学長室だより

独ソ戦―絶滅戦争の惨禍―

「意外や意外、日本の国内で独ソ戦のことを知りたいという人が実は大勢いたんですね」というのは、朝日新聞の夕刊で10月末に5回にわたって特集していた"独ソ戦を考える"の最終回の冒頭で紹介されている池上彰さんの言葉です。2020年の新書大賞を取った"独ソ戦"(大木毅、岩波新書、2019年)に触れて言っているもので、この特集もそれを受けてのものでした。私も池上さんにまったく同感です。私などは、専門でソビエトの心理学を勉強し、行ったことのある外国は、ソビエト及びロシアだけという人間ですので、こうした本に関心をもつのは当然としても、一般の人の関心の対象となるとは到底思いませんでした。それが大賞を取ったと聞いた時には、へぇー!?と思ったものです。

というわけで、"独ソ戦"は、昨年、出た当初に買って読むことは読んでみました。が、内容は、本格的な戦史・軍事史で、当方、地理的思考が苦手なため、記述の中心ともなっている作戦の内容がよくつかめないため、よき読者にはなれませんでした。しかし、そのなかで強く憶えていることは、"世界観戦争"という言葉です。ナチス・ドイツにとって、この戦争は単なる地政学的な陣取り合戦ではなく、共産主義者を抹殺しようとする"世界観戦争"=絶滅戦争であったということで、彼らのユダヤ人政策と同根のものであったということです。私は、レニングラードの900日の包囲戦―100万人近くの餓死者を出した都市封鎖など、ナチス・ドイツはなぜすぐに突入占領しなかったのかわからなかったのですが、"軍事的合理性"を越える絶滅戦争だったんだと言われてはじめてわかりました。また、独裁者の思い込みや、重要な局面で自らの不利な状況を理解しなかったことなども数々示されていました。こうしたことで、一体何人の犠牲者が出たことかと思うと、暗然たる思いにかられました。スターリンが、ドイツが侵略してきて来たことをしばらく信じなかったというのは割と知られていることでしたが、ヒトラーも、英仏の対独宣戦を聞いた時には「さて、どうする?」と呟いたそうです。

ロシアに行くと、第2次大戦に関連するモニュメントに沢山出会います。これは、やはり、3000万人とも言われる世界でもっとも多くの犠牲者を出した国であるが故のことだと思います。独裁者の間違った判断に起因する死であっても、ひとりひとりの死の重みは変わりません。ソビエト時代、極東のハバロフスクを訪れた時には、戦死者の名を刻んだ巨大なモニュメントの前に、その死を悼む"永遠の火"がともされており、現地で選抜されたという高校生たちが数名直立して番をしていました。3月でしたが、あちらはまだまだ真冬で、雪も積もっており、粉雪の舞う曇天の下でしたが、選ばれたという誇りがうかがえる堂々とした顔つきでした。今どうなっているのかと思い、ネットで調べてみたところ、もはや火の番をする高校生はいないようでした。ちょっと残念な気がしました。