けることで外見はもちろん、オンドル部屋の座敷生活に合わせた機能性も兼備した。しかし、近代に入ると、身分階級の廃止や外国文化の影響によって女性の教育に対する意識が高まり、社会的な地位が向上された。朝鮮時代までに女性の外出に欠かさなかったチャンオッ(顔や身体を隠すように被るマント類)から解放され、洋装に羽織るショールなどが好まれるようになった。韓服は活動しやすい短いスカートに改良された。なお、女性達はノリゲという装飾具をチョゴリの結びヒモに吊し、韓服の胸元を引き立てた。素材は金や銀、七宝焼き、玉、翡翠などが使われ、幸せや長寿の象徴であった十長生(太陽・山・水・石・亀・・鹿・雲・松・不老草)などを繊細で上品に彫った物や、実用的機能の針入れや粧刀入れノリゲ、また、儒教の影響によって女性の操を守る護身用の銀製の懐刀に色鮮やかな刺繍を施したノリゲなどが重宝された。

3)男性の服装

 男性の服装はパジ・チョゴリ・ドゥルマギが基本である。男性のチョゴリは多彩な色を使って楽しむ女性に比べて単純で素朴な形と色が一般的で、オッコルムも女性より短く、ドゥルマギやドポの中に着ることが多かった。チョゴリの上にはチョッキを重ね着る。

 一方、防寒用から始まったドゥルマギはチョゴリよりも長く、膝下までの外出用の外套として朝鮮時代に多様化した。前開きのドポは女性同様、左右のオッコルムを結ぶが、さらに胸の周りに身分を表すヒモを結んでおり、左側にはコルムが、胸の真ん中にはそれより細くて色が違うヒモが垂らされていた。

洋服のズボンにあたるパジは幅がゆったりとしており、座敷生活には便利な特徴を持つ。パジを履く時は胴当てのひだを右側にし、腰紐でしめる。また、今の靴下にあたるボソンを履いた後、その足首の上にパジの下部を当ててテニムという細いパジの端の結びヒモでリボンのように結ぶ。パジの下にソクパジ(内襯袴)や褌類の下着を着け、夏は単衣を、冬は二重綿入れのヌビなどの下着で寒さを調節した。また、身分によって服装の形や色、装身具、帯、笠などが違っていた。

4)その他

 髪型は時代や身分によって異なるが、三国時代の女性の髪は頭の中央から左右に分けて両耳のあたりで束ねて結い、男性は髻(もとどり)を上に向けてチョンマゲに結う習慣があった。高麗末期からモンゴルの影響によって前髪を剃り、後ろの辮髪(たんもり)にする髪型が続くが、朝鮮末期に強圧的な断髪令が行われた。多くの儒学者らがそれらの伝統否定に抵抗をするものの、外国文化の影響によって次第に短髪が普及していった。今では韓国・北朝鮮とも断髪が多く、韓国では日本同様、パーマや染め髪などが盛んであり、若い男性もパーマや独特な髪型などで個性を表している。また、近代化が西洋化として浸透した結果、今や西洋式服装が当たり前の時代になっている。衣服の西洋化により、韓服は正月や結婚式などの特別な機会にしか着られなくなっている。洋服の多様性と便利さが好まれた結果、若者から韓服が敬遠されることを危惧した韓服デザイナーらは、普段着感覚で韓服を楽しめるように結びヒモをなくすなどの工夫を行い、簡便で手頃に着られる改良韓服を生み出した。改良韓服はその機能性や色、形、経済性などから多くの人に好まれており、気軽に伝統服を楽しむことを可能にしたといえる。

 

【参考文献】

金東旭ほか『朝鮮を知る事典』平凡社、1986年。

『月刊韓国文化 KOREAN CULTURE』第292号、2004年3月。

?? ????ソウル、芸林堂、2000年。

韓国文化院公式ホームページ参考。

出典:李 修京「韓国・朝鮮の食文化」『歴史地理教育』No.702、14〜17頁。