「特別支援学校教諭免許状」を持った裁判官の誕生

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2018年3月にC類(特別支援教育)を卒業した堀田らなさんが、本年1月16日に裁判官に任官し、判事補として大阪地裁に赴任しました。おそらく「特別支援学校教諭免許状」を持っている唯一の裁判官ではないかと思われますのでご紹介します。

堀田さんは本学を卒業後、法科大学院に進学して3年間勉学に取り組み、修了直後の司法試験に合格、そして1年間の司法修習を経てこのたび裁判官の任官ということになりました。
堀田さんは、自閉症のお兄さまがおられ、お母さまも特別支援学校の教員をされていることから、常に障害児やその家族のことを身近に感じていたということです。在学中から法曹界への関心も高く、卒業論文「罪を犯した障害者の訴訟能力に関する研究」は指導教員だった高橋智名誉教授によると「修士論文を超えるような高いレベルのもの」ということでした。障害者の問題をはじめ社会的弱者にかかわる問題に対して、本学で培った教育マインドを大切にしながら、裁判官という立場から挑み続けてほしいと願っています。


堀田さんからのメッセージ

情報を簡単に収集でき、他人と比較することが容易にできるようになった今、皆さんの中には「自分の選択は正しいのだろうか」と不安になり、「他の人はどうしているんだろう」「みんながそうしているから自分もそうすべきではないか」と思っている人もいるのではないでしょうか。
しかし、高校生までのテストと違って、自分の選択に決まりきった正解というものはありません。自分が選んだ道が正解かどうかは、あなた自身の行動によって変えられるのです。

私は、兄のような障害を持った人たちの力になれるような仕事をしたいと思って、学芸大に入学しました。学芸大で、さまざまな教育科目の講義を受け、各種障害について詳しく学ぶ過程で、障害児・者が生きていく中で直面する困難はあまりにも多く、教師として関わり支援できることが非常に限られていることに気がつきました。障害児・者にとって少しでも生きやすい世の中にしたい、社会的弱者である彼らをできる限りサポートしたいと考えたとき、法律の知識をもって彼らに寄り添うことのできる法曹(裁判官、検察官、弁護士のことをいいます)に興味を持つようになりました。
しかし、私は、今まで法律を勉強したこともなく、法学部でも文系でもありません。私の親族や友人に法曹関係者はいませんでしたし、大学受験も失敗して試験に苦手意識を持っていた私にとって、法曹や司法試験を目指すのがいばらの道であることは明らかでした。そこで、そのようなリスクのある選択をするのであれば、今までどおり教育の勉強も怠らず、教員免許を取得して卒業しようと決めました。
そして迎えた教育実習では、1か月間、全力で教師になりきり、最初で最後かもしれない私の教え子たちから、教師という仕事の魅力を最大限教えてもらいました。また、所属した研究室では、高橋教授の計らいで、障害者雇用に関する実際の裁判に関わらせていただいたり、少年院に見学に行かせていただいたりと、貴重な経験をたくさんさせてもらいました。もちろん、勉強だけではなく、限りある時間の中で、部活動やバイト、遊びにも全力を注いだ学生生活でした。
その後、法科大学院での3年間の勉学を経て、運良く司法試験に合格。法曹を志した当初は、実際に困難を抱える障害児・者の声を代弁し、支える、弁護士になろうと考えていましたが、紛争当事者双方にとってのより良い解決を模索したり、判決を通して社会を変えていくことのできる裁判官にも魅力を感じ、考え抜いた結果、裁判官という道を選ぶことを決意しました。
私も、これまで幾度となくしてきた自分の選択が正しかったのかどうかは分かっていませんし、今はまだ、裁判官という選択が正解なのかも分かりません。しかし、私は、これまでずっと、自分が選んだ道を正解にしようという気持ちで道を切り拓き、突き進んできました。いつか、この道を選んで正解だったと思えるように、これから全力で事件に向き合い、人に向き合い、成長していきたいと思っています。

在学生の皆さんには、たくさんの可能性があります。その中から選び抜くのは他でもないあなた自身です。ですから、正解を選ぼうとばかり考え、悩むのではなく、自分の選択を正解にするために考え、悩んで、目の前のことに全力で取り組んでほしいと思います。学芸大は、そんな皆さんの選択を尊重し、快く応援してくれる大学だと思いますよ!

「特別支援学校教諭免許状」を持った裁判官の誕生