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連続講演会<第十九回>
「劇場づくり」で育む地域のきずなと文化
〜NPO現代座によるうたと朗読
遠い空の下の故郷〜ハンセン病療養所に生きて〜

 

NPO現代座の方々により、ハンセン病を主題にしたうたと朗読を上演していただきました。NPO現代座は、劇場づくりと演劇を通じ地域のきずなと文化を育む市民団体として、小金井市を拠点に活動する団体です。公演には学生や一般市民の方々にご参加いただき、ハンセン病や、社会的差別に関する理解を深めました。

ハンセン病は、「らい菌」よって引き起こされる感染症です。
1931年に制定された「癩予防法」により、全患者が隔離の対象とされ、多くの患者が療養所へ強制隔離されました。「らい菌」は感染力が極めて低く現在では薬により完治される病気ですが、特にその外見から、患者やその家族は差別の対象となり続けたそうです。
「癩予防法」のもとでは、一度療養所へ入ってしまうと故郷へは戻れません。公演では、2人の女性患者が歩いてきた過酷な人生や、故郷・家族への想いが歌を交えて朗読されました。最後には参加者全員で「ふるさと」を歌い、ハンセン病患者の方々の想いを共有しました。

公演の間には、NPO現代座の方々が実際に交流された療養所に暮らす方々とのエピソードなどが語られました。過酷な道のりを歩んできたにも関わらず、あたたかい愛情を持つ方々のお話に胸が打たれた参加者も多いようでした。

公演終了後の懇親会では、ハンセン病を取り巻く社会的差別・偏見の問題、障害者や社会的弱者をとりまく社会事情に対する思いや、それぞれの参加者が関わることのできる活動などについてNPO現代座の方々を交え語り合いました。普段は意識しづらい人権に関する問題や社会的な環境について理解を深め、参加同士がつながる場となりました。(報告:東京学芸大学 院1年 増沢有葉)

【予告ページ】

講演記録
講演「遠い空の下の故郷〜ハンセン病療養所に生きて〜」(207KB)
朗読その1:安部智子さんのお話(178KB)
朗読その2:山口トキさんのお話(188KB)

日時 2008年 7月23日(水) 開場14:00
開演14:30 〜 17:30 終了
会場 東京学芸大学 小金井キャンパス  
小金井クラブ1階ホール
参加者 18名 (一般 7名、学生 7名、大学職員 4名)
プログラム

■14:00〜
開場

■14:30〜
挨拶/多摩川エコモーションの紹介

■14:35〜
NPO現代座/役者のご紹介

■14:45〜
「遠い空の下の故郷」公演

■16:15〜
懇談会

■17:30 終了

参加者の感想

・ 演劇をされる方の語りの強さを感じました。こういう催しに参加すると自分の中に差別というものが巣食っているのではないかと自分を検証する機会となります。現代に潜在する問題に光をあて、常に舞台の上にあげて下さる現代座、これからの公演も楽しみにしています。

・ 朗読による想像力の喚起が面白く思われました。差別される側が実は差別する側の論理に乗らなければ生きていけないという構造は今も数多くあります。さて、どうしようかというのが感想です。

・ 語り、歌、とても感動しました。心に響きました。ハンセン病のことほとんど知らなかったことをあらためて知らされました。

 
講師紹介
NPO現代座
作   木村 快
音楽 岡田京子
朗読 木下美智子・真知尚子
演奏 吉野由美子
■NPO現代座からのメッセージ
私たちは、7年前から熊本県菊池恵楓園、鹿児島県の星塚敬愛園に暮らす元ハンセン病患者さんたちと交流を重ねています。そこで暮らす人たちの生きてきた道のりを知ったときには、大変衝撃を受けました。
彼女たちの想像もつかないほどの過酷な人生を聞く中で、一番感じたことは人間が本来持っている強さと愛情です。
故郷の自然や家族に対する愛は、辛い時こそ強くもとめるものなのかもしれません。
遠く離れたふるさとを思ううたを交えて2人の女性の歩いてきた道のりを朗読にしました。
■友人たちの歩いた道のりを伝えたい
NPO現代座 理事長 木村 快
わたしは以前、ある雑誌の依頼でハンセン病元患者を紹介する連載をしたことがきっかけで、熊本・鹿児島の療養所に多くの友人ができました。
わたしの本業は芝居の台本を書くことですが、芝居の台本は人間を書く仕事ですから、仕事の性格上、学者や弁護士とは違った次元で人の運・不運、社会正義といった問題について考えさせられます。どんな差別も同じですが、差別を本当になくすには道徳的な判断だけでなく、差別がどうして起こったのか、なぜ気づかずに過ごしてきたのかを、わたしたち自身の問題として考えてみることが必要です。
ハンセン病の問題を考えることは障害者や社会的弱者の問題を考えることとまったく同じで、共に生きるという二十一世紀のノーマライゼーションのあり方を探っていく道だと思います。
 
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