モンゴルプロジェクトフェーズ2/Mongolia Watching/モンゴルだよりVol.3

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Mongolia Watching/モンゴルだより インデクス

モンゴルだよりVol.3
モンゴルの雪原、授業研究700kmの旅

松浦 執

ウランバートルの歩道の雪は黒ずんでいる。雪は黒ずむと太陽放射を吸収して溶けるものだが、さすがに最高気温でも−10℃くらいだと、どうやらパウダー状の氷の粒のままのようだ。

ウランバートルの人が「あそこは極地と同じ」というザブハン県。天気図を見るとたしかにモンゴルでもそのあたりだけ寒冷な空気の舌が覆っている。はじめての酷寒地にしっかりしたダウンのパーカとパンツを準備した。これがすばらしく、非常に軽いのに暖かかった。モンゴルの人は意外に薄着である。コートはしっかりしているが、屋内でコートを脱ぐととてもスリムなスタイルで、半袖だったりする。

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・2月19日(土)
いよいよウランバートルからザブハン県ウリアスティに移動。プロペラ機での1400km。空から眺めると果てしない山脈と深い谷。ドノイ空港に近づくと山肌に緻密なトレイルがあるが、どうやらオオカミの足跡らしい。

ドノイ飛行場。雪がまぶしい!レンズ付偏光サングラス持ってきてよかった。オープンカーに乗っていたときに常用していたもの。空気が透明だ!これには同行のウランバートルの先生たちも感激。ウランバートルは冬に石炭の煙がたれ込めている。空気は冷たく、耳を出していると痛くなってくる。

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到着すると幼稚園に行き、昼食をいただくとともに、中学生が馬頭琴演奏を披露してくれた。ザブハン県では、全ての子どもに「馬頭琴」「ICT」「チェス」を身につけさせるという。順に「依って立つ伝統文化」「世界の多様な集団と双方向につながるツール」「粘り強い思考力」。すばらしいと思った。なお、ウランバートルの人は馬頭琴をみんな弾けるわけではないが、縁起物として家やゲルに飾ることはポピュラーであるという。

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ウリアスティの山の上の仏塔からの夕映え。ここはザブハン県では最も大きな町。これから旅するのは雪原の中のずっと小さな村落だ。この町では最も「高い」ホテルに宿泊するが、お湯は出ない。でも電気はつくし、水も出る。というわけでこの1週間では最もほっとする場所になるのだ。

ウリアスティからシルスティへとジープで移動。舗装道路はもう一切ない。途中木材運搬トレーラーが故障停止して道を塞いでおり、避けて通ろうとして一行の車両3台のうち、ロシア製の古いプルゴンが

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雪中で動けなくなる。雪に足をとられ、またエンジンの力も不足なのだ。長時間悪戦苦闘しているうちに、木材運搬の一行のうち、町に戻って機材を調達しにいった車が戻ってきて、ようやく一行も動けるようになった。結局、動き出すのを延々待つのと同じだった。このくらいでは皆何にもあわてていない。しかし村落と村落の間が数十キロメートルから百キロメートルも離れていて、途中には何もない雪原。動けなくなったら酷寒の一夜を過ごさねばならない。この自然の中で生まれ育った現地の人とともにいなければどれだけ心細いことになることか。雪原の中に馬が一頭、枯れ草を食んでいるのが遠くに見える。馬は寒さを苦にしないのだという。360°はるかな大自然の風景。かつて行き来したラクダの大キャラバン。実は冬の間に移動するのだという。想像を遥かに超える。

