論文要旨

  1. 『友人関係における男性と女性』要旨

    【1】男性と女性とで友人関係のあり方に違いがあるだろうか、またあるとすればそれはどのようなものであろうか? 質問紙調査(青少年研究会によって1992-3年に杉並区・神戸市で実施された)で得られたデータをもとに、この問題を考えることが、本稿の主題である。
    【2】ギリガン、ガーゲン、ベルトー等の、これまで親密な関係についての性差を問題にしてきた人々の見解は、どれも男性が個体志向で女性が関係志向であるという点で共通している。孤独な男性と親密な女性、というわけだ。これは今日の日本でも妥当する見方であろうか?
    【3】調査項目を友人関係における態度特性に関わるものと、行動特性に関わるものとに分類し双方ともに因子分析を施してみると、いずれにおいても三つの因子を抽出することができる。すなわち、
    (1)態度特性:
     第一因子は、広く多様な友人関係を積極的に求めていくという意味で<遠心志向因子>、第二因子は、友人関係から撤退していこうとするという意味で<求心志向因子>、第三因子は、相手やつきあいの程度に応じて関係のあり方が変わっていくという意味で<状況志向因子>と呼びうる。
    (2)行動特性
     第一因子は、一緒にどこかに行ったり何かをしたりすることによって友人関係を構造化するという意味で<行動媒介因子>、第二因子は、部屋や金銭などモノのやりとりを通じて友人関係を構造化するという意味で<モノ媒介因子>、第三因子は、(電話での)会話や恋愛についての相談など物語行為を通じて友人関係を構造化するという意味で<物語媒介因子>と呼びうる。
    【3】そこで各因子得点と性別との関係を見てみると、行動特性因子に関しては有意な相関が見られるが(男性においてはモノ媒介因子、女性においては行動媒介因子と物語媒介因子との得点が有意に高かった)、態度特性因子の方については有意な相関が見られなかった。つまり友人関係を取り結ぶ際に何を媒介にするか、というメディア選択については男女差が見られるものの、そのようなメディアを用いてどのような友人関係を取り結ぶかという点に関しては男女差が見られないのである。
     しかも、行動特性因子を男性親和型と女性親和型とに分けて、態度特性因子との相計数を算出してみると、どの態度特性因子も男性(あるいは女性)親和型の行動特性因子と一義的に強い相関を示したものはなかった。その意味でも態度特性については男女差は見られなかったわけだ。
    【4】したがってこれまでの通説は、修正を要するだろう。たしかに友人関係のあり方に男女差はあるが、それは関係を結ぶ際のメディア選択に関してであって、どのような友人関係を結ぶかについては(少なくとも今日の日本社会においては)男女差が見られないのである。そしてメディアに課せられた性別の区分が次第に解体しつつある現在、メディア選択における男女差もまた減少していく可能性があるのである。

