新しい教育評価をふまえた学校づくり

 平成十年版学習指導要領実施に伴って、指導要録等の評定が絶対評価へと転換されることにより、公立学校は人材の選別・配分機能を大幅に縮小することとなる。競争社会における序列化と無縁な教育を可能にするこの変更は、社会の階層化を加速させ、社会の変化に対応できない人間を大量に生み出す可能性もはらんでいる。階層間格差の縮小を図るため、学校教育法に明記された「国家及び社会の形成者として必要な資質を養う」という学校教育の目標を念頭に置き、児童生徒や保護者のニーズに応えるだけの福利厚生施設にならないための学校作りが求められる。

1.階層間格差拡大の懸念

 上昇志向の強い家庭の児童生徒にとって絶対評価は、公立学校を見限って塾通いや私立学校への進学を選択する契機となりうる

 このような傾向を放置すれば、カリキュラム内容の「三割削減」と相まって、貪欲に学習を欲する児童生徒と学習指導要領レベルの内容をところどころ取りこぼしながら学習する児童生徒の二極分化、ひいては社会の階層分化を加速することが懸念される(苅谷剛彦『階層化社会と教育危機』有信堂高文社、2001年)。しかし、私学受験や塾通いが各家庭の教育方針によるものであり、また上昇志向も向上心の一種であるからには、これを一概に否定することは慎むべきである。またそのような傾向を学校教育の努力によって押しとどめることは事実上不可能である。階層間格差の縮小を望むならば、国民全体の学力向上によって相対的に下位に位置する階層の底上げを図る方が賢明である。

2.「学ばざる者食うべからず」の時代

 「学ぶ喜び」をキーワードとして公立学校のカリキュラムを編成するならば、階層間格差の拡大を助長することになる。学校における学びは、児童生徒の興味関心のおもむくままに行われるのではなく、社会的に必要とされる技能や知識の獲得を志向して行われねばならない。なぜならば、現代社会はG8教育大臣会合が2000年に明言したとおり、「高い技能レベルを身につけ維持でき・・・ない者は安定した職業及び、その職業によって得るべき社会的・文化的生活活動に必要な収入を得る見通しも立たない」という状況を迎えているからである。いわば現代社会は「学ばざる者食うべからず」の時代である。
 
3.危機管理能力としての「生きる力」

 一部の読者にとって、筆者が提唱する「没落に備える教育」は、「自己実現」や「自分探しの旅」を標榜する「「生きる力」を育てる教育」と相容れないかのように見えるかもしれない。しかし、むしろ「「生きる力」を育てる教育」自体が危機に備える教育としての性格を帯びている。そもそも、中教審第一次答申(1996)において「生きる力」は、正確には「変化の激しいこれからの社会を生きる力」と明記されている。

4.原理上は「全部できてふつう」

 「生きる力」を危機管理能力としてとらえるならば、興味関心や意欲のおもむくままに学習するだけの「自ら学び、考える力」では不十分である。すぐれた着想を得るためには豊富な知識が必要であるし、思いつかれた問題解決策の実現可能性を高めるためには反復練習によって獲得された高度な技能が必要であるからである。どちらも猛然と学習することなしに獲得されることは期待しにくい。このことをふまえるならば、児童生徒が実社会に出るまでの期間を考慮に入れたとしても、「「生きる力」を育てる教育」における絶対評価は、大半の児童生徒にとっては高い評定を得ることが困難な厳しいものになるはずである。まして、文部科学省自身が「三割削減」批判や「学力低下」への懸念に応えて、学習指導要領の内容は最低水準であると位置づけている。文部科学省の見解に従えば、少なくとも「知識・理解」に関しては、原理上は「全部できてふつう」ということになる。

5.「豊かな人間性」を涵養する特別活動

 「自ら学び、考える力」が強調される一方で、中教審が提唱した「生きる力」に自律心・協調性・思いやりといった「豊かな人間性」が含まれていることは見過ごされがちである。しかし、これらもまた健康や体力とともに、今後の過酷な社会を生き抜く上で不可欠の能力である。

   従来の学校教育において豊かな人間性の涵養に寄与してきたのはもっぱら特別活動である。行事の運営は児童生徒にとって共同作業によって大事業を成し遂げる重要な機会であったし、学級を単位とする学習活動は、教えたり教えられたりすることで奉仕や感謝の心を育てる機会となっていた。

 「生きる力」の一環たる豊かな人間性を涵養する過程における特別活動の意義を再認識し、特別活動を再編・存続する努力が必要である。

結語

 「生きる力」には自己実現という周知の側面と、危機管理能力をもった人材の育成という側面とがある。本稿は後者に注目することで、絶対評価導入後の学校のあり方について論じた。これは前者を軽んじるからではなく、後者が前者の前提条件となっているからである。何かの魅力にとりつかれてどんな貧苦もいとわない一握りの人をのぞいて、「食うに困らない」程度の物的豊かさなくして「自己実現のため」の学習などおぼつかない。そして現代社会において「食うに困らない」境遇は、不断の学習によってみずから達成しなければならない課題である。
 
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