「アダルトチルドレン概念についての考察」

N97−6107 宇都紀子

(心理臨床・カウンセリング)




第1章 本研究の意義



第1節 本研究の目的



 アダルトチルドレン(AC)とは、もとはアメリカのアルコール依存症の治療現場から生まれた言葉であり、アメリカでは1980年代以降ACの回復を目指すセルフヘルプ・グループが数多く生まれ一種の社会運動となった。近年日本でもアダルトチルドレンに関する本が次々と出版され、自らを「AC」と呼称してカウンセリングルームや精神科を訪れるクライエントが出てきている。アダルトチルドレンという概念は、伝統的な心理学や精神医学には馴染まないものではあるが、治療学的視点からは軽んじられない時代を迎えたと言える(緒方,1996)。そこで本研究では、アダルトチルドレンとその家族との関係や特徴、また治療・回復についての先行研究を整理・確認し、さらにAC概念への批判的立場からの研究も取り上げた上で考察することを目的とする。

第2節 ACという概念


 アダルトチルドレンとは、いわゆる疾病概念ではなく、症候群として輪郭づけられるような明確な病態カテゴリーを構成するものでもない。それは、アルコール依存症者とその家族への援助と治療を通じて彼らの生活全体の実際を知るようになったソーシャル・ワーカーなどにより、アルコール依存症の親をもち成人した人たち〜Adult Children of Alcoholics(ACOA)〜すべてに対して用いられるようになった言葉である(中山・佐野,1998)。そして後に、アルコール問題家族だけでなく、家族関係がうまく機能しない「機能不全家族」に育った人たちをAdult Children of Disfunctional Family(ACOD)と呼ぶようになり、現在ではACOAもACODもまとめて「AC」と総称される傾向にある(緒方,1996)。本研究では、ACをACOAに限らず、広義の「AC」として捉える一方で、その概念の原点であるアルコール問題家族に特に焦点を当てて考察していくこととする。




第2章 アダルトチルドレンと家族



第1節 アルコール依存症と共依存


 アダルトチルドレンとその家族について考える上で重要な概念の一つに「共依存(co‐dependence)」がある。この「共依存」はアルコール依存症などの「嗜癖」の概念から生まれたものである。

1. アルコホリックとコ・アルコホリック

 アルコホリック(アルコール依存症者)とは、飲酒しているうちにアルコールという薬物に心理的な依存を起こし、それが身体的な嗜癖に連結するにいたった人のことである。彼らは飲酒をコントロールできず、どのように飲むか全く予測できない。時の経過につれ、飲酒が選択の問題ではなく強迫の行動と化し、彼らの生活を徐々に覆い尽くしていくのである。そのようなアルコホリックと共にいることで、その配偶者はアルコホリックの行動にとらわれるようになる。こうしてアルコホリックを支え、それによってアルコール依存症の維持、増悪に関与している人をコ・アルコホリックという(Black,1981)。このコ・アルコホリックから後に共依存という概念が生まれ、「アルコホリックの配偶者」から「機能不全家族の子どもや家族全体」まで拡大するより広義の概念となってきている(緒方,1996)。

2.共依存

 嗜癖の概念は、かつては薬物・アルコール依存に対してのみ用いられてきたが、近年次第に拡張され「物質嗜癖」のみならずギャンブル、買い物、消費、仕事などへの嗜癖が問題となり、後者は「過程嗜癖」と呼ばれる。そしてそれらの嗜癖形成の基盤にある人間関係の病理が「人間関係嗜癖」として注目されるようになり、「共依存」の概念が用いられるようになってきた。共依存とは、頼られる必要のある人と頼る必要のある人との相互依存・支配−被支配関係のことであり、他の嗜癖の発生母胎となる基本的な嗜癖と見なされるようになっている(斉藤,1995 )。

 共依存傾向は女性に多く見られるが、このことを斎藤(1995)は、共依存が「一種のパワー表現であり、筋力や経済力によるのではなく情緒的愛着によって他者を支配し、権力を行使するやり方である」ということによって説明できるとしている。

