CLASSROOM

 

授業

プロジェクト応用U−グローバル化と経済−2002年度

 

<インド・パキスタン>

宗教

 

「インド料理の地域差・各宗教の料理の違い」
*ねらい           
明治初期にイギリス経由で日本に伝わったカレーは、初めは西洋料理の一つとみなされていましたが、インド独立運動の折にインドから亡命してきたラス・ビハリ・ボース氏(別紙参照)を、新宿中村屋の創業者、相馬愛蔵・黒光夫妻がかくまったことから、1927年、中村屋が純インド式カリーを発売。これが日本のカレーのスタンダードとなります。
 今や日本人は、1年間に平均64回カレーを食べる、世界有数のカレー愛好者。でも、そのわりには、インドについては、何も知りません。今回は、未だ知られざるインドの食文化について考えてみました。
*インド料理(カレー)とは?
ひと口にインド料理と言っても、インドは国土も人口も日本の9倍ある大国で、その上、日本と違って食糧を輸入に頼らず100%自給自足で賄っている農業国でもあるわけですから、日本料理をひとことでは語れない以上に、インド料理をひとことで語ることはできないのです。
そうした地方によって違うインドの料理の特色を、敢えてひとことでまとめるなら、それはスパイスをふんだんに使う、ということ。既にこの演習で説明してますから、みなさんもご存じのことと思いますが、インドには「カレー」という料理はなく、日本人がカレーと呼んでいるのはインド特有の香辛料風味のこと。それは、日本人にとっての味噌・醤油同様、味つけの特性みたいなもので、日本人がひとまとめにカレーとみなしているものも、インド人にとっては、それぞれが野菜炒めだったり肉の煮込みであったり、まったく別の料理なわけです。つまりカレーというのは非常に曖昧で大まかな定義でしかないのです。(カレーの語源はインド南部地域のタミール語で汁を意味するカリからきているという説がある)
インド料理の基本思想は医食同源で、スパイスは早い話が漢方薬。実際、中国の漢方薬は、元々インドから渡ったものだそうです。
 例えばシナモンは身体を温めるので風邪に効くとか、コリアンダーやクミンは身体を冷すので暑い日にいいとか、ターメリックは殺菌作用があるため傷口に塗るといいとか、クローブは虫歯に詰めると鎮痛剤代わりになるとか、カルダモンは食後に種を2〜3粒食べると匂い消しになるとか━━そういうことはインド人なら誰もが知ってることのようで、(実際インドの主婦は、スパイスを1ケ月分まとめ買いし、キッチンでは、1週間ごとに大きな容器から小さいスパイス・ボックスに移し、それをその日の天候とか健康状態を考えて、毎日調合を変えながら、使ってゆくのだそうです。)それが食事にも応用されているのです。そうやって作られている料理がカレーなのです。


* 宗教と食の関係
インド人の8割を占めるヒンドゥー教徒は、牛と豚を食べることができせん(インドのマクドナルドはマトン100%らしい)。またヒンドゥーの中には輪廻転生の観念や、それぞれの戒律のしたがって神聖視される動物を食べれない、そして菜食を義務づけている宗派も多く、中にはイースト菌が入っているからパンも食べない(菌は動物なのです!)というほど厳格な宗派もあります。またヒンドゥー教だけではなく仏教・シーク教・ジャイナ教など様々な宗教があります。そのために、インドのカレーでは豆やいもを含む野菜、ヨーグルトなどの乳製品を利用したものが数多く生まれました。        (そもそもスパイスも植物です)                                                 そして、宗教的に食べ物が限られるため、インドの商人は、華僑同様、世界中に進出しているようです。そのために世界中の大都市にインド料理店があるようです。
                                                                  *南北インド料理の差異                                                                 
 インドにはいろいろな気候の地域があります。例えば、北部は冬は寒く、東部は四季があり、西部は亜熱帯、南部は熱帯のように実に様々です。また国土が広いために各地域で影響された墓所が違います。そのために料理もいろいろなのです。                                   まず熱帯に属しているインド南部ではその暑さのために食欲が減退しがちなので、香辛料をふんだんに使い胃腸の働きをよくし食欲を増進させます。また辛い味付けをすることによって汗をかき涼しさをかんじるようになっているのです。そして汗で流れていってしまう水分を補うために南インドの料理は水分が多くなってたり、暑さで不足しがちになるビタミンCが多くとれるように工夫されています。南インドは東南アジアの流れを汲む米食文化圏なので主食は米です。                
一方、北インドは、17世紀に隣りのペルシャから侵入してきたムガール帝国に支配されていたため、アラブの影響がたいへん強い土地柄で、その料理は、モグライ(=ムガール)料理と呼ばれ、アラブ料理同様、羊や鶏などの肉類がふんだんに使われます。タンドールと呼ばれる窯で焼かれる肉料理も北インド独特のもので、主食のナンもその窯で焼かれます。唐辛子はパウダー状にして使うのが主流で、南に比べると辛さはマイルド。カレーはナンに乗せて食べられるよう、固形に近いドロドロな感じ。米はあまり食べられておらず、麦食文化圏。(ちなみに、東京のインド料理店の80%は、北インド料理の店です)。