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  2. 「近代的自我の系譜学 1」要旨

    【1】本論文は、自己現象の近代的なあり方を、その三つのヴァリエーションに即して分析しようとするものだ。そもそも自己という現象は、自己と他者との関係が自己の自己自身への関係に転換されたときに成立する。そしてこの転換は、自己の内部に、自己でありながら他者であるような独特の視点(<他者>とこれを呼ぼう)が取得されることによって可能となる。したがって近代的な自己のあり方を考えるということは、以下の3点について問うこととなる。
    (1)近代的自己とは、どのような対自関係の形式を取っているのだろうか?
    (2)この対自関係は、どのような社会関係の転態したものなのだろうか?
    (3)この転態過程は、どのような<他者>に媒介されているのだろうか?
    【3】近代的自己の第一の類型をピューリタニズムと呼ぶことができる。歴史的には17世紀ニューイングランド植民地において発達させられたものである。この自己のあり方は、自己の内部に恩寵の体験を求めさせるという独特の教会儀礼を背景にして、無限に自己の内部を探究するという対自関係の形式をそなえている(対自関係)。この儀礼は、伝統的身分関係と共同体的絆帯の解体にともなって、植民地の人間関係が基本的に異邦人同士のそれになっていたことから要請されたものだ(社会関係)。そしてこの反省の無限性は、「神」という<他者>に媒介されて可能になっている。すなわち神の視点の無限の遠さが、反省を一生涯にわたる無限の反復たらしめるのである(媒介する<他者>)。けれども、無限の反復によっても結局は神の視点を完全に内面化することはできないのだから、神の現実性はしだいに減衰していくことになる。
    【4】第二の類型をスノビズムと呼ぼう。歴史的には18世紀ヨーロッパのブルジョワ市民社会に発達したものである。この自己のあり方は、他者との比較、他者への優越とその是認によって自己を確認するという対自関係の形式をそなえている(対自関係)。これは市場システムの急速な広まり、および市民社会という相互に均質な人々がつくり出す空間が一定の広がりを持ったことを背景にしている。すなわち均質性こそが差異化に向けて人々をつき動かすのである(社会関係)。この比較と是認を担う<他者>は、自己と同権的にこの差異化競争に参加する人々、いわば隣人である。隣人との比較において優越を誇示すること、そしてこの優越への是認を隣人から獲得すること、それがスノッブの自己を支えている(媒介する<他者>)。けれどもこの自己は結局のところ、隣人の視線に依存するものであり、その意味で自己の他有化を招くものである。これを苦痛に思う人々が次の類型を発達させる。
    【5】第三の類型をダンディズムと呼びたい。歴史的には19世紀ヨーロッパの社交界に登場した先端的かつラディカルなスタイルである。これは隣人による他有化の絶対的拒絶を至上命題とするものであり、自分以外のいかなる存在を準拠点とすることも拒むような自己、自己のみを自己の価値の源泉として認めるというような対自関係の形式をそなえている(対自関係)。これは差異化競争が一定の広がりを持ち、それがもたらす他有化を耐え難く感じる人が一定数現れるほどに競争が激化した社会を背景にしている(社会関係)。それゆえダンディたちは、他者の視線による規定をことごとく否定し、<他者>の座を徹底した虚無にまで還元してしまう。だがその結果として彼らは他者との間でのみ意味をもつような、自己のさまざまな実質的規定を失ってしまうのである。
     この三つは通時的な変遷の系列というよりは、むしろ後のものが前のものの上に堆積する形で存在していると考えられる。したがって、近代的な自己のあり方を以上の三類型の輻輳する総体として理解することができるであろう。