 また、現代人は多かれ少なかれ「他者にとって良い人(価値ある人)」であるように自己査定しながら生きており、共依存的生き方(「他者によって自分の欲望を定義されることを必要とするような生き方」)は女性に限らず現代人の生き方そのものになっていると指摘している。


第2節 アルコール問題家族のルールと役割


 アルコール依存症者を抱える家族環境は、経済的困窮、親子間の言語的・情緒的相互交流の乏しさ、夫婦間・親子間のトラブルや不調和、親の離婚や再婚による混乱などに特徴付けられ(中山・佐野,1998)、Black(1981)はそれらを「非一貫性と予測不能性、健全な言語化された家族ルールの欠如、情動の抑圧と歪みに満ちた家族」と要約している。また、Kritsberg(1985)は、アルコール問題家族は家族の中にアルコホリックがいるという事実に順応し、混乱し不安定になっていく状況に秩序と安定をもたらすためにある種のルールを打ち立て、成員に特性の役割を担わせるとしている。

1.アルコール問題家族の4つのルール

 一般に、アルコール問題家族に見られるルールとして、Kritsberg(1985)は次の4つを挙げている。

@ 硬直のルール
 アルコホリックは予測しがたい行動をとるため、家族はいつ何が起きても対応できるように常に身構えていることになる。家庭内に安定をもたらすために、家族は硬直した姿勢をとるのである。アルコール問題家族の柔軟性のない硬直した構造は、子どもの情緒的成長の妨げとなる。

A 沈黙のルール
 家の中で起きていることやそれについての感情を、家族外だけでなく家族同士でも話してはいけないというルールである。このルールにより、子どもはその感情を抑圧することになる。

B 否認のルール
 アルコール問題家族の否認は、その家族にアルコールの問題があることを認めないところから始まる。現実に起きていることを否認し続けると、その家族システムは変化する必要がなくなってしまう。そして、見たものや聞いたものの「正常」と「異常」の判断がつかなくなり、さらには自分の感情も否認するのである。

C 孤立のルール
 家庭内で起きていることが外部の人に知られないように、家族は地域の人々と交わらないようになる。家族は地域から孤立するが、家族同士もお互いから孤立している。この孤立のルールは、「親密性」の発展を妨げる。

2. ACの役割の類型

 Kritsberg(1985)は、アルコール問題家族の成員がとる主な役割を一般化したものとして、英雄役・叱られ役・不在役・道化役・慰め役・支え役などがあり、実際にはこれらが混ざり合っていることが多く、家族の必要に応じて変わっていくこともあると述べている。また、Black(1981)は、COA(Children of Alcoholics)の大多数が「責任を背負い込む人」・「順応者」・「なだめ役」の3つの役割のどれか、あるいは組み合わせたものに相応する傾向があり、この役割は成人してACOAとなっても変化しながら続いていくものであるとしている。さらに、3つの役割のどれにもあてはまらないタイプの子どもとして「行動化する子ども」を挙げている。この4タイプの特徴は次のようにまとめられている。

@ 責任を背負い込む人
 一人っ子・長子に多い。本来親の果たすべき家事と養育の責任を年齢不相応に担い、家庭の秩序と構造を維持しようとする。その過程でリーダーシップの資質を身につけていく。成人後は対等な人間関係というものがわからず、他人をコントロールする傾向が見られる。

A 順応者
 普通、長子でもなく一人っ子でもない、自分や家庭に責任を負う義務のない子どもに見られる。どんな状況でも抵抗せず、ただ対処するのみであるので、成人すると一定の方向性を持った人生決定が困難となる。家族の中の他の子どもと比べて目立たず、注意の対象とならない。集団の中では周囲から一定の距離をとっていて、健康な人間関係を発達させることができない。

B なだめ役
 感受性が強く他人の感情に敏感で、小さい頃から家庭の中の緊張と苦痛を和らげるように努めている。「良い聞き手」であり他人のことに献身してきたので、自分の欲求や考えを自覚できない。また、他人の世話を必要とするような相手との関係を自ら選んでしまう傾向がある。

