多様な指導方法の工夫

はじめに

 指導方法に関して重要なことは、児童生徒の実態と教育目標に照らして有効な方法が適切に採用されることであり、指導方法が多様である必然性はない。他校との差別化を目指すあまり右顧左眄することなく、先入観を排して適切な指導方法を採用すべきである。その際、単純計算や音読のような、伝統的に重んじられてきた反復練習の積極的意義を見直すことさえも躊躇すべきではない。教師の経験則にもとづいて継承されてきた指導方法を無価値なものと決めつけ、教師を「意識改革」の対象とのみ位置づけることは、先入観にとらわれた学校づくりの最たるものである。

1.特色づくりのためでなく、必要に応じた多様化を

 「学力観の転換」以降の学校教育の場には、目に見える改革を急ぐあまり、指導方法の選択肢が、体験的活動・表現活動・一人調べなどを積極的に採用した、いわゆる「「生きる力」を育てる授業」に偏る現象を見いだすことができる。指導方法の偏りを示す資料の一例として、ベネッセ研究所による『第3回学習指導基本調査速報版(ベネッセ研究所、2002年)』を見るならば、調査対象となった小学校教師のうち、「体験することを取り入れた授業」「表現活動を取り入れた授業」「自分で調べることを取り入れた授業」のそれぞれについて「多くするように特に心がけている」と回答した者は64.0%、55.6%、53.1%に上る。

 このような体験的活動等の偏重が、教師に不必要な負担を強いている可能性は否めない。体験的活動等になじまない授業もあるからである。たとえば、体験的活動等は児童生徒の関心に応じて活動内容が多様化してゆくことが多く、教科書の内容にそった授業においては時にその多様性が授業の効果を殺ぐことがありうる。そして同調査では、「学力低下」論議の影響か、「教科書にそった授業」を心がける小学校教師が、1998年の調査から倍増して28.3%となっている。体験的活動等と、教科書にそった授業の双方を重視するのであれば、ある時は教科書の内容にこだわらず体験的活動等を積極的に採用した授業、別の時は体験的活動等を取り入れず一問一答形式(発問−応答−評価型)や講義形式の授業、といった使い分けが必要である。そのような使い分けが、結果的に、各学校における指導方法の多様化を実現する。

2.先入観にとらわれない指導方法の採用を

 指導方法の使い分けに際して重要なことは、「生きる力」の育成を図るなら体験的活動、基礎基本の定着を図るなら百マス計算やドリル、音読などの反復練習、というように、目標と方法の対応関係をあらかじめ決めてしまわないことである。というのも、指導方法とその効果の関係は複雑で、必ずしも理論通りではないからである。

 もとより、「「生きる力」を育てる授業」を全否定して単純計算や音読のような反復練習を過大評価することも、先入観にとらわれた指導方法の採用にほかならない。重要なことは単に反復練習を復権させることではなく、教師を「意識改革」の対象とのみ見なして彼らの直観や経験則を無価値なものと決めつけないことである。教育行政当局の方針も有識者の理論も鵜呑みにせず、指導方法の有効性を経験的に確かめてゆく地道さが必要である。

 とはいえ、このことは教師の主張を絶対視することを意味しない。すべての教師が経験にもとづいて指導方法を採用しているわけではないからである。むしろ少なからぬ教師は各自の教育論を金科玉条とし、その理論に反する事実に直面してもみずからの教育論の修正と指導方法の変更を拒絶する性行を有している。

 教師に必要な「意識改革」があるとすれば、各自の教育論に自信と誇りを持つ一方で、直観や経験則、実証的データなどによってその教育論の妥当性を絶えず検証し、時にはその教育論に反する指導方法を、半信半疑ながらも試してみるような柔軟さを身につけることである。一つの(各自の)教育論から別の(教育行政当局の方針にそった)教育論に鞍替えすることではない。

3.指導方法の変化に対応できるけじめと指導性を

 教師が多様な指導方法を臨機応変に採用することは、児童生徒を戸惑わせることになりかねない。一人調べの時間は教室の出入りさえ自由なのに、百マス計算や音読の時間は物音を立てることもできない、ディベートのような資料批判を必要とする学習活動がある一方で、教科書をはじめとする大半の教材内容に対して児童生徒の批判は許されない、というようにである。この戸惑いを最低限に抑えて各々の指導方法の効果を最大限に発揮させるためには、指導方法をめまぐるしく変更することのないよう配慮するとともに、児童生徒にけじめのある生活習慣を身につけさせることと、それぞれの場面にふさわしい立ち居振る舞いが何であるかは教師が決めるということを児童生徒に承知させておくことが必要である。

おわりに

 児童生徒の「みずから学び、考え、行動する力」の育成が目指されているということは、彼らのそのような能力が未だ不十分であり、教師の指導のもとで洗練されるべきであるということである。児童生徒は教師の指導のもとで「みずから学び、考え、行動する」練習を繰り返すのであり、反復練習を重んじる指導方法や、けじめや教師の指導性は、「生きる力」の育成と矛盾するどころか相通じるものである。

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