<ベジタリアンとカースト制度>
 インドにはたくさんのベジタリアン(菜食主義者)が存在します。これは仏教やジャイナ教の説く不殺生の影響を受けて、肉食はけがれた行為として嫌われるようになったという背景があります。ヒンドゥー教徒では、バラモンなどの上位のカーストの習慣を真似することで、地位を少しでも高めようとした結果、菜食主義はずっと下のカーストの人々にまで及ぶ習慣となりました。これらベジタリアンに対して、肉食が可能な人々をノン・ベジタリアン(非菜食主義者)と呼びます。ノン・ベジタリアンは一般に、イスラム教徒、シク教徒、キリスト教徒です。このベジタリアンとノン・ベジタリアンの区別はインド人にとってきわめて厳格なものであり、インドでは菜食主義者イコール清浄者という図式が成り立っているようです。

<カースト制度について>
 紀元前1000年ほどに北インドに侵入してきたアーリア人は、現在のヨーロッパ人とも同じルーツの白人種系でした。彼らは先住民族を平定してその支配を固めるにつれ、肌の色による身分制度を作り上げました。当然、支配者であり、肌の色も白い自分たちを上位におき、被支配民族を下に置きました。今でもインドには、肌の色が白いほうが高貴、血統がよいという考え方が残っています。また、インドにはもともと「カースト制度」という言葉は存在しませんでした。インド人の間にある特異な身分制度に気づいたポルトガル人(16世紀にバスコ・ダ・ガマの一行がインドに上陸した時)が「カスタ(ポルトガル語で「血統」や「種族」を意味する)と名づけたことが始まりだと言われています。インドでは「ジャーティ(生まれ)」と呼ばれています。1947年イギリスから独立した後の新しい憲法には、カーストによる差別を禁止しており、カーストは存在しないことになっています。

<宗教と食について>
 仏教が生まれた国、インド。現在、インドの宗教人口はヒンドゥー教が82パーセントを占め、ついで11パーセントのイスラム教、2パーセント前後のキリスト教、シク教、1パーセントに満たない仏教、ジャイナ教…とさまざまな宗教が混在しています。インドでは食事・葬儀・衣服などさまざまな面で各宗教の間に大きな差異があります。ゆえにインドは「多様性の国」「いくつもの顔を持つ国」と称されることが多いのです。