C 行動化するタイプ
 否定的な行動によって自分に注目を集め、それによってアルコホリックの問題から家族の目を逸らさせている。彼らは両親が自分たちに抱いている否定的な感情を反映して、きわめて貧弱な自己イメージを持っている。成人してアルコホリックになる可能性が高い。

 これらの役割に関して、中山・佐野(1998)は、ACを診たてていく上で大変有用な枠組みではあるが、妥当性・信頼性を確認した研究は手薄であり臨床経験は十分には確認されていないことを指摘し、(A)COAをいくつかのグループに範疇化することには注意を要するとしている。


第3節 ACの特徴


1.WoititzによるACの特徴 

 Woititz(1983)は、ACには次の13の特徴が見られるとしている。

@ACは何が正常かを推測する。AACは物事を最初から最後までやり遂げることが困難である。BACは本当のことを言ったほうが楽なときでも嘘をつく。CACは情け容赦なく自分に批判を下す。DACは楽しむことがなかなかできない。EACは真面目すぎる。FACは人と親密な関係を築きにくい。GACは自分がコントロールできない変化に過剰反応する。HACは他人からの肯定や承認を常に求める。IACは自分は他の人たちと違っていると感じる。JACは責任をとりすぎるか、責任をとらなさすぎるかどちらかである。KACは過剰に忠実で、たとえ無価値な人間関係であってもそれにしがみつく。LACは衝動的である。他の行動が可能であると考えずに一つの行動に突っ走る。そのため、混乱、コントロールの喪失、自己嫌悪を招きやすい。その上、不祥事の後始末に過大なエネルギーを使う。

 Woititzのアルコール依存症の臨床経験から引き出されたこの13の項目は、ACにも、非ACにも同様に認められ、特徴的ではなかった。しかし、Woititzが刊行した「Adult Children of Alcohollics」という題名の単行本が投げかけた治療的意義は計り知れないものがあったと思われる(緒方,1996)。

2. 情緒面の特徴

 Kritsberg(1985)は、全てのACに共通する情緒面の特徴として、恐怖・怒り・痛み・恨み・不信・寂しさ・悲しさ・恥・罪悪感・感情鈍麻を挙げている。このうち、「恐怖」は全てのACにとっての根元的な課題であり、中核的な感情である。

3. 思考面の特徴

 ACの人生観や世界観は彼らがアルコール問題家族の中で生きてきたことと直接結びついている。家族を律するルールがそこで育つ子どもの思考形成に大きな影響を与えるのである。以下のような思考面の特徴は、すべてのACに共通するわけではないが、このうちの少なくとも1つか2つはどのACにも当てはまる(Kritsberg,1985)。
@ 黒白思考:ACはあらゆる分野において「全か無か」という態度をとる。

A 情報不足:ACには生きていく上での具体的な情報が不足している。子どもの時にいろいろなことを教えてもらえなかったせいである。

B 強迫思考:ACはよく一つの考えや思いつきにとらわれて、それを頭から追い払うことができなくなってしまうことがある。

C 優柔不断:ACの中には決断を下すのが苦手な人が多い。

D 学習困難:ACには読字障害のような学習困難の発生率が高いようである。

E 混乱:ACは筋道を立てて明確にものを考えるのが苦手である。

F 警戒心過剰:ACの中には自分の周りで起きていることにいちいち鋭く気を配る人がいる。周囲の状況を細かく把握していないと安心できないからである。

4. 行動面の特徴

 ACには共通する行動上の特徴がいくつかある。これらの特徴はすべてのACに当てはまるわけではないが、形成された理由は同じである。それらは、予測不能で時には危険なアルコール問題家族の振る舞いに対する反応として形成されたのである。以下は、ACによく見られる行動上の特徴のいくつかである(Kritsberg,1985)。

@ 危機志向的な生き方:アルコール問題家族では次から次へと危機が襲ってくるため、ACはそういう生活に慣れてしまっている。そのため、彼らは危機が日常的に起こるように人生を組み立てるのである。

