禁じられた「故郷」

あまんきみこ作『車のいろは空のいろ(ポプラ社)』は、「白いぼうし」が長年小学校の国語教科書に採用されていることで知られている創作童話集です。もっとも、近頃は童話集のタイトル自体が『白いぼうし』にあらためられてしまっているようですが。

この童話集に収められている童話には、どれもみな、不本意ながら故郷を離れることを余儀なくされている動物たちが登場します。故郷を捨てた熊、郷里を離れて医者を目指す山猫、釣られた仲間を連れ戻しに来る魚たち。「白いぼうし」の蝶もまた、人間につかまって故郷から連れ去られて松井さんと出会います。一見主人公に見えるタクシー運転手の松井さんは、それらの動物たちの世界を読者とともにかいま見る狂言回しにすぎません。そして、松井さん自身が故郷を離れて暮らしている点で、登場する動物たちと似通った境遇にいます。

これらの物語はどれもみな、作者であるあまんさんご自身の境遇を下敷きにしているように私には思えます。

あまんさんは旧満州のご出身で、戦後日本に「引き揚げてきた」方です。「引き揚げ」というのは、日本から旧満州に渡った人についての表現で、旧満州で生まれた人達にとっては、「故郷を追われた」というほうが正確でしょう。その後旧満州は中華人民共和国(中国)の領土となり、『車のいろは空のいろ』初版発行当時は日本と中国の間に国交もなく、帰るに帰れない故郷だったはずです。

しかも、戦後の言論において旧満州国は、もっぱら「日本が仕掛けた侵略戦争」の文脈で語られてきました。旧満州で生まれた人々にとってはそこがかけがえのない故郷であることなど、声を大にして語ることがはばかられる私事に過ぎませんでした。旧満州は、帰るに帰れないだけでなく、語ることさえはばかられる故郷だったはずです。

私は、あまんさんが描く動物たちに、帰れない故郷を懐かしむことさえ許されない、旧満州生まれの「引き揚げ者」を見ます。とあるウェブサイトで読んだ記事によれば、あまんさんに「引き揚げの話は書かないのか?」と問うた人がいるそうですが、その人は一体どこに目をつけているのでしょうか?

軍事や戦争が少しでも関連することは、ポジティブな文脈で語ることを決して許さない、おそらく日本独特の言語空間が、『車のいろは空のいろ』を生み出したように思います

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