学長室だより

「こんなひどい目にあわされて、きみたち日本人は、アメリカに腹が立たないのか」

これは、キューバ革命のわずか半年後の1959年7月に広島を訪れ、原爆資料館を見たキューバの革命家ゲバラが発した言葉です。

今年も8月6日、9日、そして15日を迎えました。例年になく、マスコミは戦争のことを取り上げていたように思います。やはり、ロシアとウクライナの戦争のことがあってのことだと思います。

あの8月6日に、広島で建物疎開(密集している建物を取り壊し、火災が広がるのを防ぐ作業)に動員された中学生8千人の運命をNHKスペシャルで取り上げていました(原爆が奪った"未来" ~中学生8千人・生と死の記録~ - NHKスペシャル - NHK)。陸軍の強い要請で動員され、8千人のうち、6千人が亡くなったそうです。「ここに手があって、ここに顔があったの」と、亡くなった妹さんの小さな制服の袖口と襟を指して泣く高齢の女性の姿には、心を強く動かされました。
8月15日の深夜のラジオでは(NHKラジオ深夜便、厳密には16日ラジオ深夜便 - NHK)、対馬丸事件のことを取り上げていました。これは、沖縄から長崎へ向かう学童疎開船対馬丸が、アメリカの潜水艦によって撃沈されたもので、779人の子どもが亡くなりました。攻撃されたのは夜で、台風も迫っている中の航海だったそうで、真っ暗で暴風雨が吹き荒れる中、子どもたちは、さぞかし怖い思いをして死んでいったんだろうと思うと、胸が塞がります。また、戦争と子どもということでは、先般亡くなった写真家の田沼武能さんの衝撃的な経験――東京大空襲の次の日に、防火用水の中で真っ黒になって立ったまま死んでいる子どもを見たという話なども、また、思い起こされます。

こうした話を見たり聞いたりすると、先のゲバラの言葉が浮かんできます。が、しかし、われわれは、広島の原爆死没者慰霊碑に「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻んだのでした。
この碑文については、被害者である日本が「過ち」を犯したかのようで、おかしいのではないかという意見もあるようです。が、そうした見方にたいして、広島市は、HPで次のように言います。

「碑文の趣旨は、原爆の犠牲者は、単に一国・一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。つまり、碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています。碑が完成した昭和27年(1952年)から今日まで、碑文は被爆者や広島市民だけではなく核兵器廃絶と世界平和実現を求める全世界の人々にとって祈りと誓いの原点であり続けています。
今日では、碑文に対する疑問の声はほとんど聞かれず、本市としては碑文の修正は全く考えておりません。」(https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/kaitou/8239.html)。
まことに立派な考え、毅然たる態度で、感動をおぼえます。

敗戦を"終戦"としたことや、終戦後に定められた日本国憲法にも同様の精神を感じます。そうしたわれわれの日本、唯一の被爆国日本。
人類の危機をまねいている核兵器の廃絶や、全世界的に早急な対応を迫られているロシアとウクライナの戦争に対して、せめてもう少し、存在感のある態度・行動をとることができないものかと強く思います。