「護身用のナイフ」をめぐる雑感二題

詳細は知りませんが、またしても、ちょっとしたいさかいから中学生が「護身用のナイフ」で人を刺す事件が発生したようです。

「爆弾を作ってみたい高校生」の前の私は、「ナイフを常時携帯する中学生」でした。その経験をふまえて、「護身用のナイフ」についてコメントするならば以下の二点です。


(1)道具か、玩具か:肥後守からバタフライナイフへ

私が中学生だったころ、大人ぶった子供が持つナイフといえば「肥後守(ひごのかみ)」が主流でした。見たことのない人のために解説しますと、「肥後守」というのは、厚手の刃に鉄板を曲げて作った柄がついている無骨なナイフです。下の図1をご参照ください。さらに実物の写真をごらんになりたい方は写真1をご参照ください。

図1および写真1は齋藤紀行氏のご厚意により、同氏のウェブサイト「肥後守博物館」から転載しました。転載に際して当サイト内の整理の都合上ファイル名を変更してあります。オリジナルのファイル名はそれぞれ、part.gif, kato.jpgです。




図1 肥後守図解 (c)1997 SAITO Noriyuki

使用時に刃を固定する機構として、図1では「チキリ」と呼ばれている刃の付け根にある部品を使用者自身が親指で押さえる、という極めて安価で原始的な仕組み? が採用されています。これは実はとても大切なことで、刃の根本を親指で押さえなければ使えない肥後守は、ケンカで相手に致命傷を与えることがきわめて難しいナイフです。さらに、肥後守は、竹とんぼなどを作るための道具として作られたナイフであり、誰もが似たようなものを持っていたわけですから見せびらかしようのないナイフだったといえます。もっとも、当時はすでに竹とんぼなどを手作りする子供は少なく、肥後守を携帯する動機の半分くらいは見せびらかすことだったと思われます。

これに対して、黒磯の公立中学校で起こった中学生による教師殺害事件で一躍有名になったバタフライナイフは、今日では隠し持って人を刺すこと以外これといった用途のない特殊なナイフです。下にバタフライナイフとハンターが獲物の小動物を解体するときなどに使うナイフの写真を示し、バタフライの特徴を解説してゆきます。

       
写真2 バタフライナイフ      写真3 ハンティングナイフ
 (c)2003 YAMADA Masahiko

まず、両者の刃の形が酷似していることに注目してください。これは、バタフライナイフがハンティングナイフと同様に、アウトドアで肉や野菜を調理したり、ちょっとした木材を加工したりできる強度をもっていることを示しています。なお、バタフライの刃の先端が丸まっているのは、私がヤスリで削り落としたためです。学生に見せる際に危険のないよう、刃も削り落としてあります。

一方、柄と刃の間の角度に大きな違いがあることに注目してください。バタフライはより直線的な角度を持っており(というか、構造上直線にすることしかできず)、実際に使ってみると「切る」という作業にはきわめて使いにくい角度であることがわかります。

ついでにいえば、バタフライの刃の根本には、柄との接合部の強度を増すための丸い出っ張りがついていますが、これは鉛筆を削るときなどにとてもじゃまになります。

これら二つのデメリットを冒して、バタフライが独特の構造の柄を持っているのは、片手でスピーディに開閉でき、しかも握ってしまえば刃が折りたたまることがなく、自分の指を傷つけない、というメリットを追求したためです。アウトドアでナイフを使う際、片手でナイフを開閉することはとても重要です。というのも、ナイフや切る(削る)ものを置いておく作業台があるとは限らず、片手に切る(削る)ものを持ったままポケットからナイフを出してポケットに戻す、といった作業が必要になる場面がしばしばあるからです。

鈴木アキラ『キャンプで活躍! ナイフ・ナタ・斧の使い方』(山と渓谷社、2000年)は、バタフライナイフについてこう書いています。「昔はこのバタフライナイフくらいしか片手で開閉のできるフォールディングナイフというものは存在しなかった。アウトドアユースにおいて片手で開閉できる優位性は非常に高く・・・(p.78)」と。

