CLASSROOM

 

授業

プロジェクト応用U−グローバル化と経済−2002年度

 

<インド・パキスタン>

カレーの伝播

 

A01-1114 大矢幸久

インド人によるカレーの伝播

インドでカレーは大昔から一般的に食べられていたのですが紀元前1世紀頃からインド商人は季節風を利用して小型帆船でインドネシアに渡るようになりました。紀元3世紀頃になるとインドとインドネシアを結ぶ定期航路が開かれ、交易だけではなくインドのバラモン僧や知識人が訪れるようになりました。その過程でインド文化が東南アジアに伝播し、カレーの食文化も広まったのです。現在、インドネシアのバリ島の人々はヒンズー教を信仰していることからわかるように昔はインドネシア全域にヒンズー教の国家が栄え、気候がインドと似ていてカレーの材料がそろっていたのでカレーが定着するようになりました。またマレーシアもインド文化の影響を受け、カレーも伝わりました。タイ・ミャンマーへは陸伝いに伝わりました。インド人が陸伝いに移動してタイやミャンマーの民族と接触する過程でタイ・ミャンマー地方へもカレーが伝わったのです。以上のことからこの時期のカレーの伝播はインド人の交易や移動の結果、東南アジアやインド周辺(スリランカ・パキスタン・ネパールなど)に伝播しました。

大英帝国によるカレーの伝播

カレーの大きな伝播はイギリスの大英帝国形成の過程で再び始まりました。初代ベンガル総督ウォーレン・フェスティング卿がインドでカレーの味に惚れてイギリス本国に紹介したのがきっかけです。カレーは瞬く間にイギリス貴族社会を風靡し、上流社会のディナーのメニューに加わり、好んで食べられるようになりました。その後、フランス上流社会に伝わり、ヨーロッパ各地に広まりました。ヨーロッパ以外の地域にもイギリスによってカレーが伝えられました。このカレーの伝播はイギリスの植民地経営と大きく関係しています。イギリス人はインド人を植民地経済の実質的な労働力として世界各地のイギリス植民地にプランテーションの労働者として送り出しました。そのためインド人労働者の移動と共に当時の植民地だったジャマイカをはじめとするカリブ海地域やフィジーやキリバスなどの南太平洋地域、東アフリカ地域へカレーが伝播しました。また各イギリス植民地や外国公館に赴任するイギリス人は料理人としてインド人を雇って連れて行きました。上流階級に属した外交官がカレーを好むということはイギリスの上流社会ですっかりカレーが定着したことを示しているでしょう。イギリス人により、アメリカ、北アフリカ、南米、アラビア地方へカレーが伝わりました。もちろん日本もこの時代の影響を受け、幕末・明治初期にイギリスからカレーが伝わりました。以上のことから近代以降のカレーの伝播はイギリス帝国主義によって世界各地に伝播しました。

カレーの文化的変容

では次に伝播したカレーはどのようにその文化に受容されたかを説明したいと思います。インドカレーと呼ばれるカレーはインドしか存在していないといえるでしょう。国・地域により入っているものや調理方法はまったく異なります。伝播する過程でその地域の特色とうまく融合して独自のカレーを生み出しました。例えば、フィジーではカジキマグロとココナッツミルクをカレーに入れていますし、ジャマイカではココナッツとタバスコソースを入れたり、イギリスでは燻製のタラを入れたりなどとカレーの中に入っているものを見るとその地域の地域性がわかります。もちろん、日本のカレーも日本独自のものです。

日本カレーの伝播
 
最後に日本のカレーの動きについて言及したいと思います。日本のカレーは近年、台湾を初め、韓国や中国に輸出されています。台湾では日本のレトルトカレーが市場シェア1位を獲得しています。中国・韓国の旅行者の記録などを見ますと日本のカレーとほぼ同じがするなどの記述が多々ありました。日本のカレーが着実に浸透していると言えるでしょう。これも新しいカレーの伝播といえるかも知れません。ちなみに韓国の年配の方は日本のカレーを敬遠しています。旧日本軍は食事にカレーを定番メニューとして取り入れていましたが、軍隊生活を体験した年配の韓国の人にとってカレーは日本帝国主義の象徴、日帝カレーとして敬遠しています。

 

 

 

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