学長室だより

「日本の小学校教師の肩から英語を下ろそう」。

大分前のこととなってしまいましたが、JETプログラムで来日して愛媛県の小中学校でALTを勤めたアメリカ人のローラ・カッツさんが「小学校の英語教師―日本人の専任も増やして」というタイトルで、朝日新聞の「私の視点」の欄に記事を載せていました(朝日新聞7月22日朝刊)。

彼女は、来日して、日本の小学校教師の多様な仕事ぶりに驚いたと言います。アメリカの学校では体育の教師は別にいて、子どもはカフェテラスで食事をし、清掃は清掃員が行うのに対し、日本の教師は、こうしたことの他、課外活動や運動会などの行事にも膨大な時間を費やしているとし、さらに、彼女の見た教師は、歯がきちんと磨けなかった子供がいて、それに対して親から苦情が来て、それにも対応していたそうです。こうした状況の中で、小学校5,6年で英語が教科となったことは、すでに多くの責任を背負っていた教師たちにとって大変なことだったとし、その中で、日本政府がALTとして「輸入」した自分たちのようなネイティブスピーカーはそれなりの役割を果たしてきたけれど、しかし、自分たちは、子どもの「お手本」にはなれないと言います。つまり、ネイティブが英語を話せるのは当たり前で、自信と熱意をもつ日本人の教師―日本人でもここまで英語を話せるという「お手本」となる日本人の教師が必要だと指摘しています。そのため、政府は予算措置を講じて、小学校に専任の英語教師をもっと積極的に採用すべきだ、過重な負担を背負う「日本の小学校教師の肩から英語を下ろそう」と書いています。こう言っては失礼かもしれませんが、まことに立派な日本語で、論旨も明快でよくわかり、まったくそのとおりと感心しました。

過日、文科省が教職の魅力を伝えるべく、「教師のバトン」プロジェクトを立ち上げたところ、労働環境の過酷さを訴える投稿が殺到して炎上しました。よく言われるようにビルドアンドビルドで教師の多忙化は限界に近いような状態となっています。教師のなり手が不足しているというのは、大量退職期に当たるというせいもありますが、いろいろなところで、いろいろな人が指摘するようにこうしたことが強く関わっていると思います。本学では一昨年に教師の魅力を伝えるべく動画をつくり配信しましたが、その費用200万円はクラウドファンディングでたちまちに集めることができ、応援してくれている人たちが沢山いるのだなと心強く思いました。が、しかし、昨今のなり手不足の状況は深刻で、教師の業務の本格的な見直しが必要なところまで立ち至っていると思います。その時、ローラ・カッツさんがアメリカのこととして記しているような、いくつかの業務を教師以外の人材にゆだねるというのはひとつの方法かと思います。ただ、清掃や給食というは、学校の活動として有意義な点もあり、諸外国からも注目されているところもあるので、まったく教育活動から切り離すというのではなく、子どもの指導もできる担任教師以外の人材にまかせるというようにすれば、日本の教育のよい点も生かすことができると思います。

今年1月の中教審答申では、小学校高学年で外国語、理科、算数の3教科で教科担任制を進めるとされました。そして、その後、体育も加えるという検討会議の報告が出ました。こうしたことが、子どもの学びを深めるとともに、教員の負担を軽減する手立ての一つとしても機能するようになることを期待しています。