しかし、その後片手で開閉するためのより合理的な機構が開発された結果、バタフライナイフのメリットは相対的に失われ、刃や柄の構造上使い勝手が悪い、というデメリットが前面に出てしまうことになりました。その結果、残された用途は、「隠し持って素早く取り出し、人を刺す」ことになってしまいました。何しろ、コンパクトに折りたためてスピーディに開くことができ、しかも相手の反撃を受けても刃が閉じてしまうことがない、というバタフライナイフの構造は、まるで最初からそのために設計されたかのように、ケンカにもってこいです。

前述の鈴木アキラ氏は言います。「バタフライナイフは誤った使い方をされたために、日本のナイフ界から葬り去られてしまった実にかわいそうなナイフといえる」と(p.78)。
最初から人を刺すことを目的としてバタフライナイフを所持する中高生はそれほど多くはないでしょうし、彼らがバタフライナイフで調理をしたりロープを切ったり小枝を削って焚き付けを作ったりする場面は想定しにくいので、ほとんどのバタフライナイフは見せびらかすため、あるいはテレビドラマで人気俳優がやっていたようにチャリンチャリンと曲芸のように開閉して楽しむためのナイフということになります。彼らがそれで鉛筆を削っていたとしても、それは「バタフライナイフを携帯する口実として鉛筆を削っている」に違いありません。鉛筆を削るならもっと使いやすい道具がたくさんありますから。

「人斬り包丁」と揶揄されることもある日本刀*が美術品としてコレクションの対象となるくらいですから、人を刺す以外これといった用途のなくなってしまったバタフライナイフがコレクションの対象となること自体に目くじらを立てても仕方がないのですが、問題は、人を刺すための構造や強度を持ったナイフを携帯している青少年が、ナイフの使い方にあまりにも無知である点にあります。

*鈴木眞哉『刀と首取り』(平凡社、2000年)によれば、日本刀が戦場で兵器として使用されることはほとんどなかったようですが、その点の追究は別の機会に。
道具としてのナイフなら、日常的に使用しますから、おのずから、あるいは周囲の年長者から教えられて、ナイフの危険性と安全な取り扱い方法は身についてゆくものです。刃を自分の方に向けて使ってはいけない、受け渡しの時には刃を人間に向けない、刃を出したまま床や机の隅に置かない、刃を破損する恐れがあるのでこじったり叩いたりしてはいけない、等々。時には自分が怪我をして、びっくりするほどの出血を見ることもあるでしょう。どのくらいの力でどの程度の怪我をするのか、いやでも身につくはずです。

それに、道具は使っているうちに愛着がわいてくるものです。現に、アウトドアマンなどナイフを日常的に使用している人の中にはナイフの目的外使用(人間の殺傷)を厳しく戒めている人が多いようです。
またしても鈴木アキラ氏は言います。「持つ人間が道具としての使い方を知り、愛着を持って使うならば、その刃物は武器にはならないだろうと、僕は思う」と(p.9)。
しかるに、子供にナイフの使用法を教えないならば、ナイフを携帯することには「見せびらかす」と「御守代わり」以外の意味はほとんどなくなります。しかも、子供たちからナイフを取り上げるならば、ナイフの希少価値が高まり、より見せびらかし甲斐のある「かっこいい」アイテムになります。ナイフを隠し持つ方法はいくらでもあり、取り上げるには限度があるからです。そして、使うときは手加減もなく人を刺すときだけ。

世界的に見れば、ナイフが生活に密着している地域は今でもたいへん多く、成人男子の正装には短剣を帯びることが含まれている地域さえあります。今、ナイフを使った青少年の犯罪を抑止するためには、むしろナイフの安全な使い方を普及させることではないかと思います。(未完)

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