A 操作的振る舞い:ACは自分の環境を絶望的なまでに支配したがる。支配の対象は周囲の人々、仕事、物理的空間、その他あらゆるものに及ぶ。

B 親密性の問題:人と親密になるためには、人を信じ、意思を伝達し、対立を解消する能力が必要だが、ACはそのどれについても習熟しておらず、非常に早いうちから人を信じないことを覚えてしまっている。

C 生真面目:アルコール問題家族は常に混乱し緊張に満ちているため、子どもは親と一緒に楽しく遊んだ経験がない。そのためACは生真面目で楽しみ方を知らない。

D 過剰適応:ACの多くは、自分がたまたま居合わせた集団がどんなものであろうとその集団に適応しようとする。

E 強迫的・嗜癖的行動:アルコール問題家族は強迫的で嗜癖的な家族であるため、そこで子どもは当然強迫的で嗜癖的な行動をするようになる。彼らはそういう行動のしかたを子ども時代に覚え、介入がなければ死ぬまでそれを続ける。

5. ACに見られる症状

 ACに見られる精神症状としては、分裂病様状態、解離症状、抑うつ障害、不安障害,境界パーソナリティー障害、摂食障害、身体化障害、依存・嗜癖などが報告されている。

 ACは子ども時代に身体的・精神的・性的虐待、neglect(養育放棄)、親の失職や離婚などに伴う経済的困窮や頻回の生活空間の移動など多岐にわたる外傷体験を被ることが多い。特徴的なことは、それらが逃げ場のない家庭環境の中で長期間、反復的に与えられること、そして外傷体験を受けても周囲から情緒的な支えや保護を十分には期待できないことである。これまでの諸研究によって、ACの示す多彩な精神症状は、このような子供時代の長期的・反復的な外傷体験の帰結として理解されるようになっている(中山・佐野,1998)。


第4節 ACの配偶者選択と世代伝承


 Kerr&Hillの調査によると、アルコール問題家族に育ったACOAは、アルコホリックを「配偶者選択」する傾向が高いという。この傾向は特に女性に強くみられる。その成因としては、アルコール代謝酵素などの生物学的な遺伝因子よりも、飲酒に対する寛容さや父親との同一化などの社会的環境や家族歴が指摘されている。このことより、ACOAに限らずACODもお互いに配偶者選択しやすいことになり、ACは家族内で世代を越えて「世代伝承」する可能性が高くなる(緒方,1996)。




第3章 ACの回復と治療




第1節 回復のプロセス

 斎藤(1996)は、ACの回復のプロセスには次の3段階があるとしている。

1. AC自覚の獲得とそれに引き続く安全な場の確保

 現在の生きづらさや症状が過去のどのような体験と関連しているのかについての現実を把握し、自らをACと自覚することが回復の第一歩である。そして、共感してくれる治療者や同じ悩みを持つ人々と関わることにより、「安全な場」を確保することが必要である。

2. 嘆きの仕事(グリーフ・ワーク)

 グリーフ・ワークは、ACがトラウマにさらされながら生きる過程で身につけた「共依存自己」から旅立つことの危険や恐れに伴う、ショック・不安・怒りといった不快な感覚から始まる。次いで痛み・絶望の感覚に襲われ、やがて喪失にまつわるさまざまな記憶がよみがえり、これをひとつひとつ嘆くという順序で進むものである。

3. 人間関係の再構築

 新しい自己の創造の段階である。この時期にACが身につけるべき課題は以下のようなことである。@自己を傷つけるものと闘い、身を守ることができるようにする。A闘ったり逃げたりする必要のない人を弁別し、共に過ごせるようになることを学習する。B今まで蔑み忌み嫌ってきた自分自身との和解を達成する。

 また、Kritsberg(1985)は、ACの回復のプロセスは「情動の開放」「認識の再構築」「行動の修正」という相互に作用し合う3つの要素から成り立っており、回復を望むACはこれら3つの要素すべてに取り組まなければならない、としている。


