学長室だより

「分裂病と人類」

もはや2か月も前のことになってしまいましたが、この8月、神戸大学名誉教授中井久夫先生の訃報が伝えられました。中井先生は、精神科の臨床医で、当然その面で立派な業績を多々おもちだったと思いますが、精神疾患及び精神医学の文化性、歴史性(文化精神医学)にも深い学識をお持ちでした。私が勉強したヴィゴツキーやルリヤらの人間の心理の文化‐歴史性を強調する心理学理論と通じるところがあるため、その方面で書かれたものについては、いつも興味をもって、また感銘を受けつつ、読ませてもらってきました。以前の学長室だよりでも先生にはちょっと触れたことがあります。(2020年7月8日「本の背表紙を見るということ」

中井先生のご本には優れたものが数々ありますが、広く世に知られているのは、「分裂病と人類」(東大出版UP選書、1982年)だと思います。20年近く前になりますが、朝日新聞に、多くの識者に確か世に残る名著3冊というようなことを聞くというような記事が載り、この本は、複数の方に挙げられていました(その記事を取っておいたはずなのですが、どうしても見つかりませんでした...)。

この本の第1章は、本のタイトルともなっている「分裂病と人類」です。この論考は、なぜ分裂病はかくも多いか、に答えようとするもので、その答えは、端的に言うと、"人類にとって必要だったし、必要だ"ということです。分裂病者の病前性格ともいえる「分裂病親和者(S親和者)」には、「杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、全体を推定し、あたかもその事態が現前するがごとく恐怖し憧憬する」という認知特性があり、それは、狩猟採集生活には非常に有利でしたが、農耕生活になると(農耕は強迫的でもあるがゆえに)、S親和者には合わず、「隠れて生きることを最善」ということにもなりました。しかし、こうした人たちは、「非常時には、にわかに精神的に励磁されたごとく社会の前面に出て、個人的利害を超越して社会を担う気概を示す」。ニュートンや、ライプニッツ、バートランド・ラッセルなどがそうだと言います。こうした点で、S親和者は"人類には必要であるし、必要であった"ということです。また、分裂病者が、病と言える状態を有しているのに、淘汰されず生き残ったのは、「異性のS親和者を憧憬する人々がかなり見受けられ」、「性的パートナーの獲得における有利性、それが子孫を残す可能性を高くしている」と、逆の性淘汰が働いたような説明をされています。「農耕生活を踏みぬいて」遥か原始にまで遡る説明のスケールの大きさに圧倒されます。

S親和者と対をなす執着気質について記した第2章をはさんで、第3章の「西欧精神医学背景史」こそは、圧巻というべきで、神話、宗教、文学、社会経済史、科学史、法制史、果ては、航海術の歴史まで、豊かな学識が自由自在、縦横無尽に紙面上を行き来し、壮大な歴史パノラマを描き出しています。中井先生は、西欧精神医学の歴史的背景として、特に宗教との関係を重視したと言われていますが、実際、ピューリタニズムが西欧精神医学にどれだけ深く食い込んでいるかということがよくわかりました(それは、引用されているもので言うと、サリヴァンのピューリタニズムの勤勉という倫理が人を精神病に追いやるという告発など)。また、精神病の分類が可能になったのには、フランスに始まった巨大精神病院の建設とそこへの患者の長期収容とが関係しているのではないかという指摘(「19世紀の精神病院における雰囲気が、いわば患者の患者性を骨格まで洗い出すようなものでなかったか」)も強く印象に残っています。この章は、後にその章タイトル通りの1冊の単行本として出版されました(みすず書房、1999年)。

中井先生が、単行本となった「西洋精神医学背景史」のあとがきで、「与えられた紙幅の中で「一行の裏に一つの論文、一冊の本」をこめようとした」と書かれているように、この章は、そして、この本に含まれている論考すべて、一文一文に多くの学識、大量の情報が詰め込まれていて、すらすらと読めるものでは到底ありません。が、じっくりと読んでみると、心底得心するというようなものでした。なお、先生は、ギリシア詩人の全詩集の翻訳によって、文学賞を受賞するというような方でしたので、文章のレトリックなどはさすがと思うこともしばしばでした。私は、先生とは一面識もありませんでしたが、希代の、言葉の正しい意味での碩学が世を去ったということ、まことに寂しく思います。
(「精神分裂病」は、現在は、「統合失調症」と呼ばれています。)