またか。またしてもか。


またか。またしてもか。

2005年2月14日午後3時ごろ、大阪府寝屋川市立中央小学校に同市内に住む職業不詳の少年(17)が侵入し、教職員3人を持っていた包丁で切りつけた。5年生の担任教師(52)が背中などを刺されて病院で死亡、女性教諭ら2人は腹を刺され重傷を負った。亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒、そして未成年なるがゆえに法の「裁き」を免れるかもしれない加害者への天罰を切に祈る。

容疑者は、職員室への案内を請い、案内している教員を背後から刺したらしい。

きっとこうしている間にも、各地で再発防止策が検討されているだろう。是非対策の中に加えてほしいノウハウがある。

訪問者を案内するときは、訪問者の後方に立つこと。

訪問者を視野の外に出さない。不審な動きがあれば目視により確認できる。産業スパイ防止の観点から、企業でも推奨されている作法だと、ずいぶん以前に聞いたこともある。

「こちらへどうぞ」「そこを右です」「正面が校長室です」と要所で口頭指示を出し、その都度進行方向を指さしてみせれば、後方から道案内することは決して難しくない。予算も時間もいらない。

訪問者の後方に立つのは失礼ではないか? との疑問があればこう答えよう。心がけによっては、訪問者の前に立つ方が失礼だ、と。

訪問者の前に立って先導するのは、「ついてこい」ということだ。訪問者のペースで歩くのはけっこう疲れる。複数の自転車や自動車を連ねて走る時のことを考えてみればよい。先頭がいかに神経を使うか。あるいは、マラソンや駅伝を先導する白バイ警官がどれほど頻繁にバックミラーを見ているか。その気配りを忘れたら、訪問者が先導者のペースに合わせて歩くことになる。

職場の親睦会で、国技館の枡席で相撲見物をしたことがある。弁当とお土産の入った紙袋を持って、若い衆が指定席まで案内してくれるのだが、若い衆の歩くスピードが猛烈に速い。人混みの中、あやうく見失うところだった。しかし若い衆は一度も振り返らなかった。程度の差こそあれ、先導には常にこういう身勝手さがつきまとう。

そう考えれば、訪問者の後方に立つことは決して失礼ではない。訪問者に自分のペースで歩いてもらえるからだ。


それにしても思い出されるのが、二十年以上前、白バイの動きをめぐって指摘されていたこんなことだ。

「日本の白バイは、違反車両を停止させた後、車両の前方に停止する。アメリカでは停止させた車両の後方に停止する。車内の人物から発砲される危険を低減するためだ」

鮮明に覚えているのは、この文章を目にして間もなく、軽微な交通違反で停車を命じられ、前方に停車するパトカーを見ながら「なるほど、その気と武器さえあればあのパトカーはハチの巣だ」と思った経験があるからだ。

かつて「治安大国」と呼ばれた日本に、「銃と暴力の国」アメリカのノウハウが必要な時代が来てしまった。半ば「精神を病んでいる」状態で私が蓄積したこの種の知識もまた、急速に実用性を増している。

嫌なご時世である。

追記(05.3.30.) 刑事コロンボ「魔術師の幻想」に、「被害者がこの位置にこの姿勢で倒れているなら、ドアの鍵は犯人が開けたはずだ」という推理が語られるシーンがある。私にとってはコロンボの論理的思考に気づいた最初の、記念すべきシーンなのだが、このシーンでコロンボは「来客を案内しているさいちゅうに来客自身に撃たれたなら(身体の前面で弾を受けるので)仰向けに倒れる」という点を指摘する際、「客の後ついて奥に来て」とはっきり言っている。アメリカでは、来客は後方に立って案内することが常識と見なされているらしいことがうかがわれる。
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