<ヒンドゥー教>
 ヒンドゥー教で崇拝されている神は、ヴィシュヌとシヴァです。この他にブラフマーを加えた三つの神格を中軸として発達してきており、ブラフマーは宇宙の肖像を、ヴィシュヌ神は宇宙の維持を、シヴァ神は宇宙の破壊を任務としていると信じられています。またヒンドゥー教徒は特定の開祖・聖典をもたず、教団として組織されてもいませんが、日常生活でもカースト制度を守り、沐浴・断食・偶像崇拝を続けることを法(ダルマ)とするなど、共通性をもっています。
 カースト制度は食習慣にも反映され、数多くの原則があります。例えば、異なったカーストの人と一緒に食事をすることは禁じられています。
 カースト制度の最高位、バラモン階級の家庭では食事の用意は尊い仕事とされています。沐浴をして身体を清め、清潔な衣服を着て食事を準備しなければなりません。バラモン階級の人が、下級階級の人の作った調理食品に接触したら、その人は宗教上の純潔さを失い、カーストの地位も失ってしまいます。
 ヒンドゥー教のマヌ法典では、すべての肉食を禁止しています。特に現在、牛肉を食べることは厳しく禁じられています。魚も神聖であるとして、食用にしません。家禽、塩漬けの豚肉、玉ねぎ、にんにく、カブ、キノコなども明確に禁じられています。
・ 他人を傷付けてはいけない。思想や行為によって傷付けてはいけない。友である動物た  ちに苦痛を与える言葉を発してはいけない。
・ すべての肉を食べてはいけない。肉食は飲酒・姦淫・にもまさる罪である。肉食の禁止は,生き物としてのしるしであり、すぐれた恵みである。
・ 動物の命を損なわずに肉を得る事は出来ない。心やさしい生き物を殺すことは天の恵みに対する冒涜である。
・ 神または人の霊魂に畏敬の念を抱かないものは、他の生き物の肉を食べ、自分の肉を糧にしようとするが、これにまさる罪悪はない。
 このようなことからヒンドゥー教徒(特にバラモン階級)は菜食主義者です。汚れなく清浄な生活を信条とするからです。卵類も生命の源と考えられ食用にしません。非暴力思想はは肉を食べるだけでなく、動物を殺したり、肉を売ったり、料理したり、給仕したりする人々にまで及びます。
 ヒンドゥー教徒は、家族・暦・宗教・カースト・年齢・性別などのいろいろな理由で断食を行います。


<シク教>
 ナーナク(1469〜1538)を開祖とする宗教。<シク Sikh>というのは、サンスクリット語から由来する言葉で、<弟子>を意味します。イスラム教の影響を受けて、ヒンドゥー教を改革した宗教で、沐浴も断食も偶像崇拝も無用で、カースト制度も非難の対象となりました。19世紀初めにはランジード・シング王の下でシク王国を築きましたが、イギリスとの戦争に敗れました。
 シク教徒の男性は髪を切らず束ねてターバンで覆います。アゴヒゲもはやしています。シク教にはヒンドゥー教の強い影響もありますが、偶像崇拝とカースト制度を否定し、唯一神を信仰します。アルコールは禁じられています。食肉はイスラムの方法で殺した動物の肉でなければなりません。シク教徒は牛肉は食べませんが、豚肉は食べる事が許されています。菜食主義者もいます。一般的にシク教徒は、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒とは異なり、食物の規制を厳しく考えません。
<ジャイナ教>
 マハ−ヴィーラ(前6〜前5世紀)を開祖とします。特に不殺生の誓戒するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られています。ジャイナ教とは<勝者>を意味します。仏教とは異なり、インド以外の地ではほとんど伝わりませんでしたが、インド国内に深く根を下ろし、多方面に影響を与え続けてきました。今日、ジャイナ教との数はインドの人口の約0.4パーセント、360万人と推測せれています。(1994年)
 殺生を禁じられたジャイナ教徒は、例外的なわずかな農民を除いてほとんどが商業以外の職業に従事してきました。商才にたけたジャイナ商人は早くから有名で、国際的な実力や影響力は増しています。
 ジャイナ教徒は世界を創造し、統治する唯一の崇高な霊的存在や神を受け入れません。すべての魂は崇高な霊で、崇高な霊は無限に存在し得るとしています。またアヒンサー(生き物を傷付けないこと、不殺生)の誓戒を破らぬために、あらゆる機会に細心の注意をはらっています。誤って空気中の小動物の命を奪う事のないように、白い布で鼻と口をおおうこともあります。路上の小さな昆虫をうっかり踏み潰したりしないように、道をほうきではきながら歩くために、ほうきを携帯したりもします。
 食生活では、生物の分類学上できるかぎり下等なものを摂取すべきだと主張しています。厳格なジャイナ教徒は、土を掘り返して小動物を殺す危険のある根菜・球根類、花の蜜を集めるときハチが殺されることが多い蜂蜜を不浄と考えて口にしません。また、虫が入っていることのある様々な果物も食べるのを避けています。水の中の微生物を飲み込まないように、水をろ過してから飲みます。不注意で生き物を飲み込まないために食事をするのは日中だけです。