第2節 治療法


1. 集団療法

 Kritsberg(1985)によると、一般に治療グループには「情報グループ」と「処理グループ」の2種類がある。情報グル−プの目的は、アルコール問題家族の仕組みやそれが成員に及ぼす弊害についての具体的な情報を提供することである。また、処理グループは、ACが抑圧してきた感情を味わうことのできる安全な場所を提供し、虐待的な家族の中で育ったという事実を「処理する」ためのものである。

 また、Vannicelliは、ACOAに対する集団療法の利点として、@孤立からの離脱A希望B他者の行動に学べることC歪曲された自己認識の変換D外傷的な家族体験の回復E親のアルコール依存症に対する理解が進むこと、を挙げている(中山・佐野,1998)。

 アメリカではAl−Anonに代表されるセルフヘルプ・グループやアルコール症治療プログラムから派生したACOAのためのグループが多くの地域で生まれ、日本でも斎藤らの指導のもとにACの自助団体であるJapan Adult Children's Association;JACAが1993年末に発足するなど、援助資源が増えてきている。

2. 個人療法

 アメリカにおいてはACOAの自助運動を通じて、ACOAに向けられた多くの一般書が公刊され、それらがまた治療の領域に大きな影響力を有している。
 Johnsonらは、様々の治療原理を総合すると、ACOAへの教育的アプローチとしてはおおむね5つの段階があると要約している。それは、@アルコール依存症はいかにしてアルコホリックの行動に影響を与えるか,Aアルコール依存症の親が子どもに与える影響,Bアルコール依存症の親から被る影響に適応していくために、いかにしてCOAが多彩な防衛機制を用いるか,C機能不全の適応形式が仕事や夫婦関係・対人関係などの諸局面において、いかにして成人期にも持続されていくか,D子ども時代には必要であったが成人後には役に立たなくなっている機能不全の行動をいかにして捨て去るか―の各段階をテーマとするものである(中山・佐野,1998)。初期のACOA運動は主に@〜Cに焦点を当てていたが、最近の報告ではDに力点を置いたものが多いという。
 また、個人療法と組み合わされた家族療法が重要であるが、治療を求めてきたACの原家族がすでに離散してしまっていたり、他の家族成員が治療の必要性を認識しないような場合も多い。しかし、「たとえ家族の他の成員が治療を受けなくても、ACは回復できる」ことをKritsberg(1985)は強調している。




第4章 「AC概念」への批判



 「アダルトチルドレン」が非常に注目され、社会に浸透してきていることからしても当然のように、その概念や治療に対して批判的立場をとる研究者の存在も無視できない。Nuber(1995)は、以下に挙げるような視点からAC概念の基礎となる「幼児期トラウマ理論」を批判している。

1. 子ども時代が人生を決定するわけではない。Bleulelr(1993)の長期研究などにより、「子供時代の負担が重いと、発達にマイナスの影響がある」という強制的な因果関係は存在しないことが証明された。子ども時代の苦痛や苦難は、場合によっては子どもの人格発達を強化する力を持っている。また、子どもを何らかの形で支える人が身近にいるなどの保護機能をはたすような因子の有無も影響する。

2. 個人の発達には、遺伝子や生まれつきの気質などの遺伝因子が、少なくとも環境因子と同程度に影響する。トラウマ理論によると、幼児期の経験がセラピーによって処理されない限り常に「反復強迫」の恐れがあるとされるが、いわゆる「反復強迫」には必ずしも心理学的な理由は必要ではなく、生物学的な原因を考えることもできる。

3. トラウマ療法家にとっては、トラウマ理論はいつでも正しく「反証不可能な命題」である。トラウマ療法においてクライエントが、トラウマとなるような子供の頃の出来事を思い出せば、トラウマ理論の正しさが証明され、思い出さなければ、過去つまり自分の無意識への降り方が不十分だとされる。

4. 回顧することによって思い出は変化する。自画像や自分のコンセプトに合うものは保管されるが、合わないものは忘れられる。過去を客観的に再生できないのは、思い出というものがその場その場の自画像に同調するだけでなく、時間の経過や他の人の話や思い出にも影響されるからである。記憶は偽造・操作される可能性があり、本当らしい記憶にもその可能性がある。

5. 無意識の抑圧と意識的な抑制とを区別することは決定的に重要である。抑圧された記憶の存在を推測するセラピストは、クライエントに対して記憶の抑圧を示唆しかねない。それに対して、セラピストが抑制を防御メカニズムと見なしている場合、クライエントは体験しなかったかもしれない出来事を示唆されることはなく、また思い出すのを抑制していたことを思い出すように強制されることもない。

6. 人は人生の物語を語ることで自らのアイデンティティを確認するものだが、どのような物語とするかによって全く違ったものになってしまう。人生を問題をはらんだ物語として語るなら、それは「〜だから〜である」という単純で直線的な因果関係に基づくので、人の発達を妨げ、過去に縛り付けてプラスになる出来事や人生のチャンスから目を逸らさせる。クライエントはセラピストの解釈に影響されがちであり、提供された物語を受け容れやすい。また、通俗心理学の本・自助ブックなどを読むことによっても、それまでの自分の人生の物語に不信感を抱き、本の内容にふさわしいものに仕立て直すことがある。

 Ericksonは、「問題の原因らしき事柄は、数え始めればいくらでも並べられる。そうなるとセラピストは見当違いをしかねず、実りのない法外な探求の物語が果てしなく続くことになる。」と述べている。トラウマ理論を支持しないセラピストたちは、クライエントの強さや資質に注目して障害や傷を中心に考えない。また、現実とは「構成されたもの」であると考えるので、クライエントの記憶を客観的な真実とは見なさない。彼らは問題の原因や態度・行動の原因ではなく、その解決法に関心をもつ。セラピーの目的は、「患者の神経症的な適応不良を引き起こしている態度・行動を、改善すること」であって、過去の克服ではない、とNuber(1995)は指摘している。




第5章 まとめと全体的考察



 非一貫性と予測不能性という言葉で特徴的に表されるアルコール問題家族などの機能不全家族においては、家族の成員はある種のルールを守り役割を担うことによってその不安定で混乱した状況に適応しようとする。そのような家庭に育った人々の中には、成人してから何らかの精神・身体症状や人間関係の困難・漠然とした生きづらさなどを訴える人がいる。他の方法によって症状が改善されない人が自らを「AC」と認識することによって回復が進むのなら、そのような人々にとっては「AC」はとても有用な概念である。しかし、Nuber(1995)が指摘しているように、癒されるためには必ずしも過去に立ち向かうことによって大変な苦痛を感じ、その苦しみに耐える必要はないのではないだろうか。また、「記憶の抑圧」に関しては、セラピストもクライエントも始めから過去のトラウマの存在を決めてかかるのは、セラピーの過程で思い出された記憶の真偽に関わるので注意が必要である。アメリカでは、セラピーの過程で出現した「性的虐待」などの記憶によって不当に傷つけられたとする親も多くいるという。事実ではない記憶によって本来クライエントを取り巻いていたプラスの環境をも壊すことにも なりかねないことは認識しておく必要がある。今後は、そういった「危険な」側面も理解した上でAC概念を治療に役立てることが重要である。




引用文献


Black,C.1981 It will never happen to me! MAC Publication 斎藤学(監訳) 1989 私は親のようにならない 誠信書房

Kritsberg,W.1985 The Adult Children of Alcoholics Syndrome. Health   Communications 斎藤学(監訳) 1998 アダルトチルドレン・シンドローム 金剛出版

中山道規・佐野信也(編著) 1998 ACの臨床 星和書店

Nuber,U.1995 DER MYTHOS VOM FRUHEN TRAUMA. Fischer, Frankfurt a.M. 丘沢静也(訳) 1997 〈傷つきやすい子ども〉という神話 岩波書店

緒方明 1996 アダルトチルドレンと共依存 誠信書房

斎藤学 1995 イネイブリングと共依存 精神科治療学 10(9);963-968 

斎藤学 1996 アダルト・チルドレンと家族 学陽書房

Woititz,J.1983 Adult Children of Alcohollics. (1990,Expanded Edition) Health  Communications 斎藤学(監訳) 1997 アダルト・チルドレン 金剛出版




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