学長室だより

ディスレクシア(読み書き障害)

この頃は、眠りが浅くなり(寝るのにも体力が要るということがわかりました)、NHKラジオで夜11時から始まり朝の5時に終わる「ラジオ深夜便」という番組を、うつらうつら聞いていることが多くなりました。ちょっと前になりますが、10月はディスレクシア(読み書き障害)啓発月間ということで、ディスレクシアの正しい認識の普及と支援を目的とするNPO法人エッジを立ち上げた藤堂栄子さんという方がお話をされていました。藤堂さんは、お子さんがディスレクシアと診断されたことから、こうした法人を立ち上げたとのことで、これまでのいろいろのご苦労やエピソードをお話しされていました。その中で特に興味深かったのは、お子さんがディスレクシアと診断されたために、ご本人もディスレクシアであったことがわかり、それにより、これまで遭遇した人生の困難が説明できたというお話で、なるほどなぁと思いました。 

ディスレクシアというと思い出すことがあります。それは、もはや30数年前となりますが、私が東北大の助手を務めていた頃、オランダの児童学研究所の所長が、研究室(当時の東北大の研究室は講座制で、教授・助教授・助手で知能障害学研究室という組織を構成しており、そこに博士・修士・学部卒論の学生20人くらいが属していました)を訪ねてきて、研究について懇談交流をする機会がありました。Kempという学者でしたが、大男で、やっぱりオランダ人は大きいのだと実感しました。その時に、彼が問うてきたのが、「日本では鏡映文字の研究はどうなっているか?」ということでした。彼はリテラシーの研究者と聞いていたので、その頃わが国で注目を浴び始めてきた学習障害の子どものリテラシーに関する質問でもあるかと思っていたのですが、この思いがけない質問に、みなポカンとしました。「鏡映文字??」という感じでした。鏡映文字とは、鏡文字とも言われ、文字の左右が逆転している文字のことで、幼児期の子どもの書字によく見られるものです。この鏡文字への対処法は、「放っておけ。そのうち治る」というもので、そして、実際「治る」のです。一生鏡文字が「治ら」なかったというようなことは、当時聞いたことありませんでした。もちろん、障害とは見なされていませんでした。 

そのため、ん?と思ったわけですが、しかし、考えてみれば、彼らが使っている文字であるアルファベットという文字体系は、空間的な位置関係に対する能力への負荷の強いものであることに気付きました。例えば、b,d,p,qは、縦棒と半円形という文字の構成要素は同じで、縦棒に対して、右に凸の半円形部分が右下に付けばb、裏返って左下に付けばd、右上に付けばp、裏返って左上に付けばqとなります。というように、上下左右という空間認識に相当に負荷のかかる一群の文字なのです。それに対して、われわれの使っているひらがななどは、直線・曲線が複雑に使われているもので、左右がひっくり返っていても何という文字かわかるようにできています。例えば、「あ」を左右反転して書いたとしても、他に読める文字がないので、ああ、「あ」だな、と分かるわけです。また、同じことですが、ひらがなの鏡映文字を書いている子どもは、自分の書いた文字以外でそのような文字に出会う機会はないのです。しかし、アルファベット文化圏でdの鏡映文字を書いている子どもは、そこかしこ(新聞、テレビ、雑誌等々)で、bという文字と出会います。となると、鏡映文字は固定化してしまう可能性があります。 

Kempはそうしたことは何も言いませんでしたが、使っている文字体系との関係で、負荷のかかる能力があり、それが障害ともなり得るということに気づかせてくれました。あらためて障害と文化との関係に思いを致しました。 

下の図は、当方の6歳の孫の書いたものです。当方、子どもの文字の研究には疎く、お子さんの文字を見ることは少ないのですが、かなり"激しい"鏡映文字ではないかと思います(治るかしら?)。ちなみに、当方の下の娘は、左右だけでなく、上下も逆さの文字を書いていました。ただ、これは理由がわかっていました。下の娘は、上の娘とちゃぶ台で向き合ってよく絵を描いたりしていたのですが、その中で上の娘が字を書いて教えることがあり、大人なら、逆向きに書いて教えてやるところなのですが、子どもは"熾烈"ですので、そんなことは一切気にせず教えていたのだと思います。器用にすらすらと書いていました。もちろん今は"治って"います。記録としてとっておかなかったのが悔やまれます。研究者としての自覚が足りなかったのでしょう...。ただ、治りにくい文字がありました。それは、「さ」と「ち」でした。それで、この二つは、左右鏡映と言えばそう言える文字ということに気づかされました。ですので、当時住んでいるところを、下の娘は、しばらく「かなぢわ」と書いていました。 

右から読みます(「ばあばとえみちゃ(小さい"や"は"ち"の右下に書いてあります)んへ」)。

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