<仏教>
 仏教は紀元前6世紀に釈迦(ゴータマ・シッタールダ)の教えとして創始されました。紀元前250年にアショーカ王の努力でインドの国教になりました。現在はスリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、日本などで盛んですが、インドでは少数派にすぎません。

釈迦の説いた真理
生きることは災いである。この災いは己の欲求のためである。災いを癒すには欲求を殺す事である。そのためには「正しい行動」「正しい話し方」「正しい生活」「正しい努力」「正しい気配り」「正しい集中力」「正しい見識」「正しい意志」を追求していくこと。

仏教の基本的な考え方は「輪廻」と「霊魂の不滅」です。これは古代インドのバラモン教の影響を受けた考え方で、バラモン教から発展したヒンドゥー教も「輪廻」を信じています。「輪廻」とは死んでもまた別の人間や生き物に生まれ変わり、いつまでもそれを繰り返す、ということです。現在の姿は前世の全ての行動の現れと考えます。正しい行いによってのみ、来世における運命が改善されるとしています。仏教徒が人間以外の生き物をどのように見ているかは、仏陀が前世では人でなく別の動物であったという話に最もよく示されています。仏陀のように誰でも皆、前世は動物の姿をしていたのだから、動物を殺す事は人間を殺すのと同じことだというのです。ヴェーダと同様に仏教でも生き物に暴力を加えたり,苦痛を感じさせたりする人は将来同じ痛みを経験するとされています。慈悲と不殺生が仏教徒の最も大切な実践徳目のひとつです。現在,仏教国の多くで肉食をしますが、仏教徒は生き物を殺したり、傷付けることは慎みます。つまり,肉を食べる人より、動物を殺す人のほうが罪が深いのです。ヒンドゥー教では、反対に食べるほうがより深い罪業を負います。
 肉食禁制を守っているのは僧侶と厳格な信者です。それらの人々はアルコールは心を曇らすものとして飲みません。


<食事のマナー>
 インドの人口の8割を占めるヒンドゥー教徒。その教えでは右手は神聖な手であるのに対して、左手は不浄だとされています。だから、食事のときは右手しか使わないのです。ヒンドゥー教徒はこのような「浄」「不浄」の概念が考え方の基本にあります。そして、油で調理した料理をより浄なるものとしたり、人の手の触れたものを不浄とするので、使い捨ての素焼きの器やバナナの葉が浄なるものとされ、人の使ったスプーンやフォークなどは不浄なものとされています。だから、取り分けるためのサーバーと各自が使うスプーンなどははっきりと区別をしています。しかし、最近ではファーストフードや外食産業が普及しているので若い人たちを中心にスプーンやフォークを使う人が増えてきているのも事実。また、レストランでは、ベジタリアンとノン・ベジタリアンのスペースを分けるなどの配慮が見られるほか、ベジタリアン専用の店もあります。ベジタリアンの中には、ノン・ベジタリアンとの食事を拒否する人もいます。


* 考察
どの国でもそうだとは思うが、今回のプロジェクトで調べていて、インドの食文化は気候や宗教の影響を色濃くうけていて、多くの国で伝統的食文化が揺らいできている中、インドはそれが現在にも大きく影響し生活に深く浸透しているのが分かった。インドの経済状況もこれに大きく関わっている。今日までインドはどちらかというと食のマーケット的には閉ざされていました。それは宗教による制約の多さゆえに外国が輸出できる食材が限られてしまうというのが大きい。国は違うがインドネシアでの味の素の豚の成分が入っていて大問題になったようにである。これはインドのマクドナルドが牛を使えずに羊を使っていることからもうかがえる。しかし、マクドナルドのように工夫をしてインドに進出する企業が増えてきた事によって徐々にではあるが、インドの食文化もグローバル化してきている。右手だけを使って食べる伝統も若者を中心に薄らいできているようである。このようにインドはまさに現在、食のグローバル化をはかっているところなのである。
 医食同源、宗教的制約、気候によってスパイスを変えるなどの工夫。インドの食事というのは多くの中から生まれてきたインドに究極に合った料理なのである。


