創基150周年記念

学芸大学の桜

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昭和から平成の時代に学芸大学に在学・勤務した人ならば、誰しも爛漫と咲く桜の花を、そこかしこに見た記憶があると思います。バス通りから正門へ至る道、本部棟の前、体育館横の通り、グラウンド北側など、至るところで桜の花咲く本学は、学内関係者のみならず地域の住民にとっても花見の名所として知られるところでした。キャンパス内にある桜は種類も多く、ソメイヨシノやヤマザクラ以外にもシダレザクラ、オオシマザクラ、カワヅザクラなど10 品種ほどあり、その総数は300 本以上もありました。

ところが令和になり、桜の大木が何本も伐採される事態が生じています。かつて正門前の道には50 本の木が見事な桜並木を作っていましたが、現在それは19 本に減っています。また、入学式や卒業式に多くの人が記念写真を撮った本部棟前の桜は今では皆無となりました。なぜこのようなことが起きているのか、学内の桜の歴史を振り返りたいと思います。

現在の小金井キャンパスは、かつて陸軍の技術研究所があった場所です。昭和15(1940)年に広大な農地を買い上げて研究所の用地を造成しましたが、当初、桜はありませんでした。この地に桜が植えられたのは、昭和20 年に天皇が技術研究所を視察する計画があり、その前年に急遽、正門前の通りを整備し桜並木を作ったのが始まりといわれています。戦後になり、第2 師範学校が池袋から小金井に移転し、その後、新制大学として東京学芸大学が開学しても、当分の間、桜はおろか他の木々もあまり生えていない状態が続きました。

昭和30(1955)年を過ぎると構内で少しずつ植栽もなされるようになり、昭和33 年には体育館横の通りに桜の苗木が植えられています。しかし、キャンパス内に大規模な植樹が始まったのは、昭和38(1963)年以降のことでした。この頃、鉄筋コンクリートの建造物を作ると、建築の一貫として植栽が行われ、桜と共に、ケヤキやクロマツ、ヒマラヤスギなど、今では20 メートルを超すまでに成長した並木の幼木が植えられるようになりました。東門へ向かう附属中、附属小が面する通りには、当初はケヤキとソメイヨシノが交互に植えられたそうですが、間もない内にソメイヨシノは他の場所に移植されたそうです。記録がなく真相は定かではありませんが、建物が近くにないグラウンド北側に一列に並んで植えられていたソメイヨシノは、この時に移植された木だったのかもしれません。当時、キャンパス内の植栽計画と管理にあたったのは田代良一という方でした。田代氏は元は学芸大の教官でしたが、植栽計画とその実現に力を注ぐため、事務官に転職した稀なる経歴をもった人で、後に「学芸大は植物園のようだ」と専門家を唸らせる多種多様な植栽を行いました。

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本部棟前の桜(伐採前)

田代氏が精魂傾けた大学の植物も、その後半世紀が経つと老化が目立つようになってきました。平成23 年から令和2 年までの9 年間、倒れたり、幹が折れた中高木は216 本に及び、枯死した木も81 本ありました。そして、倒木が駐車中の車を凹ませたり、隣家の屋根を壊したりする事件が起き、大事には至らなかったものの、桜の大枝が落ちる数分前にその直下を園児が通っていたなど、近年では危険な高木を放置しておけない状況が続いていたのです。

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倒れたソメイヨシノ 平成28年(2016)

そこで、大学が樹木医に依頼し、桜を含む2860 本の高木の検査を実施しました。その結果、小金井地区で緊急伐採が必要な高木は392 本、緊急剪定で危険な枝を取り除く必要があるものは127 本との診断がなされたのです。桜の場合、幹の内部が空洞化してしまったものが多く、これらは安全のため、やむを得ず伐採されることになりました。

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本部棟前の桜(伐採後)

大学では令和元年より高木再生プロジェクトを策定し、現在、それに従って安全な自然環境を維持する取り組みを実施しています。学芸の森と呼ばれるようになったキャンパスの自然環境から恩恵を享受し、その豊かさを後世に伝えていくためには、樹木にそれなりの世話をしていくことが必要です。ただ、広大なキャンパスでそれを継続的に実施するには、毎年高額の費用がかかります。このため大学創基150 周年記念では桜再生の募金を呼びかけています。私自身、学芸大学に長年勤め、大学の自然環境には随分お世話になった感があります。これを機に恩返しのつもりで、微力ながらこの取り組みに協力したいと思っています。


※学芸大学の樹木の歴史の詳細について、興味のある方は以下をご参照ください。
辟雍2004 年No.1掲載記事:「学芸の森」その緑はこうして出来上がったー樹木が語る大学の歴史ー