前回フォーメーションについて書いたおり、思い出したことがあります。いわゆる「酒鬼薔薇事件」の被疑者が逮捕される前の、事件現場周辺での集団登下校のことです。
母親と思われる付き添いの大人たちは、それぞれが我が子と思われる子どもの手をしっかりと握って歩いていました。怯える子どもを安心させること以外、この付き添いに意味があったとは思えません。万一犯人(当時はまだ中学生であることは判明していませんでした)が襲撃してきたら、そしてその時に備えて保護者は付き添っているはずでしたが、彼らは子どもを抱きかかえて逃げない限り子どものスピードでしか逃げることができず、そして子どもを抱きかかえようとすればしばしその場にしゃがみ込まざるを得ず、結局なすすべなく犯人の餌食になるほかないように見えました。
大人がいることで襲撃を抑止する効果も、それほど高いとは思えませんでした。当時通り魔事件が頻発して、親子連れが殺傷されるような事件も発生していたからです。
子どもより先に襲撃者を発見する、襲撃を妨害し、子どもを安全な場所に誘導する、という3点が付き添いの目的だと想定すると、そして私は付き添いはそのようなものであるべきだと思いましたが、保護者は次のようなフォーメーションを組むべきであろうと思われました。
こんな話を真顔で学生にして、奇異の目で見られたものでしたが、再び同様の事件が発生したら、私は性懲りもなくこの話をすることでしょう。幸か不幸か、格闘技等の経験のない人々にとりうるこれ以外のフォーメーションを、私はまだ思いついていません。