* 感想
 今回、インドを調べていて特に宗教に的をしぼって詳しく調べてみた。それによってさまざまな宗教が混在している。いろいろな宗教によって厳しいきまりがある。というのはさまざまな本で読んだが、実際のインドではどうなのであろうか?また、この本で調べた事、パソコンで調べた事はどこまでが本当なのか?こんな生活を本当に送れるものなのか?という疑問がドンドン強くなっていき、実際にインドに行ってみたくなった。カレーばっかの生活はできそうにないが…
 また、他の国の宗教と食の関係も調べてみたかった。違うグループと協力していろいろな国とのインド食文化の関わりを調べるのもとてもおもしろいと思った。インドにはあまり他の食文化の影響が見られなかったので、海外ではインドの食文化が日本のように浸透しているのか。ということをもっと見てみたかった。
 食文化とは関係なかったので今回のレジュメには書かなかったが、現在多くのインド人が英語文学で活躍をしているということにもとても興味をもった。インドでは言語がとてもたくさんあるので公用語として英語が使われているし、またインド人のメンタリティー的に海外に進出して成功しようと考える傾向が強く、それによってアメリカなどに移住した人たちの子孫が多く暮らしている。そのような原因で英語文学界でインド人が活躍しているのだと思った。
 この授業を通じて、食を通していろいろな事を考えるようになった。食を食事だけで終わらせず、いろいろなものにつなげていき、興味をもったものを詳しく調べていく。これは総合的学習を行っていくときの大きなヒントになると思った。今回の食のようにいろいろな事を自分で調べてつなげていく。これはすごい身につく、いい学習になると思う。

<参考資料>
・インド古典舞踊 http://www2u.biglobe.ne.jp/~india/home10.htm
・ インド神話入門 長谷川明/新潮社/全集・双書/1987年
・ ヒンドゥー教 クシティ・モーハン・セーン(中川正生訳)/講談社/新書/1999年
・ インドの文化と論理 赤松明彦/九州大学出版会/単行本/2000年
・ 詳細世界史 江上波夫・山本達郎・林健太郎・成瀬治/山川出版/1997年
 

ラス・ビハリ・ボース
 1886.3.15〜1944.1.21
 インド民族運動家。別名タクール。
 1908年頃から、ベンガル地方での民族運動指導者となって活動。
 1912年には、インド総督ハーディングを爆殺しようとするなど、テロ活動にも従事した。
 1915年、ラホール兵営反乱を指揮するが失敗。同年、日本に渡る。
 日本で、同じく亡命中だった孫文や、アジアの民族運動家を支援していた頭山満と知り合った。
 同年11月、英国政府が圧力をかけてきたため、政府はボースに国外退去を命じたが、頭山満は彼をかばい、中村屋主人の相馬愛蔵・黒光夫妻に預けた。ボースは相馬家でかくまわれ、やがて、相馬夫妻の長女俊子と結婚する。
 以後、日本に在住し続けたため、「中村屋のボース」と呼ばれるようになった。
 太平洋戦争が勃発すると、インド独立連盟総裁に就任。
 日本政府の求めに応じて、インド国民軍創設に動く。
 しかし、日本とインド独立派との主導権確保の板挟みとなって苦慮した。
 インド国民軍は、インド独立運動を行ってガンジーと対立しドイツに渡っていた政治家チャンドラ・ボースを日本に呼び、自由インド仮政府の首班として迎えた。
 1944年、ボースは東南アジアから帰国し、まもなく病気で没した。 

 

 

 

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