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  3. 「私という病」要旨

    【1】本論文は、社会学において自己現象(self)を考えるということが、つまりは何をどのように考えることなのかを明らかにしようとするものだ。その際に、多重人格という現象(それは自己の最低限の同一性の欠落であると考えられる)についてこれまでの社会学的自己論がどのように語り得るのかを補助線としてみたい。
    【2】第一に取り上げたいのは、G.H.ミードの自己論だ。ミードの自己論はつきつめて言えば二つの基本テーゼからなっている。すなわち、一つは自己に対して社会関係の方が先行しているというテーゼ、もう一つは、その社会関係(対他関係)が自己の自己自身へと関係へと転換されたものであるというテーゼだ。後者についてミードは、自己の自己自身への関係を、行為する「I」とその行為を他者の視点からながめ制御する「me」との間に交わされる会話であると定式化している。
     このテーゼを前提にすれば、多重人格という現象は、自己の中に他者が現れてしまうこと、すなわち複数の「me」がうまく統合されずに、その他者としての性格を露呈している事態だと説明されることになる。けれどもよく考えてみると、そもそも「me」というのは定義上他者の視点である(そうでなければ「I」の行為をうまく制御できまい)。ならば、なぜそれは通常は他者として現れないのだろうか。おそらくそれは本来他者である視点を、あたかも自己の一部であるかのように先取りする過程が(通常は)あるからではないか。
    【3】第二に取り上げたいのはE.ゴフマンの「役割距離」論だ。ゴフマンは、人間を複数の役割を首尾よく使い分ける存在と考える。しかしそれらの役割にあまりに没入しすぎると自己を喪失してしまう危険性がああるので、人はしばしばその役割に過度に没入しているわけではないことをあえて示そうとする。これが役割距離だ。けれどもそれによって確保される自己もまた他者の視線に向けて演じられた(役割距離を取るという)役割にすぎず、役割から自由な自己などどこにもないのだ、とゴフマンはいう。
     この考え方から多重人格を見るならば、人格は複数の役割に還元されてしまうのだから、多重人格であることはむしろ当然のことであるということになろう。むしろ役割の背後に一貫した自己が実体として存在していると考える方が誤っている、と。しかし、それならばなにゆえにこれほど(多重人格が病理であるとみなされるほど)一貫した自己への信憑は根強いのだろうか、という問が逆に浮上してくる。ゴフマンは役割の背後には何もない、と主張するが、むしろこの「何もない」(=空虚である)は、複数の役割を一つの場所にまとめあげるような強烈な実体(=空虚がある)として機能しているのではないか。すなわちそこには空虚をあたかも実体であるかのように措定する先取りの過程が働いているように思われるのである。
    【4】結局ミードとゴフマンという代表的な社会学的自己論から洗い出されてくるのは、自己の成り立ちにはある「先取り」のメカニズムが必須であるらしいということだ。ミードやゴフマン(あるいはその後継者たち)は、自己を関係や役割に還元することをもって自己を理解することだと考えてきたが、実のところほんとうに問われなければならないのは、むしろ関係や役割が自己へと転換していくためには、先取りの過程(他者を自己として、空虚を実体として)が必須であるということではないか。そしてこの先取りを首尾よくおこなうために各社会がどのような装置を用意しているのかということではないだろうか。そのような先取りを可能にしている社会的条件を考えること、それが社会学的に自己現象を考えるということなのである。

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  4. 「自我論になにができるか」要旨

    【1】社会学はしばしば大文字の「問題」に取り組む学問であると見られがちであるが、「この私」というミクロな問題に対してはどのような示唆を与えることができるだろうか。すなわち「私は何者なのか」というごく私的な、しかし誰でも一度はしたことがあるであろう問いかけに対して、社会学は何を答えられるのだろうか。それを本論文では考えてみる。
    【2】社会学において自我を分析するための装置は、まずはミードの理論によって準備された。彼の議論は、モナドのごとき自己完結した実体としての自我という近代的自我観を解体し、社会的関係の一次性を主張するものだ。すなわち自分が何者であるのかということはあくまでも他者との相互作用の中で決まってくることであり、相互作用を離れては自己は何者でもあり得ないだろう。そしてこの他者との相互作用を通して、人は自分自身のうちに他者の視点を取得し、他者の視点から自分を眺めることができるようになる。このときはじめて自己が成立したと言い得る。すなわち他者との相互作用が、行為する私(主我 I)とそれを他者の視点から評価する私(客我 me)の間の関係へと転換されたときそこに自己が成立するのである。
     このことから、私が変わるためには関係が変わらなければならないという結論を引き出すことができるだろう。しかし実際には、関係を変えるのはそう簡単ではない。むしろ私が変わらなければ関係も変えられないように感じられることの方が多いだろう。私を変えようとすれば関係を変えねばならず、関係を変えようとすれば私を変えねばならない。この循環は何を意味しているのだろうか。
    【3】このような循環を自らの理論の主題としたのがルーマンだ。彼は自己を無数の思考が連鎖してつくり出すオートポイエティックシステムであると考える。オートポイエシスとは、要素のネットワーク(システム)が要素の再生産を通して自らを再生産するような関係の形式のことだ。たとえば細胞内の物質代謝と細胞膜との関係のように、相互に相互を前提し合うような関係の形式をそれは意味している。自己という現象の場合、思考の連鎖が自己を他者から区別されたシステムとして成り立たせ、自己というシステムが他者から区別されてあることが思考の連鎖の再生産を保証する。このような循環の形式によって関係が自己を産出し、自己が関係を産出することになる。つまり自己とはそもそも循環をはじめから含んだシステムなのだ。
     けれどもこの循環は近代社会においてはとりわけ問題と感じられるようになってきている。自分を変えたいと願う人が、上で見たような困難に逢着してしまうのはその典型的な例である。それではなぜ近代だけがこれを問題として見出したのだろうか。
    【4】この点に関しては、ギデンズの分析が参考になる。彼の考えでは、近代社会というのはその基底部分に再帰性を組み込んだ社会であり、どのような行為・制度・規範も、たえざる書き換え(自己吟味とそれに基づく修正)過程にあるようなそういう社会である。これは「空間・時間の分離」と「伝統的・ローカルな文脈からの離脱(脱埋め込み化)」という二つの要因によって社会生活の大部分が別様でありえるものとなった結果である、と彼は指摘する。そのため、近代社会において再帰性は社会のすみずみにまで浸透しており、自己という現象もまたその例外ではあり得ない。すなわち、近代的な自己は、絶えざる書き換えの過程にある構築物となるのであり、その結果、「自己」とは自己自身にとってもっとも重要な課題となる。このことが、自分を変えたいという欲望を強化し、自己の基底にある循環を「困難」として浮上させるのである。

