戦争当事国に住んでいた

 4月以降のことはともかく、3月までは国立大学に勤務する国家公務員であるところの私の住居は、公務員住宅です。国を預かる仕事をしている人々の団地らしく、先日まわってきた回覧板には、テロ対策を呼びかける文書がはさんでありました。

 内容はふだんの防犯対策と大差なく、不審者・不審物・不審車両に注意とか、留守にするときは隣近所声をかけ合って、とかなのですが、それらが「テロ対策」として列挙されているところに時局を感じました。

 自衛隊のイラク派遣が本決まりになるはるか以前に、東海道新幹線を狙うテロが国際テロ組織によって計画されていたと、先日の新聞報道にありました。アメリカの同盟国云々以前に、新幹線は「豊かさの象徴」として、貧しさを常とし、また貧しさによる現体制への不満を利用したいテロ組織にとっては攻撃目標となりうるようでした。

 以前私は、「犯人たち独自の理屈によって、我々から見れば「ランダム」に思えるような新たな標的が狙われる可能性」を指摘しましたが、残念なことにその指摘は当たらずといえども遠からずといったところでした。

 アメリカ合衆国本土への大規模攻撃が可能であることが明らかになってしまった2001年9月11日、「パックス・アメリカーナ」の時代は終わり、テロ組織vs国民国家という非対称型の第三次世界大戦が始まりました。私たちは今、戦争当事国に住んでいます

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