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シリアスティの学校では、寄宿舎に泊めてもらった。オフィスにベッドを入れて、1人部屋にしてくれている。魔法瓶にはスーテーチャ。かなり酸っぱいのが配布されることもある。水道はない。電気は夜の7時から12時まで限定。水力発電所がつくられたが、水が十分たまらないので、電気は最長で夜の5時間だけ。
でも、村落のゲルには太陽電池やパラボラアンテナがある。ひとびとは盛んに携帯電話を使っている。夜にはゲルで、画像は不安定ながら衛星放送を楽しんでいるのだ。
昼間は電気はないが、授業のときは発電機を回してコンピュータやプロジェクタを稼働している。先生方もインターネットを使って資料を入手したり、随分がんばっているのだ。シリアスティの校長先生によれば、電力供給の改善は時間の問題なので、実は無線LANを校舎に入れる予定であり、すでにデジタル図書館は用意してあるのだという。モンゴルのとてつもなく広大な大地の中にたたずむ集落として、随分先鋭的ではないか。隣の村の学校の先生と直接会って相談しようとすると大変だが、Facebookを使おうか、などと相談している。
さて、寄宿舎だから子どもと一緒に寝泊まり。珍しいものだから、最初は子どもたちが部屋を覗きにくる。ドア(外からはカギをかけられるが中からは掛けられない)を開けて「先生のところ!」と叫んで走って行く。でも、日本語で「こんにちは!」と挨拶してくれた子どもがいた。

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トイレは共同で建物の外だ!自分も小さい頃はこういうトイレを使っていた。水道、電気なし。ついでに扉なし。朝は8時くらいまで空が暗く、8時20分には授業が始まる。懐中電灯(できればヘッドランプ)は必需品だった。持ってこなかった!紙は十分持ってきていて、よかった。

シリアスティに着いた日は、夕食に大きな川魚が出た。これはごちそうだろうと思い残さず食べる。「シリアスティの水は少し硬いので、必ずウォッカを1杯は飲み干して、殺菌してください」と校長先生。田舎の方はウランバートルなどとも水が違い、ウランバートルのひとでもお腹を壊したりするそうだ。
しかし、、、食事の配分には注意が必要だ。夕食でお腹いっぱいなのに、では次は3班に分かれてゲルに行き、旧正月の雰囲気を味わっていただきます!それでゲルを訪れると、食べ物とおかしが山のように積まれている。ゲルでは食べ物を進められたら、ほんの少しでもいいから食べないと著しく無礼になる。
いや、ひとつひとつ食べてみたいのだけれど、すでに肉と油と乳製品中心の夕食で満腹になっているのだ。さすがモンゴルのひとたちはわきまえている上に食べ物に慣れている。日本人としては黒ウーロン茶が欲しい、消化剤は必須だった。今度来るときは忘れまい。
ぜひもっと食べたいと思ったのは「羊肉のトロの部分」。ひんやりした肉をナイフで切り取って少しずつ頂戴する。ウランバートルと地方とでは肉の味が違うという。都会では食肉工場で機械的に切断して加工した肉を食べる。しかし地方では血液を流し出さずにさばいて調理するので、「本当の肉らしい肉の味」になるそうだ。そのほか羊の乳から作り、ゲルの屋根で干してかためた乳製品の手作りお菓子等もすすめられる。ヨーグルトの風味だったりする。これも、都会ではスーパーにも売っているが、地方の手作りのものはずっとピュアな味だという。

一夜明けると、ものすごい肩こりで首が痛かった。寝違えたと思ったが、実は帰国後も痛い日々が続いた。ジープで揺られて、ときどき窓に頭をぶつけたりしていた。どうやら軽いむち打ちを繰り返していたようだ。モンゴルで授業研究に回るには、筋肉も胃袋も強くなければならない。

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シリアスティからの戻りにはプロゴンに乗車した。行きには女性の先生方が乗ったが、ガソリン臭くて気持ちが悪くなるというので、それでは今度は私たちがのりましょうと。で、なかなか暖まらないので、現地で借りた毛皮のオーバーシューズを履いてみた。日本からは皮の山靴を履いて行ったが、これは冬用じゃないねと貸してくれたのだ。結局このプロゴンに乗ったときに履いただけだったが、本当に暖かくなった。毛皮の毛の方を内側にした構造。こんな毛皮をもった動物だから、厳冬でもじっと耐えることができるのだ。
実感した。

で、プロゴンはまた故障した。走っていると、振動でエンジンなどの部品がはずれてくるらしい。2回止まり、2回目は相当長い時間修理していた。運転席の中央にエンジンルームがあり、外へ出なくてもカバーをはずしてエンジンをいじることができる。

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結局このプロゴンとその運転手さんはシリアスティの往復だけで終えていただいて、日本製ジープを運転する運転手さんをあらためて雇うことになった。それでもプロゴン車は結構走っており、中に大勢乗っているのを見かける。村落のそばでは車にもすれ違う。立ち往生しているプロゴンにも出会った。