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  5. 「物語療法は社会学的自己論に何を教えるか」要旨

    【1】現在、家族療法においてシステム論(家族療法発生初期の理論枠組)から物語論(80年代終盤に登場)への大規模なパラダイムシフトが進行中である。家族療法は、「自己」と「コミュニケーション」のあり方に変容を導くための技法であるから、このパラダイムシフトから社会学的自己論も何らかの理論的示唆を得ることができるのではないかと思われる。だとしたらその示唆の内容はどのようなものであるのか。それが本論文の課題である。
    【2】物語療法は具体的には次のようなステップを踏んで行われる。
    (1)クライエントの現在の語りに耳を傾ける。この語りはクライエントの生のある側面を、他者から与えられた枠組みによって切り出し、組織化するものであり、「ドミナントストーリー」とも呼ばれる。これがクライエントの経験に十分フィットしていないことが苦痛をもたらしているとされる。
    (2)クライエントのさまざまな経験の中からドミナントストーリーに組み込まれていないもの(ユニークな結果)を、見出し、それに光を当てる。これによって唯一の(自然で必然的な)語り方であると思われていたドミナントストーリーが、別様に語り得るものとなる。
    (3)クライエントが、そのユニークな結果を組み込んだ新しい物語を語り得るように支援する。
     最終的にクライエントにとってより生きやすい物語が語られるようになれば、セッションは終了することになるのだが、この新しい物語は古い物語とまったく断絶したものであってはならないとされる。むしろ古い要素のかなりの部分を継承し、連続性を保持しながら異なる物語へと移行しなければならないのである。
    【3】このようなアプローチは、社会学的自己論の常識的な前提とは対立する部分を含む。そもそも社会学的な自己論は次の二つのテーゼを前提にしているのであった。
    (1)対他関係が対自関係に先行し、自己の変容は関係の変容を前提とする。
    (2)自己とは自己内対話であり、自己の変容はこの対話から生み出される。
     だが第一のテーゼに反して、物語療法は実際には関係ではなく、物語へ介入しそれを変えるものだ。また第二のテーゼに反して、物語療法はその変容を「自己内対話」からではなくセラピストとの対話から引き出す。このような違いは、物語療法の知が臨床的なそれであることから生じるものと考えられる。すなわち実践的な効用という観点からの試行錯誤の結果、物語論的アプローチが選び出されてきた、ということだ。
    【4】では社会学的自己論にとって、以上の物語療法の発想が教えてくれるのはどんなことなのだろうか。これをおそよ二点にまとめることができるように思われる。
     第一に、自己現象を考える際に関係に還元するという操作だけでは十分ではなく、いつでも物語をともなわずにはいないということ。なぜならどのような関係に還元するのかということは一定の物語を前提にしなければ決定できないのだから。第二に、その際、物語は必ず他者に向けられていること。つまり物語は自分自身に向けて語られるものであると同時に(あるいはそれ以上に)他者への伝達に志向するものなのだ。
     これによって社会学的自己論の二つのテーゼが棄却されてしまうわけではない。それらが視野から落としていた物語という概念を明示的導入すべきではないかということだ。

