学長室だより

川路聖謨という人、「人間臨終図鑑」。

NHKの大河ドラマ「青天を衝け」を見ています。とりたてて何か見たかったというのではなく、草彅君の徳川慶喜はぴったりだなぁなどと感心して眺めているという感じでしたが、中に字幕で「川路聖謨(としあきら)」とあって、あれっと思いました。主人公の渋沢栄一を見出した一橋家の平岡円四郎(堤真一さんが演じていて、なかなかの快男児だったようですが)の後見役のような役柄で、平田満さんが演じています。あれっと思ったのは、「人間臨終図鑑」に出ていた人だからです。

「人間臨終図鑑」とは、作家の山田風太郎さんが書いたもので、古今東西の有名人がどう死んだかを年齢順に記していったものです。私の持っているのは徳間書店の文庫版ですが、400頁半ばで4冊あります。ネットで調べたら、923人、載っているそうです。よくもこんな本を書いたものだと思いますが、また、大体、どうやって資料を集めたのかと感心もしますが、これがとても面白い。読みだすと、あとひとり、あとひとりと、やめられなくなります。ひどい死に方、残念な死に方もありますが、まことに立派な死に方、深く感銘を残す死に方もあります。川路聖謨の場合は、後者です。

山田さんの本によると、川路聖謨は、幕末の名官吏、数々の幕府の要職を歴任したが、有能であるだけでなく、誠実で、情愛深くユーモアに富んだ人でした。有名なのは、ロシアのプチャーチンとの開港等をめぐる交渉で、ロシア側は彼の応接ぶりに舌を巻きながらも、彼の人柄に魅せられ、その肖像画を描かせようとまでしたそうです。随行のゴンチャロフは、「彼は私たちに反駁する巧妙な論法をもってその知力を示すのではあったが、それでもこの人を尊敬しないわけにはゆかなかった。...すべて常識とウィットと炯眼と練達をしめしていた。明知はどこに行っても同じである」と書いていると言います。その後、井伊直弼の忌避に触れ閑職に追いやられ、また、卒中に罹り半身不随ともなり、江戸城の開城が約された翌日に自殺。それは、卒中で左手は利かないので、右手だけで作法通り腹を切り、次に拳銃でのどを撃つというものだったそうです。山田さんは、川路聖謨の項の最後を「要職を歴任したというものの、べつに閣老に列したわけでもなく、かつ生涯柔軟諧謔の性格を失わなかったのに、みごとに幕府と武士道に殉じたのである。徳川武士の最後の花ともいうべき凄絶な死に方であった。」と結んでいます。

こうした記述がとても印象的で、それで憶えていたわけですが、今回ネットで彼の名前を検索してみたら、作家の吉村昭氏のものや、いくつかの本が出ていました。私は、時代小説(ばかりか小説も)をほとんど読まないことなどもあり、不覚にも知りませんでした。が、こういう人物であれば当然のことと思います。

名著というべきか、奇書というべきか、「人間臨終図鑑」のことは、機会を見てまた記したいと思います。