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この山の山腹のゲルで生まれた有名な詩人がいるそうだ。大自然からインスピレーションを受けたのだ。現在もこれにちなんで、この山で詩人たちが年1回集会を開いているという。車のラジオなどからはひっきりなしに歌が流れる。鹿が啼く季節になると故郷の父を思いだす、という歌がとても流行していて、みんな口ずさんでいる。モンゴルの歌は、本当にこの大地をわたる風を感じさせる旋律だ



・2月24日(木)ウリアスティからザブハンマンダルへの移動。

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先導しているジープが山腹を登って、1つだけ立っているゲルの方に近づいていった。道が分からなくなってしまい、尋ねようとしたのだ。我々の乗っているジープの運転手さんは本当に優れたひとで、早速先導して道無き道を疾走しはじめた。周囲の地形から大局的に方向をきめていくのだ。
遊牧民のゲルは本当にぽつん、ぽつんと立っている。学校のある村落からは数十キロメートル離れていたりするので、子どもは学校に通うために寄宿舎に暮らす。小学校1、2年生などはかわいそうだ。地方の学校の小学校1年生は本当に心打たれるまでに素朴でかわいい。
学費も寄宿舎の費用も基本的に無料だが、寮の食事じゃ物足りなかろうと、親御さんが羊1頭などと寄付してくれたりするそうだ。

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ザブハンマンデルでは、到着が遅いわれわれを、校長先生たちが村落の入口のゲートまで迎えにきてくれていた。砂丘がそばにあるので、まずは砂丘に登ってみましょうかということになる。写真の奥の尖った山はこの地方の聖なる山である。この村落ではこの山を背景にした写真をガラスの額にいれてプレゼントしてくれた。なんとか破損すること無く日本に持ち帰ることができた。

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砂丘地帯は、車はもちろんラクダでも踏破することはできないという。実際、登ってみると砂がさらさらで足を取られ、すぐに息が上がってしまう。この砂丘は風に吹かれて常に形をかえるのだという。広大で、大嵐の大海原が波打つような、それが押し寄せるような姿が砂丘の姿だ。

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夜はとにかくダンスパーティとなる。田舎は楽しみも少ないので、パーティとなるとみんな踊りまくるのだ。社交ダンスとディスコダンスが繰り返される。ディスコダンスは適当に乗ればいいが、社交ダンスはステップがある。女性に誘われたら断ってはいけない。ダンスの合間は歌を歌う。一緒に歌おうといわれる。モンゴル授業研究の旅では芸も身につけていないといけない。息が上がって、はいどうぞ〜と配られる飲み物をのんだらウォッカだ!

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この写真の先生は数学の先生だが、実にノリノリの玄人はだしの司会をする。司会専門の人を呼んだのかと思った。この先生なんでこんな芸を身につけたのだろう。時間さえあればみんなにいろんなことを聞いてみたのに。

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夜は熱く盛り上がってもシャワーはない。そして寒い朝が来る。ザブハンマンデルでは少し雪が降った。しかし湿度は低いので、日本の雪国のような積雪はあまり見られない。大きな野犬が外で暮らしている。子どもが犬を追っ払ったり逆に追っかけられたりしている。

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ザブハマンダルからウリアスティへの帰途、空は晴れているが細かな雪が降り続いた。この雪の結晶に太陽光が屈折、分散して、虹と同様の現象である大きなハロが見られた。虹は太陽を背にして見るが、ハロは太陽の回りに見えるのだ。写真では人で太陽を覆って撮影している。こんな現象を見るのは初めてだ。しかもジープで走って行っても一向に消えない。氷の粒が降り続いている。

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日が沈むときには、光がまっすぐ柱のように伸びる「光柱」になった。板状の結晶が、葉がゆらゆら落ちるように降っていると、鉛直方向の反射が優勢になるので光柱になる。これも初めての遭遇かもしれない。
水道も電気もないが、言葉に尽くせない大自然の景観と、熱い歓迎、力強い優しさを堪能した。また今回の体験で、若干の心得も記憶に刻まれた。授業研究氷雪 700 km の旅。貴重な体験の一週間だった。