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  6. 「消費社会と『私』言説の変容史−−ananの記事を素材に−−」要旨

    【1】自己は、自分自身を物語るという営みによって構成される。しかしその語り方は恣意的なものではなく、社会的に規定されたものだ。というのも物語は聞き手によって受け取られることによってはじめて現実を構成するのであるから、受容されやすい型によって語られることが多いからである。このような受容されやすい、それゆえ流通しやすい物語の典型として雑誌言説を取り上げ、そこにどのようなパタンがあるのか検討していきたい。すなわちそこで「私」を語るためにどのようなレトリックが用いられているか、その歴史的な変遷を追ってみたい。
    【2】具体的には『anan』という雑誌の特集記事を素材として利用する。自分を主題化することが主たるテーマであるような特集記事を取りだし、そこでどのようなレトリックが用いられているのかを見る。このような特集記事は、1974年と1979・80年に集中的に現れるのだが、この二つの時期はしかしそれぞれ異なるレトリックによって「私」を語っている。この語り方の違いは、戦後日本が消費社会化していくその異なる段階に対応しているように思われる。
    【3】1974年の諸記事でくり返し用いられるレトリックを抽出し、グルーピングすると<役割タイプへの言及>、<内面と外面との融合>、<演出>の三つになる。これは外(例えばエディタやスタイリスト、あるいは諸種のスターたち)から与えられた理想のモデルとの距離によって自分を語り、どれだけうまくモデルに近づけて「自分」を演じきることができるか、ということを語りの中心にしていた。またこの場合、理想のモデルというのは主としてその「外見」によって「理想」とされるものであり、そのため内面を語る言葉はみな外面を語る言葉に回収されてしまう。いいかえると外見として表現されるかぎりにおいて(そしてそのかぎりにおいてのみ)内面を言い表す言葉は場所を与えられていたのである。
    【4】同様に1979・80年の諸記事でくり返し用いられるレトリックを抽出し、グルーピングすると<なりたい「私」>、<発見する>、<表現する>、<内面と外面の分離>、<思い込み>、<個性>の六つとなる。このレトリックは、自らの視線をたえず内部へと屈曲させてていくような再帰的な「私」を構成するものだ。この「私」を特徴づけているのは、内部性(私は内部からのみ定義可能である)、自己準拠性(自分自身のうちにのみ支えを持つ)、再帰性(自分自身に問いを投げかける)、無限性(再帰が無限にくり返される)だ。「私」は、個性の存在する場所である「(私の)内側・奥底」を焦点として語られるようになる。このような語りを通して「私」は、外部の他者に依存しない固有の領域を構成するようになるのである。
    【5】1974年と1979・80年はそれぞれ第一次、第二次のオイルショックによる景気の後退期にあたっており、上で見た特集記事はいわば個人消費を喚起するための資本の言説戦略と見ることができる。だが同じ景気後退期でも、1965年のいわゆる証券不況期にはこのような自己語りの言説は増えない。逆に言えば、自己を消費との関係において語るような形式が主要なモードになるのは1970年代に入ってからということになるだろう。これを本格的な消費社会の開始点と見ることもできるかもしれない。
     他方、74年と80年とのレトリックの差異は、消費へと人を動機づける形式が他律的な(外側からモデルを与えられることによる)ものであるか、それとも自律的な(たえず自己準拠的にドライブされる「個性」探究による)ものであるかの違いに対応していると考えられる。すなわち消費社会の初期段階と成熟期との違いと見ることができるのである。

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