▼写真が語る歴史 ――100年前の金剛山(クムガンサン、Mt.Kumkang)――
06年9月、夏休みを利用して近代史の資料収集中、貴重な写真を目の当たりにすることができた。これは確か私が中学の時に学んだことがある金剛山の美しい景色ではないか。今から約100年前の景色は色あせることもなく私の目の前でその姿を見せており、山が好きな私にはこの世界で味わえる感動でもあった。初代朝鮮総督であった寺内正毅は金剛山の景観に魅せられていたため、金剛山の写真帳まで大事に作っていた。今や北朝鮮の地にあるため、時間をかけてゆったりとした自然を満喫する余裕は持てないが、世界に誇る秘境の一つ・金剛山の昔の景色を極一部ではあるがここで紹介したい。
かつて日本の初期法学博士として知られる蜷川(にながわ)新は明治41年の暮れに初めて渡韓し、韓国政府の財政顧問を務めた後、韓国宮内府に移り、統監府や朝鮮総督府の嘱託として満5年を朝鮮の地で過ごした。彼は朝鮮の地、特に自然景観を高く評価した一人だが、中でも秘景金剛山について以下のように絶賛している。
「世界的公園としての金剛山:朝鮮には、金剛山といふ名山がある。それは内地にも満州にも支那にもない偉大なる山水であり、ヨーロッパにもアメリカにもない名勝である。即ち金剛山一帯の山は山岳地方であり、同時に海に接している。而してこの附近には川もあり水もあって、更に其趣きを添へているのであり、これ等一帯の数十方里の土地を、捨てて顧みないことは未だ遺憾の話である。故に之を世界的の大公園たらしむることに、お互に努力したいものである。而して夏にも春にも或は秋にも、冬にもこれを遊楽の地たらしむる設備を整へたならば、即ち世界に対する我が日本の一つの誇りとなるであらう(植民地統治支配下にいたため―筆者注)。若しそれ、京城から鐵原附近に至り、そこから自動車道路を作って四通八達の交通網を開けば、彼の有名なイエローストンパーク――それは、米国とカナダの国境に在る世界著名の自然公園である――のそれにも劣らぬ趣味のある大公園が形作られるであらう。」貴田忠衛『朝野諸名士執筆 朝鮮統治の回顧と批判』朝鮮新聞社、昭和11年、185頁。
100年ほど前に彼らが観た壮大で美しい金剛山。その写真帳の表紙には金剛山を英語で‘The Diamond Mountains Korea’と記されてある(下記上段の右)。ダイヤモンドか?それほど普遍で確固たる自然の美しさを表しているのだといえよう。既に歳月が流れてはいるものの、いつか東アジア情勢が安定すれば、のんびりとその大自然と史跡を楽しんでみたいと願うこの頃である。下の写真は万瀑洞の船潭瀑布(日本軍幹部らが自然を満喫している様子)と下段の左は白華庵、その右は長安寺(現在は跡だけが存在)。
写真は初代朝鮮総督の寺内正毅写真帳